政治と政治
街道を行く交渉団の馬車の頭上高くを飛ぶランカは、地平線の向こうに異様な光景を見出した。
陽に照らされ、不気味に浮かび上がる黒い波としか形容ができないもの。
それらは——武装した軍馬に跨る騎士たちの軍勢だった。
十数、数百の規模ではない——軽く見積もって、五千騎。
先頭では高々と国旗を揚げ、己らの士気の高さを誇示するかのようだった。
「――馬車を止めろ!! 前方から軍勢が来ている!!」
高速で高度を落としたランカは、馬車に合わせて飛びながら、御者をやっているデーナとミトに呼びかける。
ハーピーの女王の警告を聞き入れるよりも早く、彼らも同じものが見えてきた。
急ぎ馬車を停止し、中にいるアイオーリアたちに状況を説明する。
「旗は……どこの旗です!?」
「わかりません! われわれは見たこともない……」
緊迫したアイオーリアの一声に、答える者がいた。
「あれは——『ライルーヴ公国』、国民すべてが傭兵の、戦闘狂国家だ……!!」
クロトは険しい表情で説明すると、馬車を降りて前方をたしかめた。
黒いオオカミを掲げた旗が、意気揚々と青空を支配している。
ライルーヴ公国は、ひとりの戦場で名を立てた傭兵が帝国に承認されて樹立した国家で、歴代のライルーヴ公は戦場でも先陣を切って戦う、傭兵団の長だ。
戦いを好み、戦いに熟達した者のみを国民と認め、国一個が雇われ兵として機能する。
その異様な国家の在り方は、連合でも異質だったが、彼らの機動力と、戦闘力の高さには危急の事態を救われた国家も多い。
だが――普段、魔族と小競り合いしているような連中が、和平を持ち込みにきた交渉団の前に現れた。
それがどういう意味なのか、クロトでなくとも結論が出る。
すると、軍勢の前からより豪奢な武装をした軍馬が一体、前に出た。
騎乗した男は、漆黒の長い髪をオオカミのたてがみのように伸ばした、威圧的な男だった。
「余は十三代目ライルーヴ公。帝国より依頼を受け、アイオーリア王女殿下の身柄を保護しに参った。帝都までの道のりは遠かろうと、皇帝陛下よりの恩情だ。ここから帝都までの道のりは、われらライルーヴ公国が護衛し奉る。安心なされよ」
「このように物々しい送迎でか!! ――保護するつもりがないことぐらいわかる。舐めるなよ、人間風情が!!」
騎士団長のミトは、馬上のライルーヴ公に威勢を振るって反論した。
だが、大公はにわかな微笑を口元に刷いたのみで、怒りの論調に乗せられる気配はない。
「なに、今もこの大陸は不安定な情勢だ。いつどこぞの魔境のポータルと通じ、魔物の軍団が送り込まれるともしれぬ。そのように脅威に満ちた旅路を、貴きアイオーリア王女殿下に歩ませるなど、皇帝陛下もお心を痛めたのであろう。むしろ、感謝せよ。帝国は貴様らと積極的に交渉の場を設けるつもりだ」
嘲弄を隠さず、傭兵団の長は言った。
「ならばなんのために護衛の数を極限まで絞った」
クロトは平静さを保った口調で大公に問うた。
「それは、言わずもがな。非人間族どもの集まりなど、盤石な体制ではないのは知れている。どこぞの獣畜生が欲望に負け、美しき王女殿下のお身体に傷をつけるとも――」
「人種差別、女性差別、国主への侮辱。あんた、よくそんな短い文章の中にろくでもない言葉を詰め込めるね」
舌打ちを隠さずデーナも言う。
この男は、ろくでもない。前情報を知らないクロト以外の者でさえ皆、それを短時間で認めた。
「皆の者、アイオーリア王女の身柄を確保せよ」
冷徹に言い放った命令に、何頭もの軍馬が疾駆して馬車の周りを取り囲んだ。
ミトとセロニアスは剣を抜き、デーナは弓を引いた。
しかし、戦闘態勢に入った彼らを、アイオーリアの声が止めた。
「下がりなさい!! 武器を収めるのです!!」
「な、なぜです、殿下……!! こいつらは殿下を捕らえるつもりですよ!!」
ミトたちが動揺と心配の視線を送る中、厳かにアイオーリアは馬車から降りた。
ただちに彼女の周りを黒い軍馬が囲む。
「彼らは——帝国の依頼を受けてきたと言いました。ここでわれわれが剣を抜けば、連合との〝戦い〟になってしまう。和平交渉を持ちかける側の、〝われわれのほうから仕掛けた戦争〟、になるのです」
まなざしを厳しくさせ、アイオーリアが言い放つと、大公は顎をそらして大笑した。
「はっはっは! エルフの姫君というのは、なんと聡明なのだ! われわれのほうから意図を説明する必要がなくなった! 手間を省いていただき、まことに感謝申し上げる!」
「貴様ァ!!」
ミトが顔を怒りに染め、吠えるように叫ぶ。
つまり、帝国の使者として来たライルーヴ公国を撃退してしまっては、連合に先制攻撃を仕掛けたことになる。
これは、帝国が打てる中でももっとも卑劣な作戦だ。
アイオーリア自身の意思で、自身を攫わせる。
その後、まともに和平のために交渉させてくれるとは思わない——クロトが忌避した通り、あらゆる拷問、洗脳を強いられ、非人間族解放のための思想を砕かれるのだろう。
軍馬から降りた兵士が、アイオーリアに近づこうとして、ミトが剣を抜いた。
「――ひざまずきなさい!!」
