会議
アイオーリアには詳しい話は明日、議会で説明すると告げられた。
ザヤに集まった種族の代表が集まり、アイオーリアを中心とした議会が行われるらしい。
ユニティア教の聖地ザヤがここまで非人間族一色に染まったことや、エルフたちが神殿を根城にまでできた背景や、まだわからないことが多すぎる。
今まで奴隷だったはずのエルフの騎士たちは、見事なローブや鎧を身に着けていた。あきらかに、武器の供給もある。
何か大きな力が働いているということは、この時点では明白だった。
(あのエルフの姫は……いったい何の力と手を結んだんだ……)
クロト自身もまた、リンネほどではないにしろ、現実に困惑を示していた。
神殿からべつのエルフに宿に案内されたクロトたちは、そこでリンネと再会した。
特段、彼女の様子に変わりはないようだった。だが、いつもと同じなわけがない。
クロト、セロニアス、アンジュの大人たちは合議した結果、やはり師匠であるクロトから話をしたほうがいい、と結論を出した。
リンネの部屋のドアを、クロトはノックする。
「師匠?」
「ああ……入っていいか?」
「うん、いいよ」
クロトが開けるまでもなく、内側からリンネがドアを引いた。
その顔もいつもと変わらず、むしろけろっとしているようだった。
ウルリーフが何かなぐさめになってくれたのかもしれない。
だが、自身の出生を巡る残酷な事実をいくつも突きつけられた弟子の思いは、想像して余りある。
師匠として、彼女のそばにいるひとりの大人として、話を聞こう、と思った。
「動揺……しただろう。家族と思っていたのは全員、エルフの王家とその護衛で……お前は守られる側だったんだ」
「今でも………家族、だと、思うよ」
長椅子に腰かけたふたりは、淡々とした声で会話した。
「でも、今のねえちゃんはお姫様だから……そう思っちゃ、いけないのかな。もう、一緒に寝たり……歌ったり、踊ったりして、遊んだりできないのかなぁ」
「………」
リンネの無邪気な願いに、クロトは言葉を詰まらせた。
姉だと思っていた人が突然、王族になり、立場を弁えるよう要求されたら、リンネの年で素直に従えるものなのだろうか。
たとえ理屈は理解していても、姉と呼んでいた人への愛着は、断ち切れるはずがない。
リンネは、今そこで苦しんでいる。
「たしかに、ねえちゃんは、群れの中でもちょっと特別だった。誰かがけんかしても、姉ちゃんが声をかけるとぴたっと止まるし。普段はおとなしいのに、ねえちゃんが何か言うと、みんな注目してた。あれって……お姫様だからだったんだね。みんな、家族だって思ってたけど、ほんとうは、自分たちは家来とお姫様だってわかってたんだ」
リンネは足を交互にぷらぷらさせた。
「なんか、……今までの生活、なんだったんだろう、ってかんじ。みんなにとっては、わたしは家族でも、仲間でもなくて……弱いから守らなきゃいけない赤ちゃんみたいな感じだったのかな」
「お前は子どもだ。守られるのは当たり前だ」
リンネのつぶやきに、クロトは毅然と応じた。
「お前は、まだ幼い。自分で身を守ることも十分にできない。だから、あのエルフの姫はお前が森を追放されることを反対し、自分も森を出たんだ。ほかのエルフも……お前を心から守りたいと思って、今まで一緒にいたはずだ」
「………」
「俺たちもそうだ。セロニアスも、アンジュも、同じようにお前を守っている」
リンネは顔を伏せた。
その瞳の端には、光る何かが溜まっていた。
「そ……それってぇ……わ、わたしが、魔力……使えないから……?」
ぐずぐずと声を詰まらせ、泣きながらリンネは言った。
「わたしが……魔法も使えない、落ちこぼれだから……」
「――お前は俺の〝弟子〟だ!!」
泣き言を漏らすリンネを、師は一喝した。
「できないことを、できるようになるために、お前は俺に弟子入りしたんだろう!?
そして、俺は、お前の不可能を可能にしてやるためにお前の師匠になった!!
自分が何もできないと思い込んでいるなら、魔法を学ぶ意味なんてない!!
