そしてすべては壊れゆく
「ばかな……」
ようやく絞り出せた声だった。
意を決した表情で手を差し伸べる勇者に、魔術師は狂おしいほどの渋面を作った。
「〝それ〟を世の中に放てば――辛うじて均衡を保ってきたこの世界が壊れるぞ!!
人は混乱し、非人間族への敵視が強まるのは目に見えている!! これ以上、この世界を乱すわけにはいかない!!」
「だから――成り行きに任せるしかなかった。それが俺たちの、本当の〝罪〟なんだよ、クロト。
この世界の人は、帝国の作り立てた〝物語〟を信じることで救われてきた——でも、逆だったんだよ!! 真実から目をそらさせて、うわべだけの世界を見せることで、みんなはもっと救われることから遠のいてきた!! 真実を知れば、傷つく人もいるかもしれない! でも、必要な痛みなんだ——!! 〝本当の世界〟を手に入れるには、これしか――」
クロトの反論に、ウィルはそれ以上の熱量で反論した。
彼ら以外の者たちには、彼らが何を揉めているのか、さっぱり理解できない。
だが、十年前――魔王を倒した勇者パーティーは、何かとんでもない秘密を握っている。
この世界を転覆させかねないほどの——。
「魔導士様――わたくしは聞きとう存じます」
ふたりの議論に、アイオーリアが意見を述べた。
「わたくしたちが生きているこの世界が、何か大きな秘密を隠しているのなら——ここに生きているわたくしたちは、知る権利があります。わたくしたちが、本当はいったい何と向き合うべきなのか……それを知らずに、この世界を変えるための行動などできません。
お願いいたします。真実を――お話ください」
王女の懇願に、クロトはますます顔を歪めた。
彼女はまっすぐなまなざしで、彼を見ている。
十年間、クロトが胸に秘めざるを得なかったどす黒いものを、焼き焦がすほど純真な目で——。
「………話す、わけには、いかない」
だが、クロトは心を閉ざすことを選んだ。
「こいつが望んでいるのは、この世界が破滅するような事態だ。アイオーリア王女、お前の為そうとしていることはますます困難になる。追い詰められる人々は——また増える。人も、そうでない者たちも……全員が全員、同じ苦しみを背負うことになる!!」
「苦しみならば――すでに背負っている人々がいるではありませんか!!」
クロトの咆哮に、アイオーリアは激怒した。
「この世界は——すでに壊れる寸前です!! 真に弱い者から切り捨てられ、殺されてゆく!! 大きな力は常に戦いに向けられ、そのせいで弱った人々には見向きもしない!! これで、まだ誰も犠牲になっていないというのですか!! すでにこの世界があげる悲鳴を――あなたもさんざん聞いてきたのではないですか!!」
今までになく感情的にアイオーリアは叫ぶ。
彼女の言葉すべてに、クロトは胸を穿たれた。
迷い、苦しむ。葛藤し、苦痛に苛まれる。
いっそ、真実を明らかにすれば――クロト自身も救われるのかもしれない。
だが、一瞬の解放ののち、自分が背負うのは永遠の代償だ。
クロトはこれ以上――この世界を乱したくなかった。
魔王が倒されたことで、救われると思った世界は、子どもだった彼らの予想を裏切って、ますます混乱した。
自分たちの戦いの呼んだ結果を受け取るので、クロトはせいいっぱいだった。
これ以上の痛みを覚悟して――もう一度、世界を壊すというのか?
そんなことをして、自分は正気を保てるのか?
