オオカミの王・前編
アイオーリアたち交渉団は馬車で帝都に向かった。
夜は野営を敷いているはずだから、ナイトバードに全力を出させれば追いつけるはず。
子どもたちの予想は当たった。
連合兵士を避けるため、街道を避けて森の中を走っていたふたりは、やがて丘から開けた土地を見渡しした。
彼方に焚火の細い煙がたなびいているのを見つけた。すぐそばには馬車が停まっていた。
「やったぁ! 追いついた!」
「お姉ちゃん、ちょっと待って……!」
ウルリーフはナイトバードを停止させると、くんくんと忙しなく鼻を動かす。
彼の耳は何かの物音を逃すまいと、ピンと立てられている。
「獣の匂いがする……! しかも大量に!」
ウルリーフは、丘から離れて森の中に戻った。
ナイトバードにギャロップを止めさせ、慎重な足取りで森の中を進ませる。
「ウルリーフくん、大丈夫? オオカミの群れ……とか?」
「違う……多すぎる! 匂いは森中に広がってる!」
そのとき、リンネの目も異状を捉えた。
森に落ちた深い影の中で、何かが動いた。
リンネが視認した瞬間、それは影の中に溶けるように沈んでいった。
その光景を同時に見ていたウルリーフは、確信に満ちた声をあげた。
「シャドウウルフだ……影の中を移動できるオオカミだよ。魔境にしかいないのに……誰か……魔獣使いがいるのかも!」
「それってやばいやつ……?」
「うん……影に溶け込んで移動するから、魔力の反応も消せる。魔導士さんでも襲われるまではわからないかも……」
「で、でも、今日は満月だよ! 平野のほうは月明かりが……あっ!」
リンネは言いながら空を見上げて絶句した。
月に、翳りができている。まだ全体を包むほどではないが、たしかに雲が立ち込め始めていた。
平野が完全な影に落ちるまで、いくばくもないだろう。
「うーん……多分、あいつら魔獣使いに調教されてるだろうけど、群れにアルファがいるはずだ。ちょっと、からかってやろう」
一計を案じたのか、ウルリーフはどこか楽しげにつぶやいた。
リンネが何をするのかと思っていると、彼は天を仰ぎ、大きく咆哮した。
仔オオカミだった頃からは考えられないほど、大きな、威風堂々とした咆哮だった。
森の中がにわかに騒ぎ始める。
影の中に偲び、狩りの瞬間を待っていたシャドウウルフたちが、アルファ級の力強い咆哮をあげる個体を感じとり、群れ全体が緊張している。
「ウォオオオ――――ン!!!」
叫びながら、ウルリーフはナイトバードをギャロップで走らせた。
突然現れた強い個体の叫びにつられ、狩りどころではなくなったシャドウウルフたちが、影の中を這い出し、怒った声をあげながらナイトバードを追いかけてくる。
「へっへー! 思った通り! いくら調教されても、売られた喧嘩は買うところは変えられないよね!」
「このまま姉ちゃんたちから引き離せる!?」
「やってみよう!!」
姿を現したシャドウウルフたちの追跡を受けながら、ウルリーフはナイトバードを疾駆させた。
闇のオオカミたちの数は、大量だった。普通のオオカミの群れの規模ではない。
魔獣使いによって調教され、統一された軍隊だったのだろう。
だが、オオカミの血を持つことを逆手にとられ、獲物とは正反対の方角を追っている。
「あっ、良いの見つけた! これ、浴びちゃえー!」
リンネはバッグから小瓶を取り出すと、キャップを外し、中身を後ろに向けて振りまいた。
異臭を嗅がされ、「キャン!」「キャン!」と悲鳴が連鎖し、ぼわんと煙が爆発する。
その中から出てきたのは、オオカミだが、猫のような耳と尻尾を持つ妙な生き物だった。
「アンジュを猫にした薬、予備で作っててよかったー!」
「すげー! あいつら猫になっちゃった! オオカミなのに!」
変化したオオカミたちは、急に猫の本能に目覚めたことに驚き、群れへの忠誠を忘れて、わけもわからず互いに飛びかかった。突然仲間のオオカミたちがシャドウにゃんこになってしまい、群れ全体が困惑するのが伝わってくる。
「やっぱおねえちゃんてサイコー!」
次第に森が開けて、べつの平野が現れた。
その頃にはもう月は雲に隠れ、平野には影が落ちている。
「戦うならここしかない……おねえちゃんはこのまま乗ってて!」
ウルリーフはそう言って、手綱をリンネに預けると、ナイトバードを飛び降り、即座に剣を構えた。
シャドウウルフたちは、現れた獲物を前に、影の中を縦横無尽に移動しして、彼を囲み始める。
だが、その統制をふたたび「ワン!! ワン!!」というウルリーフの吠え声が乱す。
今の彼は、父親に代わって群れを率いるアルファだ。
敵のボスに吠えかかられて、弱気を誘われる個体が出てくる。
そういうオオカミから影から飛び出し、ウルリーフを仕留めようと牙を向けるが、その首を彼の剣が叩き伏せる。
彼は常に吠え声で敵を挑発しながら立ち回った。
ナイトバードとリンネに意識が向かないように、常に己を的にしながら。
