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吟遊のリンネ ~魔力ゼロのエルフ少女は、世界を語り直す~  作者: 七日
竜たちと死の呪い編

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翼ある者たち


「……私、ひどいことを言いました。あの人は、とっくに亡くなっていたのに……」


 ぽつり、と、こぼしたアンジュの悔悟の台詞が、背中に乗るふたりに聞こえた。


「——死んだ人の分まで誇りを抱いて生きて、なんて……本当に、命を失った人にとって、どれだけ残酷に聞こえたでしょう。私が、亡くなった親や一族——祖先の思いを汲もうと必死になるあまり、いつの間にか傲慢になっていたのかもしれません」


 静かに告白する古代種の末裔に、クロトも目を伏せる。

 今までも死んだ者たちの思いを抱え、彼らの分まで尊厳を背負い、気丈に振る舞ってきたのだろう。

 誓約を背負って生きるということは、たやすいことではない。

 だが、彼女は誇りを以て祖先の選んだ道をまっとうしようとした。


「だが、生きている以上は、……誰だって前を向かざるを得ないだろ」


 それを生者の傲慢と死者にねたまれ、蔑まれようと、自分たちは己で奮起し、生きていかざるを得ないのだ。

 村の頭上に浮かぶユニサスにまたがったリンネが、向こうから手を振っている。

 アンジュは飛翔し、ユニサスの目の前で停止する。


「師匠……っ、あれ!!」


 勝利を喜び、満開の笑みで出迎えようとしていたリンネは、何かに気づいたように彼らの後ろを指さして声を震わせた。

 クロトたちも一斉に振り返る。

 そこには、魔神が崩れ去り、黒い塵と化したものが砂嵐のように渦巻いていた。

 それは徐々に勢力を強め、こちらに近づこうとしている。


「核の心臓を破壊したはずだ……! なぜ消滅しない!?」


 贄となったのは悪魔たちの心臓。それを媒介にして顕現した魔神は、心臓を破壊され、これ以上は現実に姿を留めていられなくなったはずだ。

 疑問を投げかけるクロトの声に、ユニサスもまた重々しく口をひらいた。


「信じられない……呪いが、消えてないんだ……神様からいただいた力を使っても消えないなんて……もう、おれにも対処しようがない……!」


 恐怖におののき、震える声でユニサスは告げた。

 天まで届きそうな黒い嵐は、唸りをあげて近づいてくる。

 クロトはもう、さきほどセロニアスに持てる魔力をすべて移譲している——己の血に魔力を乗せたセロニアスも、彼から移された分はすでに使い果たしたはずだ。

 対抗策が、思いつかない——。一瞬、クロトの思考が絶望に染まった。

 そして、それを嘲笑するように彼の言葉は響いた。


「フン——万策尽きたというわけか。愚かな人間め。しょせん、真の闇の力を前に、貴様らができることなど知れている」


 人間体に変化したニーズヘッグが、黒い翼で浮遊しながら吐き捨てる。

 彼はいつの間にかアンジュたちのそばまで忍び寄り、ともに黒い嵐を見上げていた。

 「貴様、まだ動けたか!!」とアンジュは激高し、牙を剥く。

 だが、ニーズヘッグは腰に両手を当てたまま動かなかった。


「貴様らは、死者の魂を侮っている——やつらの命への執着を、舐めるなよ。神の力ごときで浄められて、それだけで憎しみを手放せるなら、みずから呪いになることを選んでなどいない」


「……それで、何が言いたい?」


 魔術師と古代種たち、そして神の使いの前で持論を垂れる邪竜。

 クロトがその先を問うと、ニーズヘッグは口の端を引き上げて、底冷えするような冷笑を見せた。

 黒い翼が羽ばたき、急な速度で飛び立っていく。

 渦巻く巨大な嵐となった、呪いの源に向かって。


「何をするつもり………!!?」


 仇敵の自滅的な行為を前に、アンジュは困惑とも何ともつかない感情をこぼした。


「生者特有の綺麗事を抜かす貴様らには、理解できないだろうな——ッ!! 憎しみにとりつかれた連中の行き先なんて、ひとつに決まっている!!」


 あの得体のしれない高笑いをあげながら、ニーズヘッグは黒い嵐に飛び込んで、呑まれてゆく——そして、世界は束の間、無音に包まれた。風に巻き起こる塵の一片一片まで静止し、宙に停滞した嵐は、一瞬の沈黙ののち、広大な範囲にわたって、爆発した。

