祭りのあとに
クロトたち宿の客の前で、竜の女は部下とともに膝をついていた。
「本っっっっっ当に、すまん!! ダチの仇をとろうとするあまり、早合点しちまった……! あんたがたを巻き込んで、本当に申し訳ない……!!」
スピネルは義理堅い女のようで、大きな身体をかがめて謝る姿には必死さが感じられた。
彼女たちに脅された宿の客たちは、一様に複雑な表情を浮かべながら平謝りする非人間族たちを見下ろしている。
妖精の祭りが終わり、彼らが去った翌日、武器を放棄し、スピネルたちは降伏を宣言した。
「元はと言やぁ、オレが魔術師に捕まっちまったのが原因なんだよ~! 野郎、あいつら、オレのことを実験動物にして好き勝手やってよぉ! スピネルたちが助け出してくれなかったらオレぁ一生魔力を生み出すだけの道具にされてたとこだっ! あんたらにも迷惑かけちまったが、こいつらも悪気があってやったわけじゃないんだよ~っ!」
うさぎ型のカーバンクル、もといスピネルの友人のムギはぴょんぴょんとその場を激しく飛びながら訴えた。瞳をうるうると光らせ、懸命に友人をかばう彼の姿に同情を誘われたのか、人々の中には「まぁ、許してやっても……」とこぼし始める者もいた。
ムギを石になるまで酷使した魔術師と疑われたクロトもまた、スピネル自身から謝罪を受けている。武器を捨ててまで平謝りする彼女たちをこれ以上責める気も湧かない。
それに、騒ぎ自体は弟子の起こした召喚魔法で平和に解決したのだ。
(平和というか、ほぼ喧嘩祭りだったが……)
祭りのことしか頭にない妖精たちが起こした騒乱を思い出し、クロトの表情に苦いものがまじる。
「お祭り、楽しかったでしょ~~!?」
「楽しかった……! すごく……!!」
クロトたちの横では、一晩経っても祭りの興奮を忘れられない子どもたちがうちわを片手に盛り上がっていた。宿の少年——彼の名前は、アルベルトと言った——に至っては、パンツ一丁のままである。宿の主人が服を着ろと言っても頑として拒否しつづけたのだ。
「ふぅ……お前さんがた、本気で詫びるつもりがあるなら、うちでしばらく働く気はあるかい?」
甥っ子に服を着せることに失敗した男は、諦めたようにため息をついて言った。
その言葉に、クロトも、スピネルたちも顔をあげる。
「最近、山を越えようとする客が多くてね。案内するのも大変なんだよ。それに、客を狙った賊も現れているし……登山客の相手とか、山道の見張りとかしてくれりゃいい。そうすればわしも安心して山小屋を続けられる」
スピネルは、驚いたように部下たちを振り返った。
どの顔にも、予想もしていなかった希望が降ってきた、と言わんばかりににわかな喜びが浮かんでいる。
「連合の兵士に睨まれることもあるかもしれないが、お前たちのことはまっとうな従業員として説明させてもらうよ。兵士なんかにゃ連れていかせん」
「サイッコ~~じゃねぇか~~!! こりゃあ渡りに船だぜ、スピネル!」
ひときわ高くジャンプし、喜びを表現するムギ。
それでスピネルの表情も軽くなった。男のもとに駆け寄ると、拳をぎゅっと両手で握り締める。
「願ってもねぇ……! その話、ありがたく受けさせてもらうよ……! うちらみたいな連中、どこにも行き場がなくて困ってたんだ……いっちょザヤでも目指そうかと思ってたけど、山を越えるための物資もなくて……」
「だったら、なおのことうちに来い。もうすぐ雪が溶けりゃあ、登山シーズンだ。それまでに仕事に慣れてくれるとありがたい」
「面目ない……!!」
スピネルの目には涙が浮かんだ。
男はうん、うん、と穏やかにうなずきながら、見た目よりずっと情に脆い竜の女と握手を交わした。
(一件落着……と言いたいところだが)
クロトは客の中に視線を走らせた。
その中に、ぴょんぴょんと元気に跳ね回る、世にも珍しい魔法のルビーを持つカーバンクルを、いかにもな好奇の目で見つめる者がいたからだ。
「宿の責任者が許すと言ったんだ。これ以上、追及はさせない。——特に! 珍しい生き物を連合に通報して、ひと財産築こうなんてよこしまなことを考えるやつは、自分が悪い魔法使いに石に変えられる心配をしておくんだな」
クロトの宣言ののち、セロニアスがフードの下から鋭い目を輝かせる。彼の手は背中の剣に忍び寄っていた。
その遠回しのようで明白な脅迫に、丸々と肥えた顔をギョッとさせ、客たちの肩のあいだに隠れようとする男がいた。