俺に弟子入りを頼み込んできた、あのときのお前の無謀さはどこへ行った!」
静かに絶望に落ちてゆくリンネに、クロトは必死に手を伸ばす。
叱咤の言葉の強さとは裏腹に、彼女の肩に優しく触れる。
リンネは、嗚咽をあげて、クロトの肩にしがみついた。
「うぇっ……ふ、ぇ、あっ……あっ、あっ……ししょぉ……」
普段は、必要以上に弟子に触れることはしないクロトも、このときばかりは彼女の頭を掻き抱いた。
頭をなでながら、泣きたいままにさせてやる。
リンネはクロトの胸に泣き言をすべてぶつけた。
「まほう、つかいたいよぉ……!!」
「ああ」
「ししょうみたいな、すごいまほう、つかいたいよぉ……!!」
「ああ」
「それで……みんなを……ねえちゃんたちを、まもり、たいよぉ……!!」
「ああ」、とクロトは耳元でうなずいた。
「俺がお前を魔法使いにしてやる——必ずだ。だから、諦めるな、リンネ」
力を込めて告げた言葉に、リンネはいっそう泣きじゃくり、クロトに抱きつく腕に力を込めた。
クロトは、初めて抱き締めた弟子の身体の小ささ、軽さ、細さに、胸が痛くなる。
こんな小さな子どもの、夢ひとつ叶えてやれないで、何が魔法使いだ。
(だったら……魔法は、なんのためにあるんだ……)
自分の魔術師人生すべてを振り返って、——その始原にある記憶に、クロトは辿り着くと、リンネには見えないところで、きつく目を閉じた。
俺は、彼女の夢を叶えてやらないといけない。
この身を、魂をかけてでも——。
師匠の心の中は、弟子には見えないが、この日、彼は自身に、新たに強い誓いをもたらしたのだった。
翌日、正午過ぎに神殿の大広間で会議が行われることになった。
大きなダイニングテーブルを迎えて、それぞれ席につく、一族たちの代表と、クロトたち。
上座にはもちろん議長のアイオーリアがいた。その横に立つのは、近衛騎士隊長のミト。彼は厳然と張りつめた表情でダイニングテーブルを見渡し、王女に不敬な態度をとるものはいないか見張っているようだった。
彼の視線が、大きな椅子からひょこんと小さな頭を出したリンネに留まる。
彼女はクロトの隣に着席し、会議に加わっていた。
その一瞬——ミトはため息をつきそうになったが、公式の場なのでそれを中止したようだった。
「お集りの皆様には、わたくしから今回の中心である議題をご説明いたします。
まず、連合に対する奴隷制の廃止の要求、これは人間も含めてのことです。国によっては罪を犯した者も、適切な裁判をなされずに強制労働に就かされるのです。罪には正しい罰を求めなければなりません。正しい法の規則を連合が守ること。これも、われら人間ではない種族の者に対して適応されることで、社会の秩序を乱す心配はない、ということも連合に対して強調しておきたい点です」
アイオーリアはすらすらと議題の説明を行った。
彼女の手元には台本はない。すべて己自身の頭脳で考え抜き、編み出した言葉なのだろう。
「そして、人間ではない種族に対しても一律〝人権〟を認めさせる——これがわれわれの要求の最大の特徴です。まず、この世界では人間に次いでもっとも多いのは、獣人なのです。そして、人間と獣人のあいだに生まれた子どもたちは、ほとんど選択肢もなく〝獣人〟に数えられる。同時に人間の血を引いているにもかかわらず、です。人間以外の血を引くことで、人権をはく奪される。これはあってはならないことです」
クロトの横で、セロニアスが真剣な面持ちを浮かべて聞いていた。
彼もまた、エルフと人間のハーフでありながら、ほとんどの人生をダークエルフとして扱われ、人間とはみなされなかった。
アイオーリアは、ハーフの抱える問題もまた重視している。
今のでセロニアスは彼女に信頼を置いただろうな、とクロトは想像した。
「そもそも、〝人権〟というのは、人間だけのものなのでしょうか? 女神ユニティアは、大神たちに人間の運命が翻弄されることにお怒りになり、神の世界からの支配を断ち切り、地上を人間だけの世界とされた、とユニティア教では教えられています。そして、〝人権〟という言葉が生まれました。すべての人に自由があり、また、それを踏みにじられるべきではない、と。
しかし、それはあくまでユニティア教徒のみであり、帝国を中心に今でも奴隷制は続いています。〝人権〟とは、信仰や種族によって優位的にもたらされるものなのでしょうか? それは、女神ユニティアの本意を都合よく解釈してはいないでしょうか。連合に問いただしたい点は、このような矛盾です」
「たしかに、今の連合の体制はユニティア教の教義を恣意的に利用している。魔王戦争によって傷ついた人々の救済活動で、教会の権力はさらに強まった。今や、連合とユニティア教会は同一、同根の組織と言って差し支えない。だが、増長を極めた彼らに要求を呑ませるのは、容易なことではないぞ」
彼女の説明が終わると、クロトは落ち着いて手をあげ、持論を述べた。
ほかの代表たちも、渋面を浮かべて考え込んでいる。
敵は、強大だ。合理的な討論で勝てる相手だったら、今の世界はこんなことになっていない。
「ええ、その点に関しては、わたくしの立場を利用します。——〝森のエルフの王族〟としての権威を意図的にかざすのです」
その提案に、クロトは目を見開いた。
彼女はリンネを守るため、王女の身分を捨て、ただのエルフとして追放されたはずだ。
