秘められた国
「入ってみよう……ウルリーフくん」
固唾を飲んで、リンネは言った。
ここが、すべての追われた人々が最後に辿り着いた楽園というのが本当ならば。
今、イオたちがやっていることにも、関係があるのかもしれない。
「う、うん……わかった。この門もいつまでひらいてるかわかんないし……早く行こう」
リンネだけ行かせるわけにはいかないと思ったか、ウルリーフも勇気を奮って言った。
ふたりは慎重に手をつないだままゲートに近づき、そのまま息を合わせ、
「「せぇーのっ!」」
と、門の中に飛び込んだ。
侵入者が現れたからといって、ゲートが閉じる様子はないようだ。
そのことに安心を覚えながら、ふたりは周囲を見回しながら道を進んだ。
大きな城を中心に、市街のようなものがあった形跡があるが、どこもひどく崩れ去り、とても人が住んでいるような状態ではない。
アスラ王が古代の時代の存在なら、今から数千年は昔の国だ。
「もう……みんな引っ越ししちゃったのかな……」
あまりに人の気配がないため、リンネは意気消沈してつぶやいた。
ウルリーフはくんくんと鼻を動かし、頼みの嗅覚を働かせながら周囲を見渡した。
「ここ……おかしいよ。長いあいだ野晒しなのに……草も生えてない。木の一本も、ないんだよ」
そう言われて、リンネは今まで歩いてきた道を振り返った。
草の根一本もない、とはこのことのようだ。日陰にになるところは苔の欠片も生えていない。
「ちょっと……気が引けるけど、お城にも入ってみよう」
リンネはそう言って、城に続く壊れた石のタイルの道を歩き出した。
近づくほどに城は大きく、大きく立派な石があしらわれていたのがわかる、しっかりした造りだったが、今は見る影もないほど崩れ去っている。
やはり、人が住んでいるような状態じゃない。
崩れた石の山を避けて奥に進むと、中庭につながる回廊を見つけた。
そこには月の光が差し込んで、今までの寂しげな光景を少し忘れさせた。
「あっ、見て! 白い木が……ここには生えてる!」
枯れた井戸のそばにもたれるようにして、一本の白い木が生えていた。
ここまで来て、唯一見つけた植物だ。
リンネは近くまで行って観察しようとした。
しかし、近づいた瞬間——木だと思っていたものは、リンネのほうを〝振り返った〟。
「おねえちゃん!」
腰の剣を抜いて、リンネの前に立つウルリーフ。
しかし、木に見えたものはそれ以上の動きを見せず、立ちはだかるふたりの姿を静かに眺めているようだった。
木の表皮と思っていた部分には、男とも女ともつかない誰かの顔が浮かんでいる。
「ああ、そこに、だれか、いるのですか」
それは目が見えないのか、月の光に縋るように枝のような手を伸ばし、せいいっぱい歓迎の姿勢を見せようとしていた。
「ご……ごめんなさい。魔物かと思っちゃって……」
その穏やかな声に毒気を抜かれ、ウルリーフは詫びながら剣を収める。
木に浮かんだ表情は、心なしか優しくなった。
「ここに誰かが来るなんて……本当に久しぶりで……そうですか。外の世界にはまだ……人々がいるのですね」
「ここは……秘められた国なんですか?」
リンネは失礼にならないよう丁寧な口調で訊ねた。
「外では、そう呼ばれているのですね」
「アスラ王様は……いないの?」
その名を聞くと、木は悲しそうに顔を歪めた。
「あのお方は……ここを去られました。わたしたち以外の民を連れ……どこかへ……」
「わたしたち……?」
「長い話は、嫌いですか?」
ふいに木に見える人にそう訊ねられたふたりは、顔を見合わせると、同時にその場に座り込んだ。
「お話きくの、大好き!」
「俺もー!」
ふたりは揃って片手をあげ、その人から話をせがんだ。
木に浮かぶ顔は、柔らかな表情を見せると、月を見上げて、静かに語り出した。
「ここは、たしかに、魔導王アスラ様が建ち上げられた国でした。人も魔物も区別なく……争いを嫌がったり、奴隷から逃げたり、国を追われた人々だけを集めて、まつろわぬものたちの最後の拠り所を作ろうとなさったのです」
イオねえちゃんと同じことしたんだ……。
リンネは、その歴史に他人事ではない何かを感じた。
かつて魔導王アスラと呼ばれた存在の至った思想に、姉もまた辿り着いたのだ。
ですが、と木は悲しそうに視線を伏せた。
「わたしたち、……もとは木の精霊、ドライアドのあいだで、流行り病が生まれたのです。
姿かたちは木そっくりになり、白く、表皮が枯れて………それは、国じゅうの植物や農作物にも移りました。白く、枯れてしまって……それがどんどん広がるものですから、植物はみな、燃やすしかなくて……」
リンネは、この国に植物がない理由に気づいた。
その先を想像して、思わず手で口を閉ざす。
「病を持つわれわれは……松明を掲げた人々に追われました。われわれの発症する特殊な病原菌が、すべての植物にも影響し……滅ぼしてしまう。過酷な食糧難と、病気への迫害で、……アスラ王の国は、バラバラになっていました。病が起きるまでは、本当に……平和な、良い国だった」
その言葉に、ウルリーフは、心当たりがある、とでも言いたげにつぶやいた。
「弱い立場の人同士で集まったのに、そこからさらに弱い人を見つけて……いじめるやつは出てくるんだ。自分だって、立場が違えばやられる側なのに……」
声には悔しさがにじんでいる。
彼を若長と慕う人々の中にもまた、弱さを理由に加害される者がいる。
それを悲しそうに聞いていたドライアドは、さらにつづけた。
