大人と子ども
ミトは会議室から離れた廊下の壁に、リンネを追い込んだ。
「なんで、あんなばかなことを言った! 今のイオは——アイオーリア様はわれらが主君だぞ!! もう昔のように冗談を交わせる間柄ではない!」
ミトは美しい顔を険しくさせ、腕を組んでリンネを見下ろした。
真っ向から叱られて、リンネは顔を伏せると、声を詰まらせた。
「うぅ……だって、ねえちゃん、ずっと怖い顔して……笑って、ほしくて……」
「あの方は——笑顔など捨てたのだ! 自分以外のすべてのために! それは、お前のためでもある、リィン=ネーデ! 〝お前のような弱い者〟を守るために——」
その言葉に、リンネはきゅっと唇を引き結んだ。
何度も突きつけられてきた事実に、揺らぎそうになる。
だが、師匠の言葉は今も胸に残っている。自分は、たしかに弱い。
それは、これから強くなるためなのだ。
「――あのさぁ、おにいちゃん、ちょっとおねえちゃんいじめすぎだよ~?」
ぬうっ——とミトの背後に、彼の背を遥かに凌ぐ獣人が立った。
ウルリーフだ。彼も人狼一族の代表として、会議に参加していたのだ。
だが、自分より遥かに大きい獣人を前にしても、エルフの騎士であるミトは気おくれひとつしなかった。
「会議に不必要な発言をした者は、戒めを受けるべきだ。リィン=ネーデは子どもゆえに会議の空気を読めなかった。それを教えてやらなければ、同じ失敗を重ねることになる」
「う~ん……なんかさぁ、おかしくない? あのエルフの姫様は人権ってやつをみんなにあげたいんだよね? おねえちゃんの発言する権利を、おにいちゃんが奪ってない? それって人権はく奪ってやつじゃない?」
ウルリーフは訝しそうに目を細め、ミトの生真面目な顔を睨みつけた。
その反論は予想していなかったのか、ミトの表情にかすかな焦りが生まれる。
「あの場でリィン=ネーデは殿下の顔に泥を塗る発言をした。発言の自由はあっても、適切かどうかはべつだろう!」
「え~、でもおねえちゃんはただ姫様の好きな食べ物言っただけじゃん。それってシツレーなの? それにおねえちゃんは、会議で疲れてるみんなのために発言したんだよ? それが王女様に恥をかかせたっていうのは、周りの大人が勝手にソーゾーしてることなんじゃない?」
ミトの顔が明らかに変わった。
怒りで頬を染めたミトは言い放つ。
「子どもの屁理屈を並べ立てるな! くだらん——お前たちの言葉遊びに付き合うつもりは、」
「やめなよ、ミト。今のあんた、相当みっともないよ」
ミトが声を荒げかけると、それを制するようにデーナが現れた。
彼女は睨み合うウルリーフとミトを見つめると、互いの肩を押して、間隔を空けさせる。
「子どもにだって発言の自由はある。それは間違ってない。正論突かれてキレてるガキはあんただよ、ミト。あたしだってナス好きだし」
「デーナ……お前まで!」
仲裁されたうえ、咎められてプライドを傷つけられたミトはさらに反論しようとしたが、その口を思いきりデーナのてのひらが押さえた。
「むぐぐ……!」
「怖がらせて悪かったね、リンネ。こいつにはあとできつく言っておくから。あと、姫様も多分そんな気悪くしてないよ。あのままだと会議が成り立たなかったから、仕方なく席を外させただけだ」
「う……うん、ありがと、デーナ」
デーナだけは、かつてのようにふるまってくれる。
そのことに感謝を覚えたリンネは笑いかけると、デーナもふっと口元を緩ませた。そして、何か言いたげなミトのフードを引っ張り、どこかへと連れていく。
「まったく、大人って頭かってー」
「ミトは、群れでも一番怒りっぽかった。ルールとか、どうやってみんなを生かすか、いっぱい考えてるひとだったから……仕方ないのかも」
「ふーん」
ウルリーフは退屈そうに頭を両手で抱えると、やがて思い出したように言った。
「あ、でも、おねえちゃんのだじゃれサイコーだったよ! 俺、笑い堪えるの必死だったし!」
にっこりと牙を見せて笑うウルリーフに、リンネも「ほんと!?」と顔を明るくさせる。
「最近、だじゃれハマってるんだー! 自分でもいっぱい考えて、ノートに書いてる!」
