誓いの夜
リンネは、周りの雑踏も、世界の何もかもが止まったような感覚がした。
ウルリーフの言った言葉の意味が、わからないわけではなかった。
でも、結婚、だなんて。
そんなの、大人になってからの話だと思っていた。
でも、ウルリーフは真剣なまなざしでリンネを見つめて、膝をつき、プロポーズしたのだ。
「ここじゃ……ちゃんと話せないね。場所、変えていい?」
「う、ん……わかった」
立ち上がったウルリーフは、どこかそわそわと落ち着きなくリンネを振り返った。
彼の手が中途半端に持ち上がっているのに気がついて、リンネはその手を握った。
さっきまでふつうに握っていたのに、今やめるなんて、それもおかしなことだと思ったから。
ふたりは歩いて、神殿の裏にあるひと気のない場所に移った。
そこには誰かの姿を象った像がいくつもあって、真ん中にユニティアと思しき女神像が配置してあった。
「あのさ……さっきは唐突だったけど、俺、本気なんだ。本気で、おねえちゃんと結婚したいと思ってる」
像を眺めていたリンネは、声を低め、真剣に語りかけるウルリーフを振り返った。
初めて会った頃から、想像もつかないほど彼は大人になった。
でも、飾りけのない言葉や、ぶっきらぼうな感じはするけれど、優しくあろうとも努めている口調は、あの頃のままだ。
「俺、家族、みんないなくなってさ……寂しいんだ。昔の俺のことを知っている人は、エスメラで奴隷だった人たちだけで……みんな、今は俺のこと『若様』って呼ぶ。そんなの、俺じゃない、ってときどき言いたくなる。……でも、みんな、頼る人がいなくて……困ってるから、俺ががんばるしかなくて………そんなのが続いているうちに、おねえちゃんとまた会えて……昔みたいに、笑えるようになってた」
きっと、彼には弟や妹がたくさんいたから。
自分より年下の子たちと話すほうが慣れているから、「おねえちゃん」相手にはまだどういうしゃべり方が良いのか、掴めていないのかもしれない。
「おねえちゃんと会えて、すっげー嬉しかった。毎日、笑ってばっか。おねえちゃん、面白いんだもん。それに優しいし……おねえちゃんと結婚したら、毎日ゲラゲラ笑えて、すっごく楽しいと思う。だから……結婚してほしい」
「わ、たしも……ウルリーフくんと一緒にいると、楽しいよ……面白いし、毎日楽しいことだらけで……」
ザヤに来てから、師匠は姉たちと話し込んで、あまりかまってくれなくなった。
ほかの仲間も、非人間族の運命を重く捉えていて、毎日話し合いに参加している。
なのに、リンネは子どもというだけでそこからはしごを外される。
今この土地で、自分と同じ立場だと胸を張って思えるのは、ウルリーフだけなのだ。
でも、わからない。
それって、結婚していいってこと?
もちろん、彼のことは、大好きだ。
でも、師匠や仲間たち、姉や家族のことが今でも好きなように、その〝好き〟に違いはあるのだろうか?
そんな半端な気持ちで受け入れたら、彼を傷つけるのではないか?
リンネは、幼い頭なりに葛藤を感じた。
ウルリーフの気持ちが真剣だとわかるからこそ、自分も真剣に考えなければならないと思った。
「俺……おねえちゃんと結婚したら、おねえちゃんを守るよ。おねえちゃんといっぱい笑える暮らしを、全力で守る。〝若様〟としてじゃなくて、〝俺〟自身として……おねえちゃんのこと、愛してるから、好きだから、守りたい。そんなふうに思えるひとが、そばにいてほしい——」
ああ、そうか、とリンネは合点がいった。
彼は、ずっと寂しかったんだ。
両親とも死に別れ、きょうだいたちも亡くし、今の彼には、群れを束ねる責務だけしか残っていない。
彼の寂しさを思うと、胸がぎゅうと締めつけられた。
彼のそばに、誰かがいてほしいな、と思った。
彼の寂しい心を癒してくれる、大切な誰かが。
(——それって……わたしでもいいのかな……?)