あたら世の中を混乱させて――人々の狂気の矛先は、弟子に向かうかもしれないのだ。
「できないものは——できない」
クロトは、杖を構えて宣言した。
真実は、死守する。この世界のために。
それが、自分にできる最大限の償いなのだと信じて。
ふ、と諦めたようにウィルが息をついた。
流れるような手つきが、腰の鞘から勇者の剣を抜き放つ――。
「戦っても無駄だと悟った男が、戦いを選ぶのか」
クロトは静かに問うた。
ウィルは——迷いのない顔つきをしていた。
「戦いの先にあるものを――俺は求めている。お前が、俺と一緒に真実を話す気になってくれるまで……」
彼が胸に掲げた七天聖虹剣が、眩い光を集め始める――。
その前に、クロトは杖の先端で彼に照準を合わせ、叫んでいた。
「【氷天牢獄】!!」
天から飛来した巨大な氷塊が、ウィルの四方を閉ざした。
そのままクロトは集中を絶やさず、己の体内の魔力を総動員させて、詠唱に詠唱を畳みかける。
「【大地神咆哮】!!」
氷に覆われたウィルの周りで、大地が躍動し、すさまじい音を立てて地割れを起こしていく。
炎の壁で隔絶されていたライルーヴの軍勢も、この地形を変えてしまうかのような地震は堪えがたかった。
馬は恐怖に暴れ、投げ出される騎手も多い。
ライルーヴ公は自身の馬も宥めながら、自身の軍勢に活を入れる。
「騒ぐな、怯えるな! あいつらが勝手にやっている戦いに巻き込まれることはない! 距離をとれ!!」
砕け、割れゆく大地から馬を引かせ、遠のいたところからライルーヴ公は戦いを見物する気になったらしい。
勇者は氷に閉じ込められたまま、割れた地面に呑み込まれた。
大規模な魔術の連発に、クロトは額に汗のひとすじを垂らしながら杖の先を睨んでいた。
「――妖精飛翔!!」
ウィルの叫び声とともに、朱色の刃が氷塊を砕いて、主ととともに飛翔する。
クロトですら使えない——飛行の魔術だ。勇者として四大精霊に認められた者にしか使えない、奇跡の御業――。
クロトは舌打ちしながら、こちらに向かって飛んでくる斬撃に結界を展開しようとした。
「マスターに手を出すな!!」
セロニアスが叫んで、クロトの目の前で、分厚い大剣で勇者の剣を受け止める。
体格差、武器のサイズの差を物ともせず、飛翔の魔術の後押しを受けたウィルの刃はセロニアスをじわじわと押している。
それを見て、クロトは彼を制止した。
「よせ、セロニアス! そいつはバケモノだ!! お前では——」
「だからって……マスターが斬られるのを黙って見ているわけにはいかないッ!!」
セロニアスは怒号すると、わずかながら勇者の剣を押し返した。
その拍子にセロニアスは身を翻し、とても大剣を持っているとは思えない鋭敏な動きで腕を振り抜き、勇者の死角に一撃を当てにかかった。
だが――ウィルは真上に飛んだ。
大きく空を斬ったセロニアスの頭部に、上空からまっすぐ落下してきた勇者の剣の柄が直撃——脳天を猛烈に強打され、セロニアスは緩慢な動きで地に伏せた。
だが、その手には最後まで、剣が握られていた。
「セロニアス!!」
自分を救おうとした従魔の行動に、ついクロトも感情に呑み込まれる。
だが、地に降りたウィルは、冷静な目で彼を見下ろした。
「気絶してるだけだ。——彼だって、真実を知る権利を持つひとりだ。殺すわけがない」
クロトは、絶句した。
あの男が、自分を守ろうとして、一瞬にしてやられた事実に、改めてウィルという男の、勇者の異能に、震えが走った。
だが、そこには怒りもあった。
クロトはふたたび杖を握ると、自分で編み出した呪文の言の葉を詠唱した——。
「『数百の鏡——幾万の水面――月が落ちる影に、異なる次元の扉は開かれる――』」
ウィルは、聞いたことがない詠唱に警戒している。
自分から攻勢に回ることもなく、クロトの出方を伺っているようだ。
「『今、幾億の帳が下ろされる――異邦者よ——追放を受けよ!!』」
クロトの杖の宝珠が真黒く染まる。
次の瞬間には、クロトは唇が裂けんばかりに、呪文を吠えた。
「次元追放!!!!!!」
直後、空間が揺れる。地響きにも似た異音を空間が発したかと思うと、ウィルの手足が粒子状になってこの世界から消え去ろうとしていた。
「この技は……!!?」
「お前を――どことも知れない異次元へ転送する。二度と還れない。俺でも位置は特定できない、この世界から無数の隔たりを受けた世界へ――お前を送る」
あまりに超越的な魔術に、アイオーリアたちエルフ、エリザベスまでもが息を呑んだ。
そんなことが——可能なのか?
だが、ウィルは抗うことなく、この世界から粒子になって転送されることを受け入れているようだった。
クロトが打てる、最大限の魔術だ——これ以上、あの男を止められるすべがなかった。
「さよならだ、……ウィル」
クロトは、一抹の後悔と、全身に満ちる覚悟とともに、友に別れを告げた。
だが、消え去る寸前のウィルの顔は——ひとつの揺らぎもなかった。
「俺は——諦めない。この世界も、お前のことも——」
そう言い残し、ウィルはこの世界から消え去った。
どこか遠くの異次元——クロトですら想像もつかないような、未知と混沌で構成された異なる次元の牢獄に、勇者と呼ばれた男は永遠に閉じ込められる。
それは、クロト自身が背負う新たな咎だった。
(許してくれ……アリア、俺は——)
もうひとりの友のことを考えた瞬間――ふたたび、世界が揺れた。
「何!!?」
空間が、震えている。
ドン! ドン!! ドン!! とどこかから、何十もの壁越しに何かが破壊されるような音が響いて、この世界を揺らしている。
まさか……!!
