真実は鏡の中
アンジュに乗ってザヤに辿り着いた後、きょうだいたちとウルリーフを抱えて、墓地に穴を掘った。アンジュは、しばらく竜の姿のままであたりを見張っている、と言い出して、そのまま空に還っていった。
「おにいちゃん……なんかつけてるよ」
首筋の毛に血が固まって見えなかったが、赤い石がきらりと光った。
それに気づいた彼の妹が、そのままにしたほうがよいのか、迷うそぶりを見せた。
「待って」
リンネは穴に入ると、彼の血の固まった毛並みから指輪を引き抜いた。
「あのね……きみたちのおにいちゃんと、わたし、結婚したんだ。一緒に埋めてもよかったんだけど……こっちのほうが、一緒にいるって感じがするから」
彼の首にかかっていた紐を二重に自分の首にかける。赤い石と緑の石が、揃ったことを喜ぶようにきらめいた。
きょうだいたちは全員、驚いた顔を見せた。
「じゃあ、おねえちゃんは……ぼくらのおねえちゃんになるってこと?」
「う、うん……そう、嫌じゃなければ……だけど」
リンネはもじもじしながら遠慮がちに言うと、そばにやっとよちよち歩きができるようになった一番下の子が寄ってきて、リンネの腰に抱きついた。
「おねたん」
リンネの目に、じわり、と温かい涙が滲んだ。
「うん、うん……おねえちゃん、だよ」
その子を抱っこして、リンネは頬ずりした。
彼の兄によく似た、もふもふが頬をなでる。
「ぼくも、おねえちゃん、すきだよ」
「おねえちゃんにしてもらったお話、大好きだもん」
「おねえちゃん……ずっと、そばにいてくれる?」
父母も兄も亡くし、拠り所を失った子どもたちは、縋るようにリンネを見た。
リンネは赤ちゃんを抱っこしたまま、笑顔でうなずいた。
非人間族なら誰でも使える宿で子どもたちの部屋を確保すると、そこでしばらく絵本を読んであげたり、一緒に歌をうたったりした。だが、しばらく魂だけ兄の身体に閉じ込められていたきょうだいたちは、生身の身体の感覚にまだ慣れないのか、次々と眠りに落ちた。
みんなの寝顔を見送ってから、リンネは宿を出た。
もうすっかり日は昇っていたが、アンジュはなかなか帰ってこなかった。
今とても――あのドライアドに会いたい。
そう思って、あのユニティア像の前に言った。時間の経過のせいか、ゲートは閉じていたが、リンネがオカリナを取り出してあの曲を奏でると、ふたたびゲートは開錠した。
そこでリンネは初めて気づいた。
秘められた国は、夜のままだった。崩れた国を、月夜が始終照らしているのだ。
あのドライアドを探して、城の中庭を目指したが、姿は見えない。
そのとき、妙に焦げ臭い匂いがする、と気がついた。
リンネは逸る動悸を押さえながら、井戸を覗き込む。
そこには、黒く染まった炭状の何かから、ぱちり、ぱちり、と残り火が爆ぜて、白い煙の匂いを昇らせていた。
リンネは、井戸の横に、すとん、と座り込む。
この国は、本当に誰もいなくなってしまったんだ。
得も言われぬ空しさに取りつかれたリンネは、月夜を頼りに城の近くを歩いた。
ところどころ天井が崩れ、通れない道もあったが、たくさんの広間や、図書室のような部屋もいくつかあった。花や木はすべて枯れてなくなっているが、温室のようなところもあった。
リンネは、かつてここにいた人たちの姿を想像した。
誰もが理想の楽園のように語り継がれた国は、実は、アスラ王が一番弱い人たちのために残していったのだ。その現実は、けして理想の楽園のような輝きはなかった。
まだこの国の伝説を信じて、それを頼りに生きている人たちのことを思うと、胸が痛んだ。
彼らに残酷な現実を突きつけるくらいなら、この国は自分だけの秘密にして、誰にも話さないほうがいいのかもしれない。
そう思って逍遥としていたリンネは、かつて市街の中でも特に大きかったのだろう、広間に行きついた。敷き詰められた石のタイルは綻んで、でこぼこで歩きにくかったが、広間の中心に、何かの像があった。
それも長年の風雨に晒されて、ほとんど原型をとどめていなかったが、何か大きい、翼を持った生き物のようだった。
その足元に、石碑があった。
そこに被さった埃を払うと、石に彫られた文字が見えた。
この国に、まだ現存している何かがあるということに、リンネは無意識に昂揚した。
両腕でバサバサと埃を払いのけると、そこに掘られた文字の窪みを指で辿った。
古代文字のようだが、——読める。
師匠に教えてもらっていたからだ。
リンネは過去の言語の文法にてこずりながらも、文字を行ったり来たりして、少しずつ文章を解読していく。
書かれていることは、主にこうだった。
わたしは、もっとも弱いひとびとを救いたかった。
誰もが諦め、見捨てざるを得なかったひとびとを集めて、最後の国を作りたかった。
だが、わたしもまた結局、彼らを見捨てるほかなかった。
これを読んでいるだれかへ。どうか、私のような愚を犯さないでほしい。
わたしは間違えた。
彼らを追い立てる火を消そうとして、
より大きな火を起こすことしかできなかった。
争いをなくすために、争うほかなかった。
火はどんどん大きくなり、この世界を覆ってしまった。
この先の歴史を生きる者よ。
どうか、わたしを〝魔王〟と呼んでほしい。
この不完全な世界の敵として、わたしを屠ってほしい。
そして、この世界の殻を破り、新たな世界を作って、
二度とわたしのようなものを生み出さないでほしい。
これを読んでいる者へ。この告白を聞いたうえで、それでも希望を以て、進んでほしい。
それだけが、この世界の残酷な仕組みに打ち勝つことのできる、唯一の方法なのだから。
「〝アスラ王〟が……〝魔王〟だったの?」
時間をかけて全文の意味を理解したリンネは、茫然とつぶやいた。
理想の楽園を追い求めた優しい王様が、魔王になったなんて、信じられない。
どうして? だけが、リンネの頭の中を占める。
病気のドライアドだけを残して、旅立ったアスラ王は、魔境に辿り着き——魔王になった?