「わたくしが今、正当な王位継承者であるかどうかは、問題ではありません。ハイ・エルフの王の血を引く娘であるということ。この一点に意味を持たせます。
森のエルフたちは、人間社会とは距離を置いていますが、接点はあるのです。その証拠に、帝国から森へはよく使者が遣わされていました。隔絶されているように見えて、互いの政治的状況を共有しているのです。マナを生み出す世界樹の衰退は、人間社会にとっても大きな問題ですからね。……そして、帝国に対して、これをエルフの王族の要求として、突きつけます。
帝国にとって、森のエルフの王室は、おろそかにできる相手ではないはずですからね」
「しかし、問題もあるぞ。本当の森の王家が反対を表明したらどうする」
クロトの一言に、アイオーリアは微笑んだ。
「無視します——。帝国は、エルフの王家は分裂騒動を起こしたと思うでしょう。
そこを、あえて利用するのです。エルフの王家の権威を、ちらつかせる。今まで保守的な立場を守っていた森のエルフが、帝国に対し開放的な態度をとることで、連合を支持する国家は羨望する。——自分たちも、森のエルフと交流を持ちたい、と。エルフの持つ知識、文化、魔法の極意——彼らが〝ほしい〟ものは、われわれはたくさん持っているのですよ」
その微笑みに、クロトはうすら寒いものを覚えた。
この王女は、王を、森を、踏み台にしてでも和平を勝ち取る気だ。
たしかに、王家の血を引くエルフの要求を、帝国がおろそかにすることはできないかもしれない。
「だが……使者はどうする? 王女自身がのこのこと姿を現せば、それこそ森への人質にされてもおかしくない。王女殿下の戦略は筋が通っている。だが、要求を伝える者がそれこそ人権のない非人間族では、門前払いところか、殺されてもおかしくない……」
「その点に関しましても、提案がございます」
二度三度のクロトの提言にも、やはりアイオーリアは卒なく答えると、「どうぞ」と視線を横へ走らせた。
彼女が視線をくれた瞬間、テーブルの横の何もない空間に黒い闇が集い、やがて人の形をなした。
「うっふ~ん♡ 愛のメッセンジャーよ~ん♡」
エリザベスは両手でハートを作って腰をくねらせる。
クロトは狙撃されたかのように椅子からずっこけた。
倒れた師匠をリンネやセロニアスが抱え起こそうとしているあいだに、現れたエリザベスは胸に手をあて、会議の参加者たちに優雅に一礼。
「夢魔族の女王、エリザベスでございますわ——わたくしは、魔王軍の四天王時代、潜入や間諜、政治的工作行為を得意としておりましたの。帝国の厳重な警備も、わたくしの潜入術にかかればお手のもの。わが幻術をもって皇帝の褥に忍び込み、姫様の文書を直・接お届けいたしますわ♡」
元魔王軍の四天王。
その肩書を聞いた瞬間、会議の参加者からどよめきがあがる。
それほど強力な魔族が、エルフの姫のバックについていたことを初めて知る者ばかりだった。
「わたくしの同胞も、つい最近まで人間に奴隷として酷使されていましたのよ。なので、このアイオーリア様の主義主張には、夢魔族の王位に就く者としても賛同を示しますわ」
「いつの間にお前らが連帯を……」
立ち直ったクロトが苦々しくつぶやくと、「女のコの秘密よ~ん♡」と下唇に指をあて、わざとらしく煙に巻かれた。
アイオーリアの提示した計画に、誰もが同意を示した。
会議に参加した種族の代表には、元魔王軍の残党という立場の者も少なくない。
エリザベスと連帯することに関して、抵抗を示す者は(クロト以外)誰もいなかった。
「それでは、異議がなければ、今回の会議は終わりといたします——」
「――はい!」
その瞬間、誰もが目を疑った。
会議の参加者の中で一番幼いリンネがすっと片手をあげ、意見を述べようとしているのだ。
アイオーリアは、一瞬戸惑ったような沈黙を作ったが、無視するわけにはいかないと思ったか、「どうぞ」と発言を許可する。
リンネは、すぅー、と息を吸い込むと、吐き出した。
「会議が終わったらさ! みんな、疲れてるよねっ? お腹すいてる人もいるんじゃないかなっ?」
「……ま、まあ、そうかもしれませんが……」
アイオーリアは完全にペースを呑まれていた。
そこにリンネは畳みかける。
「会議が終わったら、ねえちゃんの大好きなナスの料理のフルコースをさ! みんなで食べよう!!」
ナス——。
その言葉を聞いた瞬間、アイオーリアの表情は停止した。
「王女様って……ナスがお好きなのか……」「意外だな……」と、ひそひそ言い交わす声まで聞こえ始める。
「〝ナスを食べて、なすべきことをしよう〟!!」
いつの間にかリンネは椅子の上に立ち上がり、人差し指で空を目指し、堂々と言い放った。
数秒の沈黙が訪れた後——、アイオーリアは、横に立つエルフの騎士に命じた。
「連れていきなさい」
「はい、殿下」
「わー! わー! ミトー! やめてよー!! せっかく面白いこと言ってねえちゃんを笑わせようとしたのにー!!」
ミトと呼ばれた美貌のエルフの騎士は、むんずとリンネの襟首をつかむと、そのままずるずると引きずって会議室を出ていった。
クロトは、珍しく止めなかった。
むしろ、師匠として保護者として、恥ずかしいとさえ思い、顔を伏せた。
リンネの悲鳴は、会議室の外からも響いていた。




