空へと続く
全身を炎に包まれたアンジュは、聖職者たちによる治癒の魔法と、村人たちの介抱によって回復に向かっていった。
それでも、竜の持つ高い治癒力と合わせても、宿のベッドに寝かされたアンジュが目を覚ましたのは、三日後のことだった。
「こ……ここ、は……」
ガーゼを当てられた頬をゆっくりと動かし、アンジュは呻くようにつぶやいた。
彼女の目覚めに、ベッドの横の椅子の上で読書していたリンネは本を手落とし、両手をあげて喜びの声をあげた。
「やったー! 師匠ー! アンジュが起きたよー!」
そしてアンジュは、自分が邪竜の炎のブレスを受けてから起きたことを知った。
あの邪竜は強力な呪いを食らい、己の魔力を増幅させていた。そこで彼の攻撃をまともに食らえば、強靭な竜だって無事では済まなかったはず。
だが、ユニサスの角から放たれた不思議な光がアンジュの身を包み、攻撃を軽減してくれたようだ。
力を使い果たしたのか、戦いに飽いたのか——邪竜はその場を去り、ユニサスが彼の呪いを祓うために後を追った。
それからアンジュは村に運び込まれ、村人たちから手厚く面倒を見られたらしい。
邪竜と戦い、村を救ったブラックドラゴンとして。
戦いで傷つき、血に汚れたメイド服だったが、村人に繕われ、きれいに修繕されたものを自分が身に纏っていると知ったとき、アンジュは不思議な心地に包まれた——両親を殺したのも人間なら、自分を救ってくれたのも人間。初めて知った愛憎入り混じる複雑な感情。今でも彼らを憎いとも思うのに、彼らの気持ちの温かさに触れて、アンジュは次第に涙を堪えるようになった。
誓約を守ってきてよかった、と、アンジュはそのとき、生まれて初めて思ったのだ。
うつむいた拍子に、アンジュは自分の頭が軽いことに気がついた。
自然と手で触れると、首の後ろがすかすかしている。
「え………髪、が………!?」
驚いて両手で自分の頭に触れるアンジュを見て、リンネが気まずそうに眉を落とした。
「あ……実はね……あの炎で、髪の大部分は燃えちゃって……村の人が、こうした方がきれいだからって——」
クロトは手鏡を持ってきて、アンジュに自身の軽くなったショートヘアを見せてやる。
アンジュは驚いたあまり、手鏡の前で硬直した。
「そ……そんな……こんなのって……!!」
クロトは、アンジュがショックを受けるのも致し方ない、と思った。
なぜなら、竜にとって一番大事な鱗の部分が、人間の姿で言うと髪にあたると考えられている。鱗には一枚一枚魔力が宿り、連なって流れを形成している。それが人間の姿になったときの長い髪なのだ。
今のアンジュは、竜で言うと鱗を剥がされた哀れなものに違いない。
手鏡を放り出すと、アンジュは布団を頭までかぶり、「こんなみっともない姿……誰にも見せられません~~~……!!」とすすり泣いた。
炎に包まれた髪は焼き切れてぼろぼろになり、ほとんど燃えかすになっていたところを、村の散髪技師が見かねて、なるべくおしゃれにカットしてくれたらしい。
「アンジュ、だいじょうぶだよ! ちゃんと似合ってるよ! ボーイッシュな雰囲気もアンジュらしくて!!」
嗚咽するアンジュを見て、慌ててリンネがフォローに回る。
リンネの慰めの言葉に、泣き声を止めたアンジュは、布団の中から視線だけをのぞかせると、
「ほ……本当ですか……? こんなに短くしたことなくて……本当に、変じゃないですか……?」
「ああ、短いのも似合ってるぞ」
セロニアスもフォローに回る。だが、その一言を聞いた瞬間、クロトは顔をひきつらせた。
案の定、アンジュは声を呑むと、ますます布団を深くかぶり直した。
「も……もうっ!! セロニアスさん!! そういう台詞を軽々しく男性の方から女性にかけると、なにかしらのハラスメントにあたる可能性がありますよ!!」
「そ……そうなのか……すまない、よく知らなくて……」
布団の中から抗議の声を発するアンジュに、セロニアスがすまなそうに頭を下げる。
やがて、あきらめがついたアンジュは布団の中から顔を出す。
ショートカットになった頭には慣れないし、首や肩のところがすかすかして無防備な感じだ。
だが、あのとき自分は命を捨てる覚悟だった。邪竜の攻撃から彼らを守るために。
命の代わりに髪を失ったと考えるなら……安い代償だろう。
