師匠の憂鬱
「クロト殿。この度は呪いの討滅にご尽力いただきありがとうございます」
帝国の騎士団を追い払い、クロトたちがアンジュの回復を待つ中、平和になった村を去り際、グレンツは言った。
「べつに、たまたま居合わせただけだ。それに連れのドラゴンの汚名をそそぐ機会が必要だったからな」
呪いの原因ではなかったにしろ、アンジュやクロトたちの手を煩わせた邪竜も退散した。あの竜の露払いは神獣ユニサスが請け負ってくれたし、後に困る問題は残っていない。
だが、グレンツは相当切れ者のようで、クロトが伝説の勇者パーティーの一員であったことを見抜いていた。クロトは魔王を倒した後、帝国を離れてから十年間、裏社会に通じながら旅をしてきた。最近に至っては、エスメラの奴隷マーケットを壊滅に追い込んだ例もある。
ここで素性が露見し、連合側に通報されようものなら、クロトたちの旅は致命的な打撃を受ける。
だが、帝国の飛竜たちを追いやった通り、グレンツは明らかに肩入れしてきた。
今回の戦いで協力した礼なのか、聖職者ゆえの慈悲なのか。
一時的なものとはいえ、邪竜ほどの強力な存在を抑え込める法力と、掴みどころのない人柄といい、グレンツは侮れない聖職者だ。今までの振る舞いからして、あくまで善人だろうとは思う。だが、それだけではけして見極められない何かがグレンツにはあった。
グレンツは弟子たちを先に出発させ、わざわざクロトと話す機会を設けようとした。
「あなたのお噂は聞いております。良い噂も悪い噂も」
「だろうな」
「ですが、今回の戦いを見た結果、私は少なくとも、良い噂のほうを信じようという気持ちになりましたよ、クロト殿。あなたがたの旅が良いものになるよう、お祈りしております」
「……それはどうも」
「……あなたがたがどんな目的にしろ、われらが聖地ザヤに一度は訪問することをおすすめしますよ」
そう言って、グレンツは歩み出した。
白と基調をした制服に包まれた肩も、背中も、後ろから見ると山のように偉大だ。
「あそこは僧兵以外の武装は禁じられています。連合の勢力も、教会の者以外は立ち入りません。ユニティア教の教義は自由と平和……それをわずかでも望む者は、必ずや立ち寄ることになるでしょう。それでは、お達者で……クロト殿」
まるで、クロトたちがはぐれエルフの動向を追っているのを知っているかのような口ぶりだ。
だが、旅の連れにリンネがいることを知られた以上、仲間の行方を気にかけるのは不自然なことではない。
クロトは村を発つ聖職者たちを見送りながら——、帝国から逃れたはぐれエルフたちは山脈を越え、多様な人種の巡礼者が訪れるザヤの大森林を目指した、というシミュレーションが、グレンツの言葉によって強化されたのを自覚した。
ほかにあてがない以上、旅先で情報を集めながら、今は聖地を目指すしかない。
数日後、アンジュの回復を機に、クロトたちも村を発った。
ロイテールからアザレアに入国し、帝国を経由せずにザヤの大森林を目指す。
だが、目論見はアザレアに入国したその日に取った宿屋で崩れ去った。
「聖地ザヤに、非人間族が集まっている?」
宿のバーで、旅人相手に情報をもらおうと試みたクロトは、酒をおごった彼らからそんな話を聞いた。
「ああ、あそこはもともと暗黙の了解というか、なんたって神様のおひざ元だからよ、奴隷の身分から逃げ出したようなやつも出家するのを認めちまってるんだ。おかげで、すねに傷あるやつも改宗しちまえば儲けもんって感じだったが、最近、なんか妙に数が増えてるらしい。物騒な気配がしてきたって、いち早く連合が街道を規制しちまって、まともな巡礼者はアザレア側からは行けねぇよ」
「何か理由があるのか」
「さあ、わからねぇ。修行から帰ってきた〝聖女様〟がザヤの神殿をお訪ねになったって何か月か前に話題になったがな。それで一時的に巡礼者も増えたからかもしれねぇが、本当の理由は一般人にゃわからん」
「………そうか」
ここにきて、アザレアから隣接するザヤには侵入できないことが分かってしまう。
クロトは最後にもう一杯を旅人におごってから、大部屋に滞在している仲間のもとへと戻った。