ただちに、主より厳命が飛んでくる。
ミトは苦痛すら浮かべながら、剣を収め、大地に膝をつく。
彼の身体は、屈辱と敗北感にがくがくと震えていた。
うつむいた顔から、涙の雫が垂れている。
それを見て苦笑しながら、兵のひとりがアイオーリアの腕に触れようとした。
その瞬間、彼女の足元から立ち昇った影が蛇のように兵の額を刺す。
「ぐああああああっっっ!!!!」
ただごとではない悲鳴をあげて、男はその場にうずくまる。
周りの騎兵も異様な出来事に困惑しながら下馬し、仲間を揺すって正気をたしかめるが、悲鳴をあげる兵は両耳を塞ぎながら、何度も大地に額を打ちおろした。
「な……なんだ……何かの魔術――」
「あら~ん? その男は、アイオーリア様に触れる前に、勝手におかしくなって倒れただけじゃなぁい。さしもの、良心が咎めたってことかしらぁ?」
今まで静観していたエリザベスが、妖艶な微笑を伴って言った。
「ひいい……ひいいいい………っ!! もう、許してぇぇぇ………!!」
彼の額を刺した影は、一瞬にしてアイオーリアの影へと溶け込んだ。
その場面だけを見た者は、いったい何が起きたかわからないだろう。
エリザベスはわかっていた——ベベーネは、悪夢を捨てず、己のものにしてしまったのだ。
今は自分自身の存在意義を確立したため、他人の悪夢に魘されることもなくなり、今や上手に使いこなしているようだ。
エルフの王女に触れようとすると、気がふれる。
その事実に気づいた兵たちはあきらかに対処に困り、手を出せずにした。
見込み通りにいかないことで不興を買ったのか、ライルーヴ公はあきらかに不機嫌そうな顔で言った。
「触れるのが無理ならば――槍で囲んで、馬車の中に押し返せ! われわれが馬を牽けばよい!」
「王女に武器を向ける気か!?」
「これでは運べんのだから致し方なかろう!!」
「われらの馬に手を出すな!!」
あまりの蛮行に、ミトは怒りもあらわに他国の君主に食ってかかった。
そして、すべてが面倒になったのか――大公は、ついに宣言した。
「もうよい。護衛はすべて殺せ。王女さえ手に入ればよい」
ついに来た。
アイオーリア以外への処刑宣告に、それぞれがついに武器を構えて立ち向かう姿勢を見せる。
ライルーヴ公は右腕を空に掲げると、一気に振り下ろし、兵たちに命令を下した。
武器と武器がぶつかるかに思えた、その瞬間――途方もなく長い朱色の刃が、戦場を二分した。
平野から炎があがり、馬車と軍勢のあいだを走るように燃え盛る。
火の勢いに驚いて、軍馬たちはどよめいた。
兵たちはそれをいなすのに必死になる。
クロトは、炎の壁を茫然と見ながら、何が起きたか知るのに、数秒を要した。
炎の中から、ひとりの男が出てくる。
その髪の毛ひとつ、服の端ひとつ燃やされず、男は水色のベールに守られながらクロトたちのほうに歩み寄った。
「………ウィル………」
「久しぶり、クロト。十年、ぶりかな」
クロトの記憶よりも、大人らしい面差しになった青年は、若干はにかむように苦笑した。
その――勇者の登場に、クロト以上に反応を示す者がいた。
「おのれェ!! 〝勇者〟!! 帝国は貴様にここへ来るよう命令は下していないはずだ!! 連合の命令に反する気か!?」
大公が激怒し、勇者を罵ると、彼はゆっくりとそちらのほうを振り返り、
「――逆です。守りに来ました。あなたがたの属する連合を。俺なりの方法で」
と、妙に達観した口調で告げた。
その発言の意図を掴めず、クロトは眉間に皺を寄せる。
平原を断ち切った刃が朱色から鋼の色に戻ると、鞘に納める。
「戦って……戦って、戦って、戦えば、守れると思っていた。今までずっと……。
でも実際は、戦うほどに戦場が広がって……人が、命が、失われていく。
俺は、逆のことをしていたって気づいた。だから、俺は今度こそ――みんなのためになることをやりたい。そのために来た」
ぐっと正面にあげられた瞳は、クロトの顔を貫いた。
まさか、とクロトの胸が予感で疼く。
十年間――ふたりはずっと違う勢力の味方をしてきた。
それがともに魔王を倒し、再び世界に混乱をもたらした責任だと信じて。
「クロト――真実を、世の中に伝えよう。俺たちがポータルを開錠したまま帰ってきた、理由と――帝都で多くの命が失われる事件が起きた理由は、みんなが考えているようなものじゃないってことを」
クロトは目を見開いた。
「あのときは……俺たち、子どもだったから。俺たちは、〝罪〟を背負うのが怖くて…結局、黙って〝償う〟しかできないと思っていた。でも、そうしないと、せっかく守ったこの世界が壊れてしまうと思ったから――でも、逆だったんだ。クロト、」
その先を言うな、と視線で制する。
だが、ウィルは——〝勇者〟と呼ばれた男は止めなかった。
「俺たちで——この世界を壊そう。俺たちが、帝国の作り上げた〝物語〟に付き合ったから――世界はこんなふうに戦いで溢れてしまった。それを、正すんだ。俺たちで!!」
もう一度、——魔王を倒しに行こう。
とでも言うような調子で、男は片手を差し出した。
クロトは、苦痛に歪めたまなざしで、それを、見ていた。




