森の真実
イオこと——アイオーリアの一言は、室内に沈黙を呼んだ。
リンネどころか、クロトまで言葉を失っている。
その沈黙が、固く信じていた現実を打ち破られる喪失感につながる頃、アイオーリアはふたたび口をひらいた。
「たしかに、われわれハイ・エルフは世代を重ねるごとに魔力の減少傾向が認められていました。世界樹の産出するマナ量の減少が原因とも、世界樹の衰退とともに森に訪れるようになった災厄、〝瘴気〟によってハイ・エルフの遺伝子が弱体化したせいとも言われていますが、いまだに原因は不明です。しかし、——古代の全盛期から比較して弱まっている、というだけで、〝魔力を一切持たない者〟というのは、存在しなかったのです。それが、リィン=ネーデ、あなたが生まれるまでは……」
リンネは、生まれて初めて、頭が真っ白になる、という言葉の意味を理解した。
何も考えられない。思考ができない。かつて姉と呼んでいた人が語るすべての言葉が脳裏を埋め尽くして、意味を理解しようとすることさえできない。
しかし、アイオーリアの残酷な告白は続いた。
「あなたが生まれるまでにも、魔力の弱い者同士で交配することで、より魔力の弱化が進むのではないかという議論が、森のエルフたちに起きていました。そのため、家柄や能力によって父王によって婚姻を制限されるケースまで出てきていました。エルフの貴族たちは、能力も家柄も劣る下位のエルフたちの生殖を反対するようにまでなっていたのです。……そして、ついにあなたが生まれたとき、その煽動は頂点にまで達しました」
「優生思想か……」
クロトが、それを口にすること自体が忌まわしいとでも言いたげにつぶやいた。
アイオーリアは彼の抱く怒りを察したか、一瞬だけ目を閉じ、憂うようにうなずいた。
「〝この子〟の血は——遺すべきではない。この子ひとりがハイ・エルフという種族を滅びに導く、と……不安に煽動された民の統治に躍起になる父王は、もはや愚行の極みというべき決断を下しました。『この子を森の外に追放する』、と。生まれたばかりの、リィン=ネーデを、です……」
威厳を保っていたアイオーリアだが、語尾にだんだん苦しいものがまじり始めた。肉親の罪を受け止めさせられ、それを皆の前で吐露することがどれだけ苦しいことか、それはアイオーリア本人にしかわからない。
「わたくしは——父王に逆らいました。この子を追放するなら、わたくしも二度と森に還らない。森の巫女も辞し、王女としての身分も返上し、ただのエルフとしてわたくしを追放してくださいと——嘆願しました。そのとき、ミトやデーナのように、わたくしの近衛騎士を務めていた者たちも声をあげました。そして、われわれは森を去ったのです。〝魔力を持たず追放された、はぐれエルフ〟の群れとして……」
「なぜ……お前たちまではぐれエルフを自称したんだ……?」
クロトの問いに、アイオーリアはわずかに目を伏せた。
「おわかりではないでしょうか。エルフの王女が、たとえ精鋭の騎士たちを連れてはいても、世捨て人として彷徨しているだなんて。どこかの勢力が森のエルフへの叛意を示し、わたくしたちに人質としての価値を見出してもおかしくはありません。ただでさえ内部で混乱している森に、わたくしたちが原因で戦争状態でも起きてしまっては……まさに致命的です」
あくまで、政治的な判断、か——。
クロトは冷静に思考しながら、彼女の話を聞いた。
アイオーリアは、父王の愚行を嘆きながらも、故郷の平和を維持したいと願う、情け深く、合理的な姫君だ。まさに、為政者としては理想だろう。
だが、真実の背景をいくら説明されても、リンネの表情は固いまま、動かなかった。
今まで、ずっと彼らと自分は同じだと思っていたのだ。
魔力がないことで故郷から追放されても、同じ仲間同士、支え合って生きてきた。
夢にまで思い描いていた魔法を、〝自分以外〟の彼らは全員持っていたのに。
正直、アイオーリアの説明の大半の意味は、リンネにはすぐ理解できなかった。
だが、この百年間、ずっと———彼らは、自分に劣等感を与えないよう、自分の魔法を隠していたことだけは、わかった。
その、リンネに対する背信ともいえる行為に気がついているのか、アイオーリアは初めて苦しそうな表情で、
「今まであなたを騙すようなことをして、ごめんなさい。でも、これはあなた自身を守るためでもあって——」
「――――うそつき!!!」
久しぶりに聴いた姉らしい声が、そんなとってつけたような弁解をして、リンネは堪らず叫んでいた。
素早く踵を返し、部屋を飛び出す。風のように早く逃げ出してしまった彼女を追おうと、クロトも、セロニアスも、アンジュも後につづこうとした。
だが、それはアイオーリアの切実な声によって制止された。