「予定が変わった。アザレアの街道からザヤには立ち入れない。……俺たちも、山越えをする必要がある——」
「はーい、お嬢様~、仕上げみがきですよ~。あーん、ってしてくださいね~」
「あ~~ん」
部屋に入ってすぐ見えた光景に、クロトは表情を変えた。
そこにはアンジュのエプロンドレスに頭を乗せ、歯ブラシをかけてもらっているリンネがいた。
しゃこしゃこしゃこしゃこ……、と歯ブラシが歯を磨く音が部屋に響き渡る。
「――おい!! それはいくらなんでも甘やかしすぎだ! そいつは何歳だと思ってる!!!」
「ええ? これぐらい普通でしょう? なんたって、この方は救世を成すエルフの御子なのですから! 従者がお世話するのは当然です!」
「はははほ、ほほほひ~」
膝に頭を乗せたリンネの歯を丁寧にブラッシングしながら、アンジュはきっぱりと告げた。
どう見ても過保護すぎる彼女の弟子への対応に、クロトは最近頭を悩ませている。
なんなら一番たちが悪いのは、リンネもまんざらではなさそうなところだ。
「はーい。ぺっ、てしてくださいね~」
一通りみがきあげた後、アンジュはコップの水でリンネに口をゆすがせ、持った桶に戻してもらう。
「ふー! アンジュにやってもらうときれいにみがけた感じがして、気持ちいいな~! 自分でやるよりさっぱりした気持ちになる!」
「うふふ。昔から弟たちの歯みがきを手伝っていましたから、慣れているんです。なんせ四人分の歯をみがいてきましたからね!」
「懐かしいな。俺もテオによくやってもらった。テオは歯も骨の一部だから大事にしろとよく言っていたな」
そのそばで自分も歯をみがきながらセロニアスも言う。
彼もアンジュのリンネに対する扱いがおかしいとは思っていないらしい。
おかしいと思っているのは自分だけなのか……、と絶望的な結論に達し、クロトは渋い表情で黙り込んだ。
一年前、黒竜の一族が星の宣託を受けたらしい。その内容は、世界樹のもとより出でたエルフが、世界の破滅を前に、人々を楽園へといざなうというものだった。
昔から星読みに長ける黒竜は託宣を重く受け止め、総出で協議したのち、一族の才女アンジュに世界を救う御子を助ける使命を言い渡した。そこで、アンジュはリンネの真名に楽園の文字が入っていることを知り、さらにその後の彼女の活躍を見て、予兆を確信へと変えたのだという。
「お嬢様は、まさしく世界を導く救世主の才がおありです! ご自分の空想をもとに、人々に神獣の姿を伝え、復活まで導いた偉業は、まさしくその証拠といっても過言ではありません! きっと、はぐれたお仲間を探し、お救いするのも星に課された運命なのです!」
アンジュはそう訴えてやまなかった。
しかもクロトにとってよくないことに、リンネまでその気になっている。
「あ~、世界か~。わたし、師匠との修行もあるし、忙しいんだけどな~。まっ、みんな困ってるなら仕方ないよね~、ほら? わたしががんばらないと、みんな大変だからさ~~~~~」
最近、リンネはことあるごとに後頭部に両手をかけ、気だるそうにそう言うようになった。
最初は実感が湧かなったみたいだが、最近とみに調子づいて——もとい、英雄の自覚を強めている。
よくない傾向だ、と師匠であるクロトは予感した。
若いうちから(実年齢は百歳の長寿だが)自分が特別な才能に恵まれていると思うと、ろくなことにならない。魔力がないことを理由に一族から追放を受けたリンネは、人間の寿命を超える長い時間の中で、抑圧され、つらい目に遭ってきた。
少しでも自信につながるならと修行を始めさせたが、最近はアンジュの溺愛も重なって、リンネは気が緩んでいる。
続いている修行は本を読むことだけ。それも、おとぎ話や冒険譚、珍獣幻獣を記した図鑑など、自分の好奇心を満たす本しか読もうとしない。
クロトが昔ながらの儀式魔術や錬金術についての本を読み聞かせて、何度か実践させたが、全部とんでもないことになった。