恐怖に耐えられなくなった仲間から順にやられていくので、相手の群れのアルファもしびれを切らしたようだ。
ゆっくりと影の中から巨大な漆黒のオオカミが出てくる。
「グルルル……」と威嚇の声を発しながら、ウルリーフの前に慎重に対峙する。
敵は、ボス同士で決着をつけたがっているらしい。
敵の総大将を前に、若き長であるウルリーフはぺろりと舌なめずりをすると、剣を持って待ち構えた。
「ウォオ――――ン!!」
長同士の咆哮が重なる。
敵のリーダーは、大きな身体からは想像もつかない俊敏な動きであちこちの影の中を移動すると、自分の居場所をまったく掴ませない。
一見——どの方角から向かってくるかわからない。
だが、ウルリーフには敵と同様、唯一無二の武器があった。
「そこだっ!!」
斜め後ろから飛び出してきたボスオオカミを、ウルリーフは縦に切り払った。
「ギャィィン!!」と悲痛な声を発し、闇色のオオカミは無様に転がった。
リンネには意味がわからなかったが、それは当のウルリーフがすぐに答え合わせした。
「強いやつの〝臭い〟ぐらい、わかるんだよ。俺もオオカミだもん。影に紛れて魔力を絶とうが……原始の頃からの俺たちの嗅覚は変わらない!」
ボスは脚を斬られて立ち上がることもままならない。
群れの長が一撃で斬り伏せられ、群れにも動揺と恐怖が伝わる。
ウルリーフは、作戦ではなく恐怖のために影の中に隠れている連中に向かって、今一度咆哮した。
「意気地なしどもめ!! それでもオオカミか——! ギャッ!!」
そう叱咤した彼の肩を、一本の矢が貫いた。
「ウルリーフくん!!」
彼の心配をする前に、ナイトバードも「グエっっ!!」と苦しそうな声をあげて、身を振るい立てた。
その勢いでリンネは地面に落とされる。
見上げると、ナイトバードの翼にも矢が刺さっていた。
ナイトバードは背が高すぎて、リンネひとりでは乗れない。
「クエクエちゃん……逃げ、て……」
自分の身を守ることを諦めたリンネは、ナイトバードが次の矢でやられる前に逃げるよう促した。
ナイトバードはリンネに心配そうな視線を向けると、ビュンッ!と風を切ったもう一本の矢に驚いて、全力で走り出した。
「ちくしょう! オオカミだけじゃなかった! 影に隠れてる卑怯者は!!」
ウルリーフは吠えながらリンネのもとに駆け寄る。
矢で射られ、ウルリーフが弱ったと見たのか、一匹のシャドウウルフが飛び出し、彼の肩に嚙みついた。
苦痛に顔を歪めながらも、ウルリーフは剣をオオカミの首に突き立て、ふるい落とした。
それに端を発し、次々とシャドウウルフがウルリーフを襲い始める。
彼はリンネを庇いながら、自分の身体に食らいつくオオカミたちの攻撃を受けては反撃を繰り返す。
「どこかに……人間の兵士がいる! そいつを見つけなきゃ……!」
「多分……森の方だよ! いくら暗くても、平地にはいないはず……!」
リンネは傷ついて血を流すウルリーフの手を引きながら、少しでも遮蔽物になるものを探して進む。
そのあいだにもオオカミは攻撃を仕掛けてきた。
四方から飛んでくるシャドウウルフたちを斬り返しながら、ウルリーフは次第に息があがってくる。
なんとかせねば、とリンネは焦った。
バッグの中身を漁り、使えそうなものを探す。そこで手に触れたのは、
「マナバッテリー!」
起死回生の予感を得たリンネは、喜びの声をあげる。
しばらく使ってないから、魔力は満タン。
森も平野も影に包まれて、射手の姿は探せない。
できることがあるとすれば、ただひとつ……。
リンネはマナバッテリーを持った手を振りかぶると、森に向かって投擲した。
「闇を暴き、真実の灯を灯せ――【灯火】!!」
師匠に教わった詠唱をはっきりと発音し、マナバッテリーが森の中に落ちる頃には、巨大な光があたりを包んだ。
シャドウウルフたちは逃げ場がなくなり、恐れのまじった鳴き声をあげる――その中に、人間の声もまじっていた。
驚いた射手が、目を覆って立ち上がる。
「そこかぁ!!」と叫んでウルリーフはまっすぐに斬り込んだ。
文字通りウルリーフが一矢報いた瞬間、あたりは再び闇に包まれる。
マナバッテリーだけでの魔力では、あたりを照らし続けることはできなかった。
再び闇に還った森の中で、ウルリーフはまた何かの臭いを嗅いだ。
獣に近いが——獣ではない。
その思考に至った瞬間に、ウルリーフは後ろから斬りかかられた。
シャドウウルフの毛皮を被った、魔獣使いだ。
「ウルリーフくん!!」
深手を負ったウルリーフはよろめきながらも、態勢を取り戻し、獣に扮した魔獣使いに飛び掛かった。
「ぎゃあああーー!!」
人間の悲鳴が響く。
ウルリーフは鋭い牙を男の首筋に食い込ませ、食いちぎった。
そのあいだに、闇を取り戻したシャドウウルフたちが狙ったのは——、
「あ、ああ……!」
リンネの方角だった。