口止めはこれぐらいでいいだろう。
「………俺たちも急いでここを発つぞ。客の中に、余計な正義感を働かせて連合に通報するやつもいるかもしれん。あの恐竜たちは宿の主が守ってくれる。俺たちは、少しでも早く出発する——」
「………げほっ……ごほ、」
クロトがそう言って仲間たちを振り返ったとき、アンジュが苦しそうに咳をして、足元をふらつかせるのを見た。
口に手を当て、何度も咳き込む姿に、クロトのみならずリンネも、セロニアスも不安そうな顔を見せる。
「アンジュ……大丈夫?」
リンネの言葉に、アンジュは青白くなった顔で微笑んだ。
「だ、だいじょうぶですよ。変身してまた戻るために、魔力を使いすぎちゃったみたいで……でも、この姿のままでおとなしくしていれば、大丈夫です! さあ、旅を続けましょう」
「本当に大丈夫か? 俺が背負って行くか?」
大きな背をかがめ、心配そうに顔を覗き込んできたセロニアスに、アンジュは青い顔を今度は赤くさせる。
「も……もうっ、大丈夫ですってば! 私相手に過保護にならないでくださいっ! ほーら、こんなに元気なんですからっ」
「なら、いいんだが……」
「アンジュー、しんどいときは無理しないで言ってね? 約束だよ?」
アンジュは気丈に言い放って、スキップしながらみんなの前を先導した。
リンネたちはから元気を疑ったが、アンジュ自身がそう訴える以上、深く詮索するのも気が咎める。
その後にクロトたちが続いて、宿を出発する。
後ろからは、宿の主人とスピネルたちが手を振って別れの挨拶を告げていた。
「あンがとな~~!」
「山は寒いから、気をつけるんだぞー!」
「あんたたちのこと、忘れないぜ~~!!」
リンネはその中に少年の声がまじるのを聞いた。
「おねえちゃーーーん!! お祭り、楽しかったよーーーー!!!」
昨晩とは打って変わって別人のように元気な顔色で、アルベルトはほぼ裸で両手を振って叫んでいた。
その後ろから、伯父がシャツを着せようと忍び寄る。だが、パンツにうちわを差したままアルベルトは逃げ回った。
おかしな光景を見てげらげらと笑いながら、リンネも手を振り、アルベルトに別れを告げた。
「またやろうねーー!!!」
(もう二度とするな……)
クロトは心からそう思ったが、リンネには伝わらなかった。
先頭を歩くアンジュもまた片手を振って応えようとしたが、彼女は自分の手を見て、さっと顔色を変えると——何事もなかったかのように手を引っ込め、腰の後ろに回した。
「アンジュ? どうかした?」
「い、いえ! なんでもないですよ。ちょっと手をあげると腕が痛くて……歩いているうちに楽になると思いますからっ」
声をかけてきたリンネににこやかに笑いかけ、アンジュはしばらく後ろ向きに歩きながら、さきほど振り上げたほうの手を必死にスカートに押しつけた。
「しかし……失敗した魔法を自分の物にするとはな。面白い機転だった」
宿の方角が見えなくなってきた頃、改めて間をおいて師匠は弟子を褒めた。
師匠から珍しくポジティブな言葉をもらって、リンネは「えへへー」と頬を緩ませる。
「最初に呼び出したとき面白かったから、覚えてたんだ~! 失敗は成功のもと、ってね!」
「あれは成功と呼ぶのかわからないが……まあ、いいか……」
笑顔の横で親指をぐっと立て、サムズアップする弟子を見て、師匠は物言いたげに視線を逸らす。
マナバッテリーを渡したのが功を奏した。果たして、今の段階のリンネに渡していいのかどうか、最初は迷いに迷ったが、結局、己の弟子を信じて正解だったということだろう。
(こいつの才能は、間違いなくユニークだ。……多分、俺の故郷にも前例がない。育てるには骨が折れそうだが……個性を尊重すれば……あるいは……)
「あっ、ねーねー師匠、マナバッテリーを借りたけど、そもそも師匠の魔力ってわたしに分けてもらえないの? パイセンとは魔力共有? ってやつやってるんでしょ? わたしともできない?」
リンネの言葉に、師匠は「ああ、あれか……」とやや顔を曇らせた。
「あれは、そもそも異なる魔力同士で感応しないと成り立たない」
「それって……どういうこと?」
「たとえば……お前の好きなハーブの野菜サラダと一緒だ。俺がハーブを持っていても、お前が野菜を……つまり魔力を持っていないと、お互いのポテンシャルを引き出せない。ようするに……俺たちの魔力共有という名のサラダは完成しないんだ」