そして、なぜ、人類の敵になった?
この文章だけでは、すべては理解できない。
途方に暮れるリンネの背中に、誰かの声がかかった。
「あなたがこの言葉に辿り着くまで、長い時間がかかった」
振り向くと、そこにはアオサギの吟遊詩人――ホーマーが立っていた。
弟子の姿はいない。彼ひとりだ。
ゲートを開錠するキーとなる、あの曲をリンネに託した時点で、彼は只者ではないことはわかっていた。
だが、リンネは不思議とおそろしいとは感じなかった。
眼鏡の奥の弱い瞳は、リンネと同じように、途方もない悲しみを浮かべていたから。
「こちらに、来てください。あなたになら、真実に辿り着ける」
ホーマーはそう言うと、踵を返してどこかへ行こうとする。
リンネは置いていかれまいと駆け足で彼についていった。
彼は城の中に進んだ。器用に崩れた石山を避け、この城の内部を理解しきっているかのように、先を進んだ。
ホーマーは、ある部屋に入った。
そこも石が崩れ落ち、歩く隙間を探すのも大変だったが、壁際に覆いをかけられた何かがある。
それは埃をかぶった灰色に染まっていて、ホーマーがばさり、と布を払いのけると、埃の波が部屋じゅうを待った。
「鏡……」
それは大きな鏡だった。ホーマーの全身を映せるぐらいの大きな鏡面が、質素な額の中にはめ込んである。
鏡面には傷ひとつなく、何千年も経っているというのが信じられなかった。
自然とリンネは鏡の方に吸い込まれるように近づいた。
ホーマーはわきに退いて、リンネひとりが全身に移る。
ぼーっと不思議な気持ちで眺めていると、まばたきひとつののち、目の前に自分はいなくなっていた。
代わりに、——男の子が映っていた。
白く長い髪を結った、褐色の肌の男の子。人間の年頃でいえば、十二、三歳ぐらい。
耳は尖っていないが、どこかデザートエルフの面影のあるその子は、リンネの驚く顔をそのまま浮かべていた。
「この子……だぁれ?」
「その子自身に聞いてごらん」
ホーマーは穏やかに言った。
リンネは自分でもわからないが、鏡に片手を添えていた。
男の子も、反対の手を鏡越しに合わせてくる。
突然、リンネの手が鏡に沈み込んだ。
驚いて、片手を引き抜こうと手首を掴むが、もがけばもがくほど、手は鏡の中に吸い込まれていく。
「ホーマーさん! これ何――」
「怖がることはないよ。その子が優しい子なのは、きみはもう、とっくに知っている——」
その言葉を最後に、リンネの全身は鏡に沈み込んだ。
鏡の中の世界は——水中をもがいているような息苦しさと圧迫感があって、どこが水面かもわからないまま、リンネは滅茶苦茶にもがいた。
そのとき、目の前に、にゅっ――と褐色の細い腕が下りてくる。
考えるより早く、リンネはその手を握っていた。
華奢な見かけからは想像もつかないほど、力強く引き上げられる。
「っぷはぁ!」
口にたまった水を吐き出して、肺に酸素を取り込もうと激しく呼吸していると、その横に、全身が濡れた少年も座り込んでいた。
しりもちをついたところに、小石の感触がある。
ここは川辺のようだ。
「いきなり水中に現れるからびっくりしたよ。ニンフかと思っちゃった」
必死に息をするリンネに、その子は優しそうに笑いかけた。
あの、鏡の中にいた男の子だ。
とすると――ここは魔法の鏡の世界?
どこか現実感がないまま、リンネは溺れていたところを救ってもらった礼を言った。
「きみ、どこから来たの?」
「わ……わかんない」
鏡の中から来た、なんて言ったら信用をなくしそうだ。
「でも、きみ……エルフだよね? 森から来たんじゃないの?」
「あ、そういうんじゃなくて……ちょっと、フクザツなの」
詳しく経緯を話したら、大変な時間を食うことになる。
リンネがそう答えると、少年は川の面に視線をやり、「そうなんだ」とだけつぶやいた。
「そういう人は、この世界にたくさんいるから……」
年よりも大人びた口調。
リンネは、一気に彼が気になった。
「お名前……聞いていい? わたしは、リンネ」
リンネが名乗ると、少年は、まるでそれを聞けるとは思っていなかった、と言わんばかりに意外そうに目をひらいて、
「ぼくは、シロルだよ。よろしくね、リンネちゃん」
と、名乗って、微笑んだ。