「皆様には、大切なお話があります。……われわれが聖地ザヤで為さんとしていることを、聞いていただきたいのです。……特に、魔導士クロト様におかれましては」
「それは、悲しみに暮れる俺の弟子を放置してまで聞くに値する話なのか?」
クロトは厳めしく眉を寄せ、低い声で問うた。
はっきりと不快を示した彼の態度に、アイオーリアはたじろがず、むしろまっすぐに彼の目を見据えて言った。
「率直にお伝えします——われわれは、連合に、帝国に対し、奴隷制の廃止——そして、すべての非人間族に〝人権〟を要求するべく、この地を拠点に政治的な声明を発します。むろん、戦いになることも想定したうえで、です。……連合の擁する、〝勇者様〟とも」
その男の名は、クロトの足を縫い留めた。
部屋の戸まで辿り着いた彼は、緊迫した面持ちで王女を振り返り、目を見開いた。
その言葉が、正気か、狂気か。
クロトは、すぐに判断できなかった。
アイオーリアの言葉は、アンジュとセロニアスをも釘付けにした。彼ら自身もまた、人間から排斥を受けてきた背景がある。
その言葉がどれほどの重みを持つのか、理解しないわけにはいかなかった。
誰もが王女の言葉に動揺する中、ただひとり、ウルリーフが唸り声をあげた。
「っああもう!! ここまできて大人のハナシ!? くっだらねー! 誰も行かないなら俺がおねえちゃんのところ行くもんねー!!」
「うがー!!」と子どもっぽく怒鳴り散らしながら、ウルリーフは大きな肩をいからせて部屋を後にした。
クロトは、彼の行動に内心ほっとした——そんな自分にひどく罪悪感を抱きながらも、ふたたびアイオーリアに向き直った。
この王女は、あの雪山で見たときと同じ少女とは思えない。
リンネの話では、もっと思慮深く、諦観に満ちたような女性に思えたが——。
今——目の前にいるのは、闘志に満ちた、革命家だ。
そんな彼女の視線から、逃れることはできなかった。
神殿を出たリンネは、めちゃくちゃに走り抜けて、ふと身体から力が抜けるのを感じた。
逃げ回ったところで、どうなるというのだろう?
現実が変わるわけでもないのに。
森の中に立っていた木に背中を預け、すとんと崩れ落ちるように座り込む。
涙は、出なかった。
泣きたい、という感情すらまだ現実に追いついていない。
魔法を使えないエルフは、この世に自分ただひとりで——落ちこぼれは、自分ひとりだけだったなんて。
みんな、仲間だと思っていた。魔法が使えなくても、自然の知識と、群れの結束でここまで生き抜いてきたと思っていた。
それが、全部——嘘だったなんて。
(しかも、イオねえちゃんは、お姫様で……特別で、誰よりえらくて……大人っぽいデーナも、あの怒りっぽいミトも、ねえちゃんに、さからえないんだ……)
階級社会というものがあるのは、知識として知っていった。
だが、そんなものが自分の生きていた群れの中にあるとは知らなかった。
(小さくて、魔法も使えない……わたしなんて、一番、下なんだ……)
じわじわと絶望が頭を占める。
そのとき、ぼすん、と隣に大きな質量のあるものが落ちてきた。
「おねえちゃん、元気だしなよ」
ウルリーフだった。
彼は大きな身体でリンネの隣に座り込むと、首をかがめて顔を覗き込んだ。
リンネは急に現れた彼にびっくりして、「わっ」と身体を少し浮かせた。
「あ、ごめんごめん……驚かせちゃったね。俺、自分の今の身体のサイズよくわかってなくてさぁ……つい昔みたいにふるまっちゃうんだよね」
「う、ううん! びっくりしただけ! ウルリーフくんは悪くないよ」
リンネは首を振って、しょぼんと落ち込むウルリーフを励まそうとする。
「おねえちゃんは、優しいなぁ」とウルリーフはつぶやいて、長いマズルを空に向けた。
「あのさ……家族ってさ、色々あるよ……俺も、きょうだいにも、父ちゃん母ちゃんにも嘘つかれたことあるし。『人狼だからって、野菜も食べないと大きくなれないわよ!』なんて、ぜってーウソ。俺、野菜食わないけどこうやって大きくなれたし。まあ、魔女のばーさんに騙されたんだけど……」
ウルリーフの語る言葉に、リンネは言葉を失った。
彼は家族を失ったのだ。自分よりずっと、状況は悲惨だ。
「うそつきババアはかまどの中に突っ込んで閉じ込めてやったけどね! ほーんと、最初は優しそうなツラしてさぁ、俺の弟と妹たちにメシも出して……久しぶりにまともなごはんが食べられたって、みんな喜んでたのに……ちっくしょぉ、あのババア」
ウルリーフは憎々しげに唸るように言った。
しかし、そこで「あ、ごめん、俺の話になっちゃって……」と急に反省する。
「おねえちゃんの家族もさ、おねえちゃんのことが嫌いだからウソついてたわけじゃないと思うよ。俺のかーちゃんが野菜食えって言ってたのも……多分、俺のためだし。たとえ狩りができなくても、野菜食ってでも生きていけるようにって意味だったんだな~、って、今ならわかるよ」