「うああああああああああ————!!!!」
異音の向こうで、男の咆哮がこだまする。
みしり、めきり、ぱきり、と何かが軽く砕ける音が響いて、クロトの目の前の空間に、亀裂が走った。
何十――何百――無数の次元を断ち切って、なんの目印もなく、しるべもなく、この世界に、勇者が帰還する。
いったい、何千もの世界を斬って、この男は——ここに立っているのだ。
大量の汗とともに荒い息をつき、剣にもたれながら、ウィルは言った。
「言っただろ……! 俺は、諦めないって!!」
この次元に到達するまで、彼が体感してきた時間は途方もない。
ただ次元を斬って、斬りつづけて——この男は、諦めなかった。自分の世界に戻ることを。
クロトは地面に杖を立てて、めまいを感じる頭をそこにもたれた。
勝てる――わけがない。
こんな、何もかもが無茶苦茶な男に――。
こんな男だから、魔王を倒した。
誰もが果たせなかった魔王討滅を、この男ひとりが——。
(これが……〝勇者〟……)
愕然と、茫然と、クロトは杖に身を預けるほかなかった。
クロトは持てる魔力をすべて費やした。
これ以上の攻撃はできない。
それは勇者も近い状態だった。
「もういい……俺だけでも、ここで真実を打ち明ける――」
「よせ……やめろ――!!」
ともに臨界点間近と見て、ウィルはついに博打を打つことにしたらしい。
クロトはそれを止めようとするが、ひらいた彼の唇は止められなかった。
「魔王戦争時代――帝国は、魔境に送るスパイを作るために、人工的に魔族と人間のハーフを生み出しつづけていた——〝シェイプシフター〟だ。人間にも、魔物にもなんにでもなれる。彼らに人間の血をまぜて——従属化させ、帝国は長らく魔王の中枢をスパイさせていた——だが、おそろしいことに、〝魔王もそれを考えた〟」
やめろ、という言葉が、出てこなかった。
ウィルはもう、すべてを話したからだ。
「帝国軍と魔王軍は、互いにシェイプシフターのハーフを生み出し合い、互いに送り込み合い、長らく情報戦を続けていた——だが、それも、俺たちが魔王を倒したことで終わった。彼らは、解放されたんだ。……俺たちは、長らく使役されていた彼らを率いて、〝人として〟彼らを大陸に迎えるよう、先代皇帝に依頼したんだ。…………でも、ダメだった」
戦争によって産み落とされた、人でも魔族でもない者たち。
帝国は、それを〝人として〟受け入れることを、拒否した。
「絶望した彼らは——思い思いの魔物に変化して、帝都を暴れ回った。自分を人間とも、魔族とも扱ってくれなかった世界に復讐するために――俺たちは、彼らを救えなかった。それどころか、破滅に追いやってしまった。だから――俺は、人々に戦いで尽くすしかないと思った。
でも……この真実でもっとも恐ろしいのは——、」
「もう……やめろ……!」
クロトは膝から崩れ落ち、大地に額づいて、懇願した。
だが、ウィルは止めなかった。
「〝チェンジリング〟は——今まで何百年も行われていた——大陸で生まれた子どもたちが、魔境に連れ去られ、シェイプシフターとの交配を迫られ――逆に生まれた子どもたちは——大陸に多く送られた——自分が、ハーフだという自覚すらない人が——大量にいるんだ!! 帝国だけじゃない! 大陸のすべてに!! 自分が魔族とのハーフだと知らない人々が、大勢……!!
帝国は、それを隠して、人間だと思っている彼らに同族殺しをさせつづけている!!! 〝人類と魔族の戦い〟を演出しつづけて!! 血縁者かもしれない者たち同士を、永遠に殺し合わせている!!!!!!」
クロトは、苦痛で涙を流し、嗚咽を呑み込みながら、ウィルの言葉に打ちのめされた。
その遥か彼方で——会話を聞いている者たちがいた。
勇者の記録係たちが、勇者の告白を、映像記憶装置のビットを大量に飛ばして、記録していた。
「なんということだ……」
片眼鏡がずれそうになるのを押さえながら、遠隔集音装置で勇者の告白を聞いた男は、つぶやいた。
「帝国が………いや、連合が……崩れ去る! 帝国の作った偽りの物語によって維持されていた世界が、完全に――崩壊する」
男は、あまりの恐ろしさに震えが走る手を、それでも止めなかった。
術式を構築して、記憶のバックアップを大量にとりつづける。
この世界を終わらせにかかる真実を、今まさに世界じゅうに布告するために。
だが、男はどこかでこのときを待っていた——。
勇者と呼ばれたあの男が、真に腐った世界を焼き払って、帝国の腐敗という真実を語ってくれるのを――。
男の目に、涙が、伝った。