 あまりの衝撃に、宙にいたアンジュやユニサスまで吹き飛ばされそうになり、翼を勢いよく羽ばたかせて、なんとかその場に踏みとどまる。

 だが、めちゃくちゃに吹き寄せてくる暴風と衝撃は、まったく止む気配がない。

 目も開けていられないほどの圧力に、誰もが戸惑い、この瞬間を耐え抜くことに集中するほかなかった。





 ああ、風が吹いている。

 胸に空いた風穴の大きさが、吹き抜ける風の感触でよくわかった——アルティマにはもう、そのことしか考えられなかった。なぜ、この胸はこんなにも空虚なのだろう。一族のために戦うことも、心臓を捧げることも、何も後悔することはなかったのに。

 それなら、なぜこの胸には何も残らなかったのだろう——?

 戦い抜いた者にこそ、真の誇りが宿るのではなかったのか。

 最後まで、アルティマの思う悪魔族らしい生き方を貫いたはずなのに。

 これが、敗者のさだめか。

 今まで悪魔族がむさぼってきた勝利の代償——翼を失い、地に屈した弱者の辿る末路なのか。


(あにうえ、よわいおとうとをおゆるしください……)


 一族——自分が死んだことすら、もう何も感じなくなっているのに、アルティマは唯一、空虚な影の中に兄の面影を見た。

 長い髪、高い背、——二本の角に、おおきな、手。

 差し伸べられた手が、自分の頬に近づいていることに、アルティマは気がついた。


「あに……うえ……?」


 目の前の影は、まぎれもなく——。



「ああ……兄上……そこに、いらしたのですね……ずっと、そばで……」



 喜びと、恐れ多さに震えながら、アルティマは声に涙を滲ませる。

 優しい気配に目を閉じ、〝それ〟に心をゆだねると——ふっと身体が軽くなるのを感じた。

 それも一瞬だった。

 アルティマの惚けた顔を、誰かの手が力強く捕まえると、彼の首に鋭い牙が突き立てられた。


「あ”あ”あ”あ”ああああああぁぁぁ———!!!!」


 魂そのものに食らいつかれ、引き裂かれるような悲鳴がほとばしる。

 兄の面影を騙った何者かが、アルティマの魂の最後の輝きを食らい、最後の一片まで咀嚼せんとしていた。

 長い髪に、黒い翼を生やしたその影は、徐々に膨れ上がり、巨大な竜となった。

 闇色の牙の隙間から、だらり、とアルティマは力なく半身を垂らした。その苦痛と絶望に死化粧を施された表情は、歪みきっている——。


「心から何かを呪うことを選んだのなら——行く先はひとつ。より大きな呪いに呑まれるだけだ」


 残った半身をずるりと口の中に引きずって、噛み砕き、飲み干して、邪竜はひとりつぶやいた。


 ——誰の命もくだらない。人生なんてもっとくだらない。


 魂を取り込んだアルティマの、悪魔族たちの意識が新しい餌となって投げ込まれた途端、彼の中の虚無に波紋が起きた。

 そのとき、今までむさぼってきた魂の情念——怒り、憎しみ、嘆きのすべてが、邪竜の中で再演される。



 ……………ああ………そこの方……わたしたちの、たまごを……………。



 その竜のつがいは、二頭とも同じ罠にかかっていた。

 竜すら死に至らしめる毒を、巣篭っていた洞窟に投げ込まれたのだ。

 両親が毒の草を焚いた霧を嗅ぎ、苦しんでいるうちに卵は持ち去られたらしい。