母親のことを語る彼の目は、懐かしそうに、悲しそうに光っていた。
リンネは両手で頬を支えながら、彼の話を聞いた。
「でも……おねえちゃんの家族は、生きてるしさ。今はしっちゃかめっちゃかかもしれないけど、生きてたら、なんとかなるよ。大人って、自分に都合のいいことばっか言ってるって思うじゃん? あれ、実は悔しいけど、ちょっと正解だったりするんだよね。……だから、おねえちゃんも、ちょっと大人に近づくタイミングなんだと思うな。俺みたいに……まあ、いきなりバーン!!って大きくなる必要はないけどさ」
「……ウルリーフくんは……ほんとに、大人だね」
格好つけや、見え透いた慰めではない、彼の本物の言葉。
それは、家族を失ったり、自分に呪いをかけられて、強制的に大人にならざるを得なかった彼の悲しい経緯が言わせているものだ。
でも、彼はけして嘆いたままではいない。自分なりに現実を受け入れ、自身で成長を促した。そんな彼を、リンネは、かっこいいな、と思った。
でも、すぐに自分は彼のようになれそうもない。
やはり、仲間だと思ってきた人たちに裏切られたという思いも邪魔している。
「俺は、ぜーんぜん大人じゃないよ」
リンネの言葉に、ウルリーフは投げやりに言った。
「身体だけでかくなっただけでさ。声もおっさんみたいになって……周りは俺の事情なんて知らないし……本当言うと、昔の俺のこと知ってるおねえちゃんに会うまで、すっげー寂しかった。大人だったら、寂しいなんて思わないだろ? だから俺、まだまだ子どもなの」
「自分が子どもだってわかってるの……すっごい、大人っぽいよ」
「んん……? そうなの??」
ウルリーフの不思議そうな顔を見て、リンネはぷっと吹き出した。
すると、今まで暗い顔をしていたリンネが笑ったことで、ウルリーフも笑い出す。
しばらくふたりで笑い合っていると、本当におかしくなって、お腹が痛くなった。
草の上で笑い転げた後、しばし空を見ていると——視界にデーナの顔が映った。
「ここにいたか、リンネ」
「飛び出したっていうから探したぞ」と言って、デーナもまた草の上に座り込んだ。
起き上がったリンネはしばらく言葉を探し、黙り込んだ。
彼女もまた、自分の前では魔法を使えないふりをしていたのだ。
あの大量の矢を幻視させる魔術は、並大抵のものではないとすぐにわかる。
それを今まで隠してきた彼女は、どんな気持ちだったのか、リンネにはわからない。
「……嘘ついてて、悪かったね。群れのみんな、そう思ってるよ。悪いのは、あんたじゃない。悪いのは、うちら含めた森の大人たちだよ。魔力のないあんたを差別して、追い出した。それを止められなかったあたしも、同罪だよ」
「そ……そんなこと、ない……!」
デーナが淡々とした口調で話すことに、リンネはすぐ否定の声をあげた。
たしかに、リンネは周りの大人たちを少し憎んだ。でも、実際に謝られると、彼女たちは少しも悪くない、とさえ思う。矛盾している。だが、どちらもたしかにリンネの中に存在するのだ。
ぐしゃり、とデーナの手がリンネの金髪を無造作になでた。
だが、彼女の表情は、そんなことすら気が咎める、とでも言うように曇っていた。
「みんな……同じ気持ちだよ。ミトも、姫様も……あたしたちは、あんたを守りきれなかった。あんたは二度と故郷に帰れないんだから」
「覚えてないふるさとのことなんか……どうでもいい!」
デーナの告白に、ついにリンネの感情は決壊した。
「あたし、デーナのこと好きだもん! ねえちゃんのことも!! ミトは……ちょっとうるさいけど、それでも、好き!! ほかのみんなのことだって……師匠たちと同じぐらい大好きだよっ!!」
涙を交え、リンネは力強くそう言った。
その言葉に、何より自分の心が支えられた。
彼らのことが、大好きだ。たとえみんな自分と同じではなくても、ともに暮らしてきた百年間は、大切な時間だ。
それだけが嘘をつかないということを、リンネはようやく理解した。
「でも……ねえちゃんのこと、もう、ねえちゃんって呼べないのかな……」
今の彼女は、王女様だ。
平民と王族の違いぐらい、リンネだってわかっている。
その変えられない事実を、デーナ自身もわかっているのだろう。
片目を眇めて、彼女は自分の手をリンネの肩に乗せた。
「〝それ〟がつらいのは……みんなも同じさ。でも、あの人は……もう、全部、決めちまったから」
「うちらはついていくしかないんだ」、と目を遠くへやって、デーナは自分に言い聞かせるように呟いた。
今までふたりの会話を聞いていたウルリーフは、はーっ、と息を吐き出し、
「やっぱり……大人ってフクザツー……」
と、やりきれないように、視線を空にあげるのだった。