「えー……そうなんだ……」
セロニアスは人間とエルフの血を引くため、本来のエルフよりは魔力が薄まっている。だが、リンネのように皆無ではない。魔力と魔力は感応する。セロニアスの魔力の上限を、クロトの力を注げば突き破ることができる。
だが、そこでリンネのように魔力が一切存在しない者の中には、魔力を注いでも意味がない。
一方通行の魔力は、体内で循環できなくなるのだ。
「あーぁ……魔法って、ほんとに才能なんだなぁ……」
クロトは、しまった、と思った。
せっかく昨晩の活躍を褒められたのに、現実を突きつけてしまった。
だが、マナバッテリーのような魔道具で補助しないと魔法が発動できない場合、魔術師と呼ぶのは難しい。やはり、本人の中に微量でも魔力が存在しなければ、自力で魔法を発動できない。
「俺も、マスターの介助がないと魔法が使えない。似たようなものだ」
「えー、そうかなぁー」
「きっといい方法がある。マスターならいつか思いつくだろう」
セロニアスの言葉に、クロトは己の気が引き締まるのを感じた。
(俺にとっても課題だな……)
リンネを弟子にとった以上、なんとか魔術師の道を歩かせてやりたい。
己の魔術師の人生に懸けて、この弟子を導くと決めたのだから。
クロトたちは、そのまま山道を進んだ。自然すぎて誰も気がつかなかったが、先頭にいたアンジュはだんだん仲間の後ろに下がって、最後尾を守るように歩いていた。
その背中に回された手には、べっとりと赤い血がついていた。
彼女は必死にその血を拭うため、黒いスカートに強く手を押しつける。
黒い布地に、赤い血は吸い込まれて、やがて目立たなくなる。
それでいい、と、アンジュは心の中で思った。
これも使命のためなのだから、と。
「――それで、クロトはザヤを目指したのですね?」
冷たい空気の漂う石造りの部屋に、女の声はいっそう静かに響いた。
俗世の雰囲気を感じさせない純白の装束の背中に、淡い桃色の髪が流れている。その長い髪は、まるで夢の世界をせせらぐ河のようだった。
その後ろには、やはり白い装束に、幅広の白い布で両目を覆った大男が控えていた。
両目を覆う布には、大きなひとつの目玉が描かれている。
まるで両のまなこを封じることで、真の世界を見通す目が開かれる、と言わんばかりに。
「はい。はぐれエルフの群れが帝国を脱した情報はすでに渡っていたようです。わたくしが進言するまでもなく、彼らはザヤを目指したでしょう」
「それは、すばらしい」
女はたおやかに両手を重ね、喜びを表現した。
しかし、その美しい顔はどこか曇っている。本来ならば清らかに輝いているはずの瞳には、何か澱のように暗い感情が沈殿していた。その感情が影となって、表情に差し込んでいる。
顔は女神のように美しいが、女の目の奥は虚ろだ。口元に浮かんだ微笑みも寒々しく、白々しい。
だが、見る者によっては、それはもはや彼女が常人の世界に立っていないことの証左であり、彼女の微笑みは地上から遠のいた光である事実そのものだった。
天上の人の佇まいをした女は、外の光が差し込む窓をそっと眺めた。
その窓の下では、鮮やかな芝を生やした庭が広がり、子どもたちが遊んでいる。
親のない子どもたちだが、彼らの走り回る姿は、ひさしの下のベンチに座った老人たちが笑顔を伴って見守っている。そして、皆の世話をしている聖職者たちが、さらにその姿を見守っているのだ。
安楽な世界が広がっている。どこの世界を見渡しても、ここのような光景が広がっていたらいいと思うような、そんな光景だった。
だが、それを見下ろす女——〝聖女〟は、まるで、それから目を背けるようにカーテンを引いた。
「この世界は、偽りですからね」
そう独り言をして、〝聖女〟は静かに目を閉じた。
「偽りの世界は——物語で、正さねばならない」
思案と独り言に暮れる表情は、紛うことなく聖なる者が宿す真の静けさを宿していた。
「〝勇者と魔王の物語〟は、まだ決着がついていませんよ——クロト。あなたも、じきにわかるでしょう」
まるで、自分の中にこそ望む世界が広がっていると言うように。
女は目を閉じたまま、にこり——と、口元を綻ばせた。
その微笑みに漂う虚ろさ、冷たさを、後ろにいる男は見ることがない。
彼もまた、己の見たい世界を脳裏に掲げているからだ。