答えなら、もう出たような気がした。
リンネはうつむきながら、「……うん」と言った。
「……わたし、ウルリーフくんと結婚する。ウルリーフくんの、大切なひとになりたい」
言い慣れない言葉に、いくらか恥ずかしさを覚えながらも、リンネはたしかにそう告げた。
その瞬間、ウルリーフは沈黙して——数秒後、「よっしゃー!!!」と嬉しそうなハスキーボイスが響いた。
「やった! やったー!! おねえちゃんと結婚できるっ! やったやった!! おねえちゃんとっ、家族にっ、なれるんだっ!!」
その場を何度も高く飛び跳ねて喜びを表す姿に、リンネは笑ってしまった。
自分と結婚するのがそんなに嬉しいなんて思われたら、リンネだって、嬉しくなる。
「あっ、そうだ……あのさ、これ、受け取って」
はたとわれに返ったウルリーフは、懐に手を突っ込むと何かの小箱を取り出して見せてきた。
そこには小さな赤い石と、緑色の石を嵌めた指輪がひとつずつ入っていた。
「俺を奴隷にしようとしたうそつきババアの家から盗んだんだ。きっと、貴重な宝石とかだと思う。売り払って、家族のお墓でも建てようかと思ってたけど……こういう使い方のほうが、みんな喜んでくれる気がする」
そう言って、「どっちがいい?」と訊ねてくるウルリーフに、リンネは「う~ん……やっぱり緑かなぁ」と答えた。
それを聞いて、ウルリーフはどこか恭しい手つきで緑の石の指輪をリンネの薬指に嵌めようとした。
「あー、ブカブカ……」
「あー、だよね……っつか、俺も多分これ入んないや。人間サイズだもん」
細い薬指に、指輪がすとんと落ちてしまう。
ウルリーフの手もかなり大きいから、指輪はお互いつけられないだろう。
「あ、じゃあ、紐つけてあげる。丈夫な紐持ってるんだ。ちょっと待ってて……」
と言って、再び懐に手を入れたウルリーフは、道具袋の中から革紐を取り出し、牙で噛みちぎって適当な長さにすると、指輪を通してぶらさげた。
固く結び目を作って、リンネの首にそっとかける。
胸元にさがった緑色の石を見て、リンネは、なんか、結婚っぽいかも、と思った。
ウルリーフも自分に赤い石の指輪を紐で通してぶら下げる。
「へへへ……お揃いだね」
ウルリーフは指輪を爪の先でいじって、嬉しそうににやにやと笑みをこぼす。
リンネは緑の石をしげしげと眺めていると、そこから小さな光がこぼれたことに気づく。
「あ……もう夜だったんだ」
「しかも……満月、だね」
月の光を浴びて、赤と緑の石は小さくきらきらとかがやく。
「もしかして……これって、結婚式ってことになるのかなぁ?」
「どうだろ……でも、指輪交換? ってやつ? やったよね?」
「でも、神父さんもいないし、なんか締まらないね……あ、いいこと思いついた!」
ぽん、と手を打つと、ウルリーフは嬉しそうに言った。
「おねえちゃん! お話考えてよ! 俺たち、お話の世界の住人として結婚しました、ってことにしたら、式をやらなくても寂しくない! 思い出にもなるし!」
彼の提案に、リンネは驚いた。
それって……素敵かもしれない、と思ったのだ。
リンネは「じゃあね、ええとね……」と頭の中で言葉を探しながら、近くに落ちていた一本の枝を見つけた。
それでウルリーフの周りに円を描きながら、リンネは語る。
「ウルリーフくんは、どこかの国の王子様。わたしも、どこかの国のお姫様で……ふたつの国は戦争してたんだけど、わたしたちが結婚するから、平和になるの」
そう言って、自分の周りにも円を描く。
その円の中は、それぞれの国だ。
「じゃあ、俺、焼き肉好きだから、焼き肉の国の王子がいい」
「じゃあ……わたしは、サラダの国のお姫様!」
「たしかに戦争してそうだね……でも、俺たちの結婚で平和になるんだ!」
ウルリーフが喜びの声をあげると、リンネも笑いながら、ふたりの円をつなぐ、もうひとつの円を描いた。
