月の満ち欠け
森の方から「クエ―!」とナイトバードの声がして、その場の全員がそちらを振り返った。
けがを負ったナイトバードの後から、クロトやセロニアス、ミトたち、帝国との交渉に向かった人々が姿を現した。
その中には、アイオーリア自身の姿も。
「いったい……何があったんだ……」
師匠は半ば呆然としながら、仔オオカミの亡骸と、それに縋って泣くきょうだいたち、ランカ率いるハーピーの群れと、大量の獣と人間の死体を見やった。
その中で、リンネは唯一立ち尽くしていた。
師匠の顔を見ると、何か言おうとしたら、また泣き出してしまいそうだったからだ。
だが、それでも――リンネは話した。ウルリーフと交渉団を追ったところ、奇襲を仕掛けようとするシャドウウルフたちと戦ったこと、ウルリーフは獣たちをすべて倒したが——隠れていた人間の兵士たちから、リンネを守るので手一杯だったこと。
ウルリーフが亡き後、通りがかったランカたちハーピーの助力があって、命を救われたこと。
ウルリーフを喪った悲しみと罪悪感で、頭の中は滅茶苦茶だった。
だが、自分が弱いせいでこうなった、ということだけは、混乱する頭の中でも明白な事実だった。
「ねえちゃんたちを、まもりたくて……役に立ちたくて……! でも、わたしじゃ、だめだった……!」
泣いて、鼻を啜りながら、許しを請うように言う。
誰もが残酷な現実に言葉を失う中、唯一――アイオーリアがリンネの前に出た。
「ねえちゃ……」
誰よりも守りたいと感じたその人は、感情を感じさせない顔でリンネを見下ろすと、黙って右手を振り下ろした。
強い平手打ちを食らい、頬どころか、口の中まで焼かれるような感覚に驚くリンネは、さらに驚いた。
アイオーリアは膝をついて、リンネを抱き締めた。
言葉が出てこないほどに、強く。
「……あなたを失ったら、私のやっていることのすべての意味が……なくなるのよ……!!」
肩越しで彼女の表情は見えないが、声は泣いていた。
息も苦しいほどに抱擁されながら、リンネは、自分が間違っていた、ということを何度も自覚し、無力感のあまり、吠えるように泣きじゃくった。
「たとえ世界じゅうの人々を救えても、あなたひとりがいなくなってしまえば——私はこんな世界に意味なんて感じない!!」
ごめんなさい、と言おうにも、泣き声は言葉にならなかった。
ただ、姉が今でも自分を想ってくれていることを知って、嬉しい以上に――苦しかった。
彼女の今までとった言動の意味を何も理解せず、自分は無謀を冒し――大切なひとを、喪った。
アイオーリアの腕から離れても、リンネは泣き止むことができなかった。
今までかたくなに封印していた本音を吐露してしまったアイオーリアは、いっそう無感動な表情で立ち上がった。
そのとき、大きな風が吹いて、一体の黒いドラゴンが平地に着陸した。
「申し訳、ございません……お嬢様の監督が行き届かず……大変な事態を招いてしまい……」
現状を見渡したアンジュは、それだけですべてを理解したように苦しい声で謝罪した。
「かまいません」とアイオーリアは叱責するでもなく、平常の声で言うと、
「この子たちを……ザヤに送り返しておあげなさい。そして、すぐにこの子の家族たちの手で、埋葬してあげるのです……」
「承知、しました……」
アンジュが呼びかけると、泣いていた仔オオカミたちも責任感を覚えたのか、兄の亡骸をそっと抱えて、黒い竜の背に乗った。
リンネがその後に続こうとすると、後ろからクロトが声をかけた。
「自分の力量を、見極めるのは大切なことだ。特に……お前は子どもだ。その身体で、大人についていこうとしなくていい。アイオーリアも言ったように、お前はたちは自分の身を守ることが何よりの——」
師匠の言葉に、リンネは振り返った。
涙に濡れた顔が引きつって、上手く動かせない。
自分が子どもだなんて、自分が何よりわかっているのに――だからこそ、早く大人になりたいにのに。自分を子どもの世界に閉じ込めたがっているかのような師匠の台詞に、リンネは彼に感じたことのない苛立ちを感じた。