 全身の孔から出血し、彼らは目も見えなくなっていた。

 それでも子どもたちを取り戻そうと、洞窟から這い出したところで力尽きた。

 彼はそのとき人の姿をしていたが——竜に似た気配を感じ取ったのか、死にゆく竜たちは血の海から懇願してきた。

 その、わが子を奪われ、殺されゆく竜たちの魂から嗅ぎ取った、憎しみと悲しみを今も覚えている。




「――それで、きみはその卵をどうするんだい」



 あたり一面、暗黒と化した村の跡で、その卵は見つかった。

 盗人の家から繋がる土蔵に掘られた穴に、四つともきれいに並べられていた。

 村を破壊しているときは、卵のことなんて頭の隅にも浮かばなかった。

 だが、地中に隠された卵を見つけたとき、邪竜はなぜか言葉を失った。

 彼の隣で、幼い少女が問いかける。白い髪に、竜とは違う赤い瞳の少女。

 彼女の静かな問いに、邪竜は顔を伏せた。


「くだらん——興味はない。壊してくれてもいい」


「それでいいの?」


「なぜそんなことを聞く。どうでもいい。俺は何も——」


「壊したいなら、壊すといいよ」


 少女はそう言って、颯爽と踵を返した。


「僕は君の友だ。きみらしい生き方を阻むものなら、壊すがいい。僕は咎めないよ」


 邪竜は歩き去っていく少女の背中を見て、卵を見た。

 彼はその一言で、急に気分が悪くなって——不機嫌に息を吐き出した。


「俺を——試す気か。くだらん!」


 そう言って翼を打ち、空を浮かぶと、先を歩く少女の肩を両手で捕まえる。

 少女は友の腕の中から地上を見送り、黙って残された卵たちに向けて、小さな微笑みを浮かべた。


「敷かれた道を歩く方が、遥かに楽だろうに」


「誰かの思いのままになるなど——まっぴらだ」


「なるほど。それもまた、きみらしい」


 遥か空の中から、ふたりは地上を走る人間の姿の少女を見た。

 いや、人間の姿こそしているが、彼女は竜だった。

 まだ変化は未完成で、大きな黒い尻尾を残したまま、黒い髪の少女は泣きながら卵たちに縋った。

 残された卵を抱き、泣きじゃくる少女。

 それを一度だけ顧みた後、ふたりは空の中に消えていった。






「何が……起きてる……!?」


 衝撃が去り、静かになった世界で、クロトは目の前に見えたものに表情をこわばらせた。

 黒い嵐の中に突っ込み、呑まれたかと思った邪竜が、翼を広げて、空に咆哮している。

 アンジュと戦い、クロトの術に貫かれ、満身創痍だった身体には傷ひとつない。

 それどころか、最初に会ったときより強力な魔力で満ちている。


「あいつ………呪いを、食って、生きている……!」


 長年の謎が氷解したアンジュは、その答えのおぞましさに自分の声を呪った。

 アルティマたち悪魔族の怨念を食らい、力を強めた邪竜は、己を誇示するかのように吼えていた。

 次第にその眼光は、アンジュたちに定められる。

 それに気がついたアンジュは、黒い光を放って、己の変身を解く。

 無論、竜の背中から振り落とされたクロトとセロニアスは宙に落下していく。「おおぉっとぉ——!? 急に何~~!?」その下に回り込んだユニサスが、急いで彼らふたりも背に乗せる。