「けんかしていた国同士は、お姫様と王子様が仲良くなって、けんかをやめました」
「それで一生、幸せに暮らしました——だね?」
「うん! お話の世界だと、いつもそう!」
リンネがうなずくと、「へへっ」とウルリーフは恥ずかしそうに鼻の横を掻いた。
「俺……これからは野菜も食べるよ」
「ううん、いいんだよ。ウルリーフくんは、ウルリーフくんらしくしてて」
「ううん……おねえちゃんの国のこと、知りたいから食べるの。結婚したら、おねえちゃんの国だって俺のふるさとみたいなもんだし……」
リンネは、初めてその言葉で、どきん、と胸がはずんだ。
ウルリーフがそこまでこのお話を気に入ってくれたことも、彼がそこまで歩み寄ってくれることも、嬉しかった。
「へへ……」
「えへへ……」
どちらともなく笑い合い、しばらく言葉はなかった。
しかし、やがてウルリーフは恥ずかしそうに顔をそむけると、
「き……キスとかは、恥ずかしいから、もっと大人になってからやろうね……」
「え!? あ、うん……そっか……それがいいね……」
そうか。結婚したら、するのか、キス。
みんなに結婚したなんてことを言ったら、きっと驚くだろう。
師匠あたりは、反対するだろうか?
でも、リンネの胸にはまだイオの言葉がひっかかっていた。
——子どものあなたにできることはありません。
その言葉を思い出すと、かっと頭に血が上りそうになった。
子どもだからって、何もできないと思ってる。
そんなリンネが、自分の力で夫を見つけた、と言ってやったら、イオはどれだけ驚くだろう?
それを考えると、悲しい、怒りたい気持ちが、少しずつなくなる気がした。
「あ……そうだ、結婚式なのに、音楽ないの寂しいよね」
そう言って、リンネはマントをはだけてオカリナを取り出した。
「おねえちゃん、それ吹けるの?」
「自分で練習して、やっと思った通り音が出せるようになっただけだけど……ないよりいいかなって思って」
ぱー、ぽー、と音を鳴らす。
オカリナの素朴な音色は月の夜によく合う。
ウルリーフは「きれいな音だね」と褒めてくれたので、何か一曲やってみようかなという気分になった。
なんの曲も教わったことはないが——ただひとつ、最近心に残っている曲があった。
あのアオサギの吟遊詩人が、二胡という楽器で弾いてくれた音色。
どんな題名の曲なのかは知らないけれど、まるで夢を見ているみたいな気分になった。
思い出せる限りの曲調のイメージを、オカリナの音色で奏でていく。
風に揺られて、しなる蔓草のささやきのような、細い音。細い月をそのまま爪弾いたような、寂しげだが高く昇っていくような調べ。
――そのとき、ユニティア像たちが囲む空間が、歪んだ。
リンネの師匠が杖を取り出すときのように空間が歪曲し、収束した頃には、眩い光があたりを包む。
とっさにウルリーフはかがんでリンネを光から庇う。
光が穏やかになって、目を開けられるようになった頃には、ふたりは驚くものを目にした。
空間に、穴が空いている。
こことはまったく違う景色に通じる、大きな穴が。
ユニティアの像たちは、それを囲むようにして立っていたのだ。
「こ、これ……なんだろ……」
「わ、わかんない……」
ふたりは身を寄せ合い、突然現れたゲートに警戒しながらも、目が離せない。
その穴の向こうは、道になっていた。それが伸びる先に、古びて、崩れ去った大理石の城のような巨大な廃墟が立っていた。
(お城………?)
こんな女神像の膝元に、誰かが隠していたとしか思えないゲート。
その先につながっているのは、とても大きな、古いお城で——。
リンネは、至った直感をそのまま口にしていた。
「………秘められた国………」
魔導王アスラが、この世界のどこかに隠したという、古い国。
それが、ふたりの目の前に広がっている。
まだ幼い子どもたちを誘うように、ゲートは大きな口を開けて、ただ待っていた。
——数千年ぶりの客人を求めて。