「それより……私たちはこのままこの村に滞在してもよかったのですか……? 邪竜の起こした騒ぎが広がって、もし連合の力が働いたら……私たち非人間族なんて、とっくに——」
「ああ、それなんだがな……」
クロトの顔色はやや曇っていた。
彼が説明するところによると、邪竜が退散し、ユニサスとともに消えてからほどなくして、帝国から飛竜に乗った騎士団がやってきたらしい。
しかし、クロトたちを庇うべく、グレンツが講じた策があった。
「ん……? 竜が呪いを撒き散らしている、と報告がありましたが……そのような雰囲気はありませんね……木々は破壊されてますが、村は無事みたいですし……」
村に着陸したリオナは、訝しげに視線をあたりに巡らせた。
そこで彼女は部下を率い、とりあえず村長の家に出向いたのだが———、
「て、帝国の騎士様がた……いったいどうなさったというのですじゃ。ここいらは女と年寄りしかおらぬ、日照ったつまらない村ですじゃ……!」
家の奥で、なぜか老婆と女たちが固まって震えていた。
そして村じゅう見渡しても、男がいない。そのため、現地の警備の人間とも連絡がつかない。
部屋の隅に固まり、怯えた老婆と女たちは、リオナを中心に鎧を着込んだ女性騎士たちを眺めて、恐ろしそうに口走った。
「聖天銀翼騎士団……帝国では略して聖翼女子、なんて噂されているそうよ……!」
「せ、性欲女子……!?」
「なんでも帝国でももっとも性欲の強い女たちだけを集めた精鋭、だそうよ……」
「そんなのが村にいたんじゃ何をされたかわかったもんじゃないわ!!!!」
「うちの男たちは全員納屋に隠したし……嗅ぎつけられなきゃいいんだけど……っ」
女たちはひそひそと言い交わし、不審そうな視線でリオナたちを見る。
帝国が遣わした蛮族扱いを受け、誇り高い騎士団長リオナは顔を真っ赤に染め、声を震わせた。
「な、なんですか……失礼な……!! 女に性欲があって悪いというのですかっっっ!!?」
「リオナ。おそらく否定するのはそこじゃないわ」
横から副官のステラが口を挟むが、怒りが脳にまで達した騎士団長は聞く耳を持たなかった。
「だいたいうちには男性の騎士もいるんですよ! 小柄なので女性と見まがうこともあるかもですが、うちはれっきとした男女平等な職場環境です! 男女雇用機会均等法です!!!」
「んまっ!! 女みたいな男を捌け口にしてるんですってよ!!」
「なんとあくどい!!!!」
「は~~~~、これが帝国の騎士様のやることかねぇえ~~~」
女たちはドン引きし、犯罪者を見るような目でリオナを見た。
その対応にますます彼女は怒り心頭。ぷいっと顔をそむけて踵を返し、愛竜のもとへ向かう。
「みんな、行きますよ!! こんな無礼な村の人たち、助ける必要なんかありません!!」
と言って、自分から愛竜の鞍にまたがり、飛び立って行ってしまう。
団長のそんな後ろ姿を見て、部下の誰もが彼女を追わずにはいられなかった。
「……よし。私の思い通りです。これで帝国からの勢力はあなたがたを追えなくなるはずです」
(なぜこの方法が良いと思いついて、なおかつ成功するんだ……)
埃っぽい屋根裏部屋に押し込められたクロトは、同じく狭い部屋に巨体を押し込めたグレンツが隠し穴から外をたしかめ、うなずいているのを見て、そう思った。
「は……はぁ……それで、追及されずに済んだわけですね?」
「ああ……俺も話していて『正気か?』と何回か思ったが……」
クロトの口から説明された信じがたい状況に、アンジュは戸惑いながらもうなずいた。
警備の兵士含めた、男たちは全員それぞれの家の屋根裏や倉庫に押し込まれて、息ひとつするのも苦労する有様だった。もうあんな状況はこりごりだ、と当のクロトの表情と声音が物語っている。
「でも、これで旅が続けられるね! またアンジュと一緒にいられる!」
状況をあまり理解していないリンネは、喜びもあらわに、アンジュの両手を自分のそれとタッチさせた。
自分の無事を喜んでくれる幼いエルフに、アンジュは微笑ましそうに目を細めると、それから次第に顔色を真剣な表情で引き締めた。
「お話したいことがあります」
リンネの両手を握りながら、アンジュは告げた。
自分が旅をしていた、本当の理由と、目的を。
「われら黒竜は、星の託宣を受け取りました。竜たちが誓約を守ってなお、人と魔が戦いに明け暮れ、世界が破滅に向かうとき——〝救世の御子は大樹の森より現れ、われらを楽園へといざなう〟と」
楽園?