「師匠の——うそつき!! 自分だって、子どもの頃に魔王を倒しにいこうとしたくせに!! なんでわたしには――みんなの役に立ちたいと思うことすら許してくれないの!?」
リンネの反論に、クロトは言葉を呑んだ。
「師匠は、ずるいよ!! 自分だって子どものくせに、世界を救ったりしたくせに!! 師匠が言うように大人に任せておけばよかったのに!! 自分だって子どもだったくせに!! なんでわたしには同じようにやらせてくれないの!!!」
リンエの大絶叫が、静かな月夜を貫いた。
弟子に暴言を吐かれたクロトは、特に怒るでもなく、少しばかり表情を曇らせただけだった。
「行動には、責任が伴う………〝俺たち〟は、その責任をとっている真っ最中だ。
お前も、今夜とった行動の責任を……負いつづけるだろう。おそらく、永遠に……」
リンネは、その言葉に、はっとなった。
「できることなら……弟子にはそうなってほしくなかった」
クロトは、悲しそうな顔をしていたのだ。
リンネが見たこともないほど、深い悲しみに包まれた表情――。
リンネは今のが失言だったことに気がついた。
「師匠……ごめん、師匠の気持ち、ぜんぜん考えてなかった――」
「もういい………わかってもらえなかったことも含めて、師匠の責任だ。
さあ……早くアンジュに乗って、〝その子〟を弔ってやれ」
クロトは沈んだ声でそう言うと、杖でアンジュの背中を指した。
リンネはもはや何も言えず、黙ってアンジュの尻尾を伝って背中に乗った。
「それでは、皆様を送ってきます——皆様も、お気をつけて……」
そう言って、大きな翼を羽ばたかせたアンジュは、夜の空に消えた。
「帝国の犬どもめ」
彼女が去った後、ミトは我慢していた言葉を吐き出すようにして言った。
「やつらには、こちらとまっとうに交渉に臨む気などなかった……そのせいで、子どもがひとり死んだんだ! 奴らの調子に合わせていたら――あの子だけじゃない、多くの子が血を流すことになる!!」
「この先も、襲撃はあるだろうね」
激高するミトに、デーナは冷静さを保って言う。
そこに、ランカがアイオーリアに、王族同士の挨拶を行った。
「同じ非人間族の王として、協力を申し出る。あのような闇夜に紛れた奇襲はこの先も考えられる。われわれは分散して飛び、空から帝国の尖兵を見張ろう」
「ありがとうございます……ランカ女王陛下。願ってもないご助力です」
「ねえ、女王陛下……私は、王女様の影に隠れてていいかしら?」
ベベーネが、今まで会話を静観していたエリザベスに提案する。
彼女は「なるほど……良いアイデアね」と人差し指で顎を触れると、うなずいた。
「王女様の身を守るなら、やりすぎってぐらいでちょうどいいかもしれないわね。任せたわ」
「ありがとうございます……! 王女陛下、よろしいでしょうか?」
「ええ……お力添え、感謝いたします」
「気をつけろ、ベベーネ。お前に何かあったら、余は……」
伴侶の心配そうな声に、ベベーネはくるっと振り返って笑顔を浮かべると、
「だいじょうぶ! 私たちはもうふたりでひとつですもの。離れていたって互いを守れます」
「もぉ~♡ 惚気けちゃってぇ。夢の世界を通じて知ってるんだからね~、アナタたちの新婚生活がどれだけ豊かか……♡」
「いや~ん♡ 女王陛下ったら♡ お人が悪いんですから♡」
「え……何、見られてたのか? こいつに全部? うそだろ……」
ベベーネは恥じらい、ランカは絶望を浮かべながら、それぞれにエリザベスを見た。
クロトは弛緩した空気を引き締めるように、咳ばらいをひとつ浮かべると、
「こうしているあいだにも時間のロスだ。もうすぐ夜明けだし、出発しよう。これ以上、夜闇に紛れた襲撃を受けると厄介だ」
「ええ……そうしましょう」
こうして、ハーピーの護衛を加えた交渉団は、ふたたび出発した。
月は空に引き上げつつあり、闇はその領地を狭めたが——帝国の牙は、これからも迫るだろう。
帝都への旅路に臨む誰もが、そう予感していた。