「ごめんなさい」


 人の姿に、翼を生やしたアンジュは地上の彼らに向かって謝った。


「私が、あいつを追い込んだせいで、皆さんにご迷惑をおかけすることになりました——この命に代えても、皆さんをお守りします——」


 そう言って、彼女は邪竜に向かって飛び出す。


「アンジュ——!! ダメだよ———!!」


 白馬から師匠たちを下ろすと、リンネは彼を走らせ、最後の特攻をかける少女の背中を追った。

 しかし、高速で飛行するブラックドラゴンの少女に、ユニサスの動きは後れを取る。

 邪竜が顎をひらき、そこから黒い炎を噴き出す——。

 右腕を竜化させたアンジュが、顎の中に向かって飛び込もうとする、まさにそのとき。



「ダメ——!! アンジュが犠牲になって終わりなんて、そんなの………一番ダメなんだから~~~~っっっ!!!」



 首を振り、涙をこぼし、叫ぶリンネの言葉に、アンジュが不意を突かれたように振り返る。


「うわーーーー!! 力を貸してよ——!! 神様ぁぁぁーーー!!!」


 リンネに追従して、ユニサスの心からの叫びが天に響き渡った。

 太陽の光が、彼の角に反射する。

 こぼれた光は、そのままアンジュの身体を覆った。


「あ………」


 白い光に包まれたアンジュを、黒い炎が覆う。

 彼女はたちまち炎の中に閉じ込められ、身を焼かれながら逆さまに落ちていく。

 空を失う感覚に、アンジュは目を閉じて——わが身を包む炎の熱さが、自分以外のものに与えられなかったことを、感謝した。


(母さん……父さん……大切なものを守る力をくれて、ありがとう)


 白い炎と黒い炎。ふたつの炎に包まれながら、アンジュはなぜか安らかな心地に襲われた。

 身体が、長い髪が、燃え上がる。

 その真下で、土から岩が突き出し、地を割り、地中深くを走る水脈が、突然軌道を変えられ、宙に打ち上げられた。

 炎上するアンジュの身体が、打ちつける地下水によって消火された。

 そのまま水流に乗って、彼女の身体はゆっくり地上に降りてくる。


「アンジューーー!!!」


 ユニサスに乗ったリンネが、全身をやけどしたアンジュのもとに駆け寄る。

 その後から、クロトが手をおさえてやってきた。

 彼の指輪で光っていたルビーは砕け散り、指から血を流させている。

 魔力をほとんど使い果たしたのに、地下水を引き出すために大量の岩を動かした。指輪の力に頼り過ぎた。もう二度と、使うことはできないだろう。

 だが、彼はそれでかまわなかった。

 水から引き上げられたアンジュの顔は、眠りについたように穏やかだった。


「大丈夫だ……息は、ある……」


「よかった……! よかったぁぁぁあ……!!」


 その口元に血を流す手をかざしたクロトは、息をたしかめてそう言った。

 ユニサスから降りたリンネは涙ながらに何度もうなずく。

 喜びを分かち合う彼らの中で、セロニアスが背中の剣に手を伸ばし、宙を睨んだ。

 空中高くを浮遊するニーズヘッグは、髪の下から覗く大きな目玉で彼らを見下ろして——顔を背けると、飛び立っていった。

 しかし、その動きはどこか重い。

 何度も空中でふらつき、重心を失いそうになりながら、なんとか自身の重さを堪えて飛んでいるようだ。

 その真下では、木々が黒く染まっていった。

 アンジュたちの無事をたしかめて、嬉しそうにうなずいたユニサスは言った。


「それじゃ——おれは、行くね! あの竜の振りまく呪いを浄化しなきゃ!」


 別れを別れとも思わせない軽快な口調でそう告げると、ユニサスは虹色の翼を羽ばたかせ、宙を飛んだ。

 その瞬間、涙に濡れるリンネの顔に不安が浮かぶ。


「ユニサス……! 行っちゃ、やだよぉ……!!」


 リンネはそう言ってユニサスの後を追い、走り出した。

 夢にまで見た彼女の空想上の親友は、名残惜しそうに振り返ると、それでも蹄を止めなかった。


「おれは——必要としてくれる人のために生まれたから、使命を果たしに行くよ——! きみは、おれをよみがえらせた特別な力を持ってる! 使命を持った者同士——これから一緒にがんばろうっ! おれたちは、ずっと友達だよーっ!!」


 そう言って、翼ある白馬は光を振りまき、邪竜と同じ方角に飛んでいった。

 黒く染められた木々はたちまち浄化され、元の自然を取り戻していく。

 二体の神話の生物が遥か彼方に消え去るのを見送って、リンネは涙の滲む視界を拭った。


 そして——平和を取り戻した世界は、美しい。

 リンネは、新しい友達のくれた光景を熱い目の奥に焼きつける。

 呪われて、真っ黒く染められていた緑は、まるでそんな悲劇などなかったかのように、穏やかに芽吹いている。

 リンネは、声の限りに叫んだ。


「ずっと——ずっと———大好きだよぉ~~~!!!!」



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