「アスラ王は、お嘆きになりました。行き場所のない人々を集めて、ようやく生まれた最後の楽園だったのに、それが一瞬にして壊れてしまって………われわれドライアドが一か所に追いやられて、怒り狂う群衆に燃やされる寸前……アスラ王は、この国を封印なさったのです。病に罹ったわれわれだけをこの国に残して……。それ以外のすべての民をお連れになり、また旅へと向かわれたのです」
「病気は……治らなかったの……?」
リンネは、悲しく曇った声で訊ねた。
「さまざま手を尽くしましたが……結局、残されたわれわれにできたことは、この病を次世代へとつなげないよう……互いに結ばれることを諦めること。そして、死んだ同胞を、火にくべて、病の元を絶つことしか……できませんでした」
リンネは、喉に重たいものが詰まる感じがした。
どこかで、聞いたことがある——自分が生まれたとき、森のエルフたちはどう反応したか、姉の口から聞かされたではないか。
〝この子〟の血を遺すべきではない、と——ハイ・エルフを滅びに導くから、と。
がたがたとリンネの全身に震えが走った。
涙がこぼれ、頭の奥が痛みで疼き始める。
もう、すでに同じことはこの世で起きていたのだ。
それに気がついた瞬間、リンネは世界が音を立てて壊れるような感覚に陥った。
「おねえちゃん……!」
異変に気づいたウルリーフがリンネの肩を押さえ、震えを鎮めようとして強く抱く。
ふたたび自分の運命を突きつけられたリンネは、ウルリーフの胸の中で大泣きした。
こんな悲しい生き方を迫られるのは、自分だけだと思っていたのに。
世界はとっくに、ほかに選択肢のない——弱いものたちを率先して切り捨てながら今まで存続していたのだ。
アスラ王は、イオは——このことに、どれだけ傷ついただろう。
救おうと思った命が、指のあいだをすり抜け、てのひらからこぼれ落ちていく感触に、彼は、彼女は、どれほど——辛かったか。
(ねえちゃんは……わたしのためにたくさん傷ついて森を出たんだ……)
彼女が自身も魔法を使えない無能を装ったことに、リンネは怒りすらしていた。
それも、すべて、自分のために選んだことだったというのに。
「ねえ、ちゃぁん……ねえちぁゃん……!」
彼女が、アスラ王と同じ道を辿らずにいられるなんて、誰が保証できる。
きっと、これからも彼女はたくさん傷つく。すべての弱い人々の抱えた傷を引き受ける代償として、身を裂かれるような思いをして、それでも歩かなくてはならないのだ。
アスラ王が、ふたたびどこかの地を目指して歩いたように。
「おねえちゃん………やっぱり、姫様たちを追いかけよう」
泣くリンネの頭を掻き抱くウルリーフは、彼女にささやきかけた。
「やっぱり、帝国は危険だよ。どんな卑怯なことしてきてもおかしくない。きっと、帝都まで辿り着く前に、奇襲だって考えてるはずだ。……助けに行こう」
「ウルリーフくん……」
「だって、おねえちゃんの家族は——俺の〝家族〟だよ?」
にっかりと白い牙を見せて、彼は笑った。
リンネは、涙がだんだん止まるのを感じた。
「ドライアドさん——お話、ありがとう。大事なことがわかったよ」
「いえ、私は何も……それより、お気をつけて。あなたがたは、……アスラ王に、どこか似ていらっしゃいます。誰よりも勇気があり……それゆえ、誰よりも傷ついてきたあのお方に……」
リンネとウルリーフはドライアドに、ぺこり、と頭を下げると、ゲートまで走って向かった。
取り残されたドライアドは、井戸のそばからそれを最後まで見送りながら——最後に会えたのが、彼らのような子どもたちだったことに安堵した。
もう身体の感覚はなかった。
だが、最後の力を振るい、ドライアドは井戸に身を投げた。
同胞の燃え滓が積み重なった井戸の底には、とっくに水など残っておらず――皆が使った火打ち石を拾って、ぱちん、と火花を生む。
長らく感覚のなかった自分の肌に、久しぶりに、暖かいな、という感覚が広がって、それはあの子どもたちの顔を見たからだろうと、改めて感謝を覚えた。
井戸から、白い煙がたなびいて、月に誘われるように、昇っていく。
とても静かな、夜だった。
「おねえちゃんに見せたいものがあるんだ!」
リンネの手を引っ張り、ウルリーフが連れてきたのは厩舎だった。
本当なら馬たちが並んでいるはずだが、そこにリンネは久しぶりに見た姿を発見する。
「ナイトバードだ!」
「クエ~~~!」
「魔導士さんが、俺たちの旅に必要だろうからってくれたんだ。俺にすっかりなついてるから、ふたり乗りも楽勝だよ!」
ナイトバードはリンネを見ると盛んに鳴き、あのときようになでてもらおうと首をかがめた。
リンネは鳥の頭や首筋をなでてやっていると、後ろからすっぽり抱きかかえられ、鞍の前に座らされる。
「ナイトバードは、砂地じゃなくても早いんだ! ブッ飛ばすぞー!!」
そう言って、ウルリーフは鳥に合図する。
ナイトバードは助走もなくいきなり猛然とダッシュを開始した。
眠りに落ちたザヤの街並みを一瞬で通り越し、森の中に景色が映るのを見て、リンネは、まるであのときの旅の始まりのような昂揚感を感じ、拳を天に振り上げた。
「いっくぞー! 今度こそ、ねえちゃんを守るんだっ!!」
「俺と一緒にねーっ!!」
「クエーー!!!」
夜空に雄たけびをあげながら、ふたりと一羽が森を駆け抜ける。
空に浮かぶ満月には、かすかな雲が立ち込めて、だんだん曇りを帯び始めていた。