と、リンネは——楽園をその名に冠する少女は、その言葉を繰り返した。
「それにしても……いいの? リオナ。あんな変な茶番に付き合って、命令を無視しちゃって」
「村じゅうが結託するぐらいですから、よほどのことがあったんでしょう。あのロイテールの都市と同様……われらの代わりに事態を解決に導いてくれた勢力が存在する。……おそらく、それは非人間族たちの立場に近くて……」
空を翔けて帝都へ帰還する最中、ステラの言葉にリオナは応える。
自分たち帝国の前に曝せない人物を庇うために、彼女らはあんな茶番に走ったのだ、とリオナが気がついていた。
それで体裁を守るために、彼女自身も一芝居打つこととなった。
結果的に、守れたものがあるならそれでいい、と。
「にしても、性欲女子はないですよね~!」
「考えたの絶対おっさんよ」
女子ふたりはぶつぶつ文句を言いながら、空をひた駆ける——。
その日、クロトはまた瞑想に耽っていた。
彼の横では、大きく手足を伸ばして大の字で仰向けになるリンネがいた。
呪いから救われた村を発ってしばらく——リンネは、まだ事情を呑み込めないでいた。
「ねえ師匠、わたしが救いの御子だって、ほんとうかな?」
その言葉に、クロトは薄く目をひらく。
「予言というのは曖昧なものだ。曖昧だからこそ、そこに人は色んな意味を見出す——」
世界が危機に瀕したとき、大樹の森より救いの御子は現れ、新たなる楽園へと生き物たちを導く。
アンジュたち黒竜の信じる予言の内容には、そうあった。
大樹とは、おそらく世界樹。そして、世界樹の森に住むのは、エルフ。
そこから来た楽園の関係者となると、真名に「楽園」の意味を有するリンネは、どこか予言の内容と重なるものがある。
少なくとも、アンジュはそう思ったらしい。
彼女は御子を探し、救世を成すその人を支えるために故郷を旅立ったらしい。
ふわー、とリンネは大きなため息をつく。
「どうしよう? わたし、そんなすごいエルフだったら……」
あまり実感が湧かない。
今だってリンネの中には魔力が存在しないし、師匠のような魔法も使えないのだ。
でも自分が特別な存在かもしれない——その可能性は、リンネの頭の中を楽しくさせた。
いつだって、自分には力がないと思っていた。でも、本当は、世界を変えられるぐらい特別な力を秘めていたら? あのユニサスのように、困った人たちを助けられる、神様の遣わしたヒーローだとしたら?
「だったら……なんか、いいかも~」
にやにや、とだらしなく頬を緩ませる弟子の顔を横目に見て、クロトはため息した。
彼女があまり深く物事を考えられない性格で助かった、と言わんばかりに。
「師匠。こっち見て」
突然、そう言ってリンネは立ち上がった。
クロトがまた彼女を振り向くと、弟子の手元には一枚のハンカチがあった。
アンジュが刺繍してくれた、大きな花の模様のついたハンカチだ。
それを大きく広げて「はい、タネも仕掛けもありませ~ん!」と強調する。
リンネはぱっと手を離した。彼女の両手から離れても、ハンカチはクロトの目の前で浮いている。
とっさのことにクロトが目を見開く。
その瞬間、ぱぁっとリンネの瞳も輝いた。
「やったー! マジック大成功っ!!」
リンネは浮いたハンカチを掴むと、ひらひらと旗のようにはためかせた。
「あのときの村のおじさんに教わったんだ~!」とリンネは自慢げに説明する。
なんてことのない、よくある簡単な手品だ。ハンカチに細い糸がついていて、浮かせているように見えるのだ。糸は手の角度で見えづらくする。
だが、クロトは予想外の光景に一瞬だけ驚いてしまった。
その反応だけで、リンネは大収穫だった。
「わたしも魔法使えちゃった!」
クロトは眉に入れていた力をふっと緩めた。
彼女にとっての〝魔法〟がなんたるか、大人である自分が規定してしまうのは、愚かなことだ。
大事なのは、リンネが世界をどう見たいか、感じるか。それだけなのだ。
師匠は、ただそれを貫ける強さを授けてやればいい。
「最近、絵は描いてないのか?」
「うん……なんか本物のユニサス見たら満足しちゃって」
ハンカチを振って師匠の周りを走り回っていた弟子は、そう聞かれて立ち止まると、こつん、と足元の石を蹴った。
そんなこともある、と納得して、クロトはふたたび目を閉じた。
その横では、ハンカチを空にかざして刺繍を見つめながら、リンネがひとり、つぶやいた——。
「次は、どんなのを描こうかな?」
空には雲が悠々とたなびいて、形を変えていく。
彼女の自由で気まぐれな心を映すように。