儀式魔術は、象徴を用いた魔法陣や、魔道具などの媒介をもとにして儀式の手順が決まっている。魔力はクロトが貸し与えればいい。だが、リンネは本を見ながらでも模写が上手ではなかった。しかも、「面白そう」という理由で変な落書きを足したりする。余計なディテールが加えられた魔法陣によって、儀式は大変なことになった。
褌を締めた半裸の妖精たちが神輿を担いで異界から出てきて、「ここを祭りの会場とする」と宣言したのち、本当に祭りを開催し、夜の山中を大騒ぎに導いたのである。
とんでもない大所帯で神輿を担ぎ、笛や太鼓で祭囃子を奏でながら、威勢のいい掛け声を出す妖精たちの祭りに、リンネは熱狂し、目をギンギンに輝かせて神輿担ぎに加わった。
最後はご神体の前でなぜかセロニアスが猛獣と相撲をとることになったり、アンジュが粋な男衆のために大急ぎで祭りの料理をこしらえたり、リンネは妖精たちと夜っぴて歌ったり踊ったりしながら過ごした。
彼らを早く元に戻すためにあらゆる手段を取り尽くしたクロトだったが、結局、祭りを堪能した妖精たちは満足して元の世界へと戻っていった。
錬金術も、簡単なキットを用意してから手順通りにやらせたが、これもとんでもないことになった。
猫のように夜目が効くようになる薬を作るはずが、材料の配分を間違えたリンネは、蒸留にかけた薬剤を爆発させ、巻き込まれたアンジュは猫のような耳と尻尾が生えて、野生の本能に火がついた。
猫のように四足で俊敏に疾駆し、宿屋の部屋をめちゃくちゃにしたばかりか、クロトたちに「ウミャ~~ォ」と瞳孔ガン開きで不穏な唸り声をあげて、まったく心をひらかない。
結局、宿の外に逃げ出したアンジュは、近所の野良のボス猫と死闘を繰り広げ、勝利したところをセロニアスが力ずくで捕らえた。少女の姿とはいえ、ドラゴンに全力で抵抗されたセロニアスは全身にひっかき傷を作り、何日か腫れが引かず、悲愴なことになっていた——アンジュには猿轡を噛ませ、薬を焚いた部屋に閉じ込めたところ、なんとか元に戻ったが、万が一、クロトが調合した薬が効かなかったら、この旅はどうなっていたことか。
毎回引き起こす事件の規模がでかすぎて、師匠としては後始末が大変だった。
これが弟子を持つということか……と彼は現実を認めながらも、リンネは不注意なところが目立つ。そのくせ不用意に動きすぎるし、それがクロトには予測できない。
それがまだやる気を見せてくれていたから良いものを、最近はアンジュの過剰なお世話に甘んじて、やる気というものが感じられない。
「あ~~、寝る前に師匠からこないだの錬金術のレポート書くように言われてるんだった~、あ~、めんどくさいな~。これから世界を救わなくちゃいけないのに、レポート書いてたら寝る時間短くなっちゃうよ~」
歯みがきの後、仕上げにアンジュからミントタブレットをもらって、もごもごと口の中で転がしているリンネは、いかにも投げやりな口調でそう言った。
それを聞いて、クロトは顔をしかめる。昼間、クロトが情報収集に行っているあいだに書く約束だったのだ。
「大丈夫ですよ、お嬢様。作文なんて朝の集中できる時間にやればよろしいのです。子どもは寝るのが仕事ですよ~」
「あ~、やっぱそうだよね~。明日起きたらやればいっかぁ」
そう言って昨日も約束を引き延ばさなかったか……?
クロトがそばについて書かせればいのだが、旅のあいだもやることが多い。昼間も、夜も結局帰りが遅くなって、リンネを見ている時間がとれなかった。
今日は自分も遅くなったし、仕方ない……、と割り切り、今日は全員、一刻も早く休むことにした。
「ちゃんと朝起きたらレポート書くんだぞ」
「はいはい、わかってるよ~師匠~」
「師匠に『はいはい』はないだろ」
「もう、しつこいですね。お嬢様は早くお休みにならないといけないんですよ? それで世界が救えなかったら、あなた師匠として責任とれるんですか?」
「…………おやすみ!!!!!」
アンジュの追い打ちの言葉に、クロトは半ばヤケになってランプの灯を消した。
そろそろ、近いうちに本格的に説教をしなければならないな……と、師匠としての予感を高めながら。
旅の夜はこうして更けていくのだった。