「すげ~! だじゃれ研究者じゃん! 俺もなんか考えよう……うーん、うーん……『オオカミのおおきなおかみさん、トイレで困った、おお!紙がない!』」
リンネは床に崩れ落ちた。
床を拳で殴りつけ、「ぎゃははははは!!!」と泣きながら笑っている。
「やったー! 俺って天才かも! よーし、どんどん考えるぞ!」
「やだー!! もうやめてー!! これ以上笑うとお腹痛くなっちゃうー!」
神殿の廊下に、子どもたちの笑い声が響いていた。
いつもの帝国の朝議に、城の重鎮たちが顔を突き合わせていた。
議題はむろん、戦争の動向だ。カダーヴェルが牛耳るシュラバトの前線の状況に始まり、各地での魔族との争いについて議論が始まる。
その永遠に続くかのような議題を、皇帝、エルガザ三世は物憂い顔で見守っていた。エルガザは、十年前に皇帝に即位し、若干二十歳すぎの若者だった。即位したときは、子どもでしかなかった。
だが、子どもながらに戦争で苦境に陥る民のことは憂えてきた。
今も戦が続き、帝都に貧民も増えた。西方からの難民の流入も止まらない。
果たして、この状況がいつまで続くのか——。彼がそう苦悩したとき、議会の頭上に、ばさり、と悪魔の翼を翻す女が現れた。
「ごきげんよう——陛下。夢魔族の女王、エリザベスですわ」
浮遊しながら胸に手を当て、皇帝に一礼するエリザベス。
誰もが「魔族だ!!」と恐怖を叫び、衛兵を呼び寄せようとした。
しかし、その瞬間、エリザベスは唱えていた。
「――≪逆夢跋扈≫」」
会場はたちまち桃色の銀河に包まれ、議会の参加者以外、誰も立ち入れない異空間となる。
強大な魔族の作り出した結界に閉じ込められた政治家たちはパニックに陥り、叫んだり、椅子を放り投げて空間を破壊しようとしたり、さまざまな反応を示したが——唯一、エルガザだけは着座していた。
彼の前にエリザベスは舞い降りると、艶めかしい指先でつまんだ文書を、皇帝の顔に突きつける。
「――人間以外のすべての者の声が、この文書に詰まっています。ぜひ、お耳をお傾けあそばせ、皇帝陛下殿」
皇帝は、惚けたような表情でそれを受け取る。
その仕草を見たエリザベスは、にっこり、と微笑みかけると、ぱちん、と指を鳴らし、夢の空間も、自身も影となって消え失せた。
議題はもちろん——文書の中身に移った。
「非人間族すべてに……人権を……?」
「ありえない」
「われわれ人類に対する侮辱だ」
「獣人に人権などと……それを認めたら、鶏や豚までもが人権を求めだすぞ」
議会のすべては、反対一色だった。
だが、その中で唯一、思慮深げに黙り込んでいたエルガザがつぶやく。
「しかし……ここで非人間族を対等な仲間と認めれば……争いは、止まるかもしれん……」
そのための、和平だ。
唯一、文書の真意にエルガザは気づいた。
しかし、彼が声をあげた途端——議会は紛糾した。
「ありえない!」
「ありえない! ありえない!!」
「ありえない! ありえない!! ありえない!!」
誰もが、皇帝を〝糾弾〟したのだ。
文官も武官も一様に鬼のような表情で皇帝を取り囲み、彼の言論を封じる。
エルガザは青ざめた顔を伏せ、両手で耳を塞ぎ、家臣たちのバッシングから逃れようとした。
また、こうなる。
子どもの頃から、彼は家臣の言いなりだった。
子どもの彼には正しい判断はできないだろうと、老獪な家臣たちは〝彼のため〟という名目で、自分たちで政治を推し進めてきた。
エルガザは、今も彼らの前で発言することが怖い。
自分では絶対に変えられない流れが、世界を取り巻いている。
その事実に、彼は絶望しきっていた。
「一度は奴隷に堕ちた分際で……人権などと高等なものを要求しおって」
「犬畜生と変わらぬやつらや、不埒な悪魔の眷属の分際が、われわれと手を組むなど」
「そのエルフの姫とやらの額に、『わたしは奴隷です』と刺青を彫ってやろうではないか!」
笑い声が議会で弾ける。
エルガザは、それからも耳を塞いでいた。
目を閉じ、耳を塞ぎ、何も感じないようにした。
それだけが彼が生きていける唯一の方法だった。




