復活
黒い翼の呪いを受けた村は、悲惨な状況に追い込まれていた。木々は茶色くなって萎れ、畑の農産物も枯れている。何より痛手を受けているのは、人間たちだ。
村人たちは呪いによる病に倒れ、病床が足りずに宿屋の食堂ホールまで隈なく病人たちが臥せっている。
呪いの進行度には個人差があるらしく、まだようやく立てるといった有様の者が、寝込む人々の面倒を見ている。しかし、それも時間の問題だろう。
「邪竜とあれの戦場が広がり、今一度村まで攻め込んでこようものなら、われわれだけの守りでは不足でしょう……現状、辛うじて死者はいませんが、次に襲撃を受ければ……」
あちこちの病人たちの様子を見舞いながら、グレンツは苦慮に満ちた声で言った。
村に残っていた聖職者たちと合流した彼の弟子たちも、村人の看病に取り掛かっている。
「近づいただけで草木を枯らし、生あるものから命を奪うほどの強力な呪いです。ここまで強い呪いには、通常の≪解呪≫も効かず………たとえ大主教様ほどのお方がお越しになっても、この人数の病人には対処しきれないでしょう」
「呪いの根源を叩く必要があるな」
グレンツとともに村を見回りながら、クロトは己の知識と記憶を総動員して思考した。
あのとき邪竜が自分たちを滅ぼそうと放った呪いは、物質を無に帰す、否定の呪いだ。しかし、あの黒い翼としか形容できない異形の存在の放つ呪いは、生命を死に至らしめる、死の概念そのもの。どちらも命を奪い去ることを目的としているが、手段が微妙に異なるのが気にかかる。
(呪詛とは、世界の正常な流れを拒む力だ。自然を否定し……死者が生者をねたみ……怒りと憎悪を以て、他者を支配する力……あのふたつ呪いの力は、似てはいるが、同質ではない……)
ただの呪いなら、世界を正常に保つ力である神聖な存在の祈祷が有効だ。
だが、グレンツの言う通り、あの黒い翼の呪いは強力すぎる。今ここにいる聖職者たちが束になっても、死者を出さないのがせいいっぱい。あと一押しを受ければ確実に壊滅的なことになる。
人の力では太刀打ちできない領域だ。
だが、呪いの正体さえ掴めれば……。
「あの黒い翼がどこから来たのかわからないのか?」
「あれは空に浮かんでいるだけで村々を滅ぼしてきました。目撃者も残らず、われわれがこの村であれに対峙するまで存在すら知られていなかったのです。……しかし、そうですね。滅ぼされた村々は、いずれもロイテールとアザレアの国境付近。あの緩慢な動きでは、そう遠くからやってきたとは思えません。発生源は近いと思われます」
「だが、あの邪竜は縄張りを攻撃されたと言っていたな。邪竜自体、どこからやってきたか掴めすらしないが……」
「……あいつは、多分、あの黒い翼を追ってここまできたんだと思います……」
ふと横から、アンジュが暗い声音で言った。
彼女はもう自力で立てるようになっていた。だが、メイド服はところどころがちぎれ、彼女の出血痕も生々しかった。
グレンツたちの前では、もうアンジュはブラックドラゴンであることを明かしている。
あくまで村を壊滅させたのは黒い翼。さらに呪いを受けた村を滅ぼしたのは邪竜であり、アンジュ自身は安全な竜であることを共有したほうが得策だとクロトたちが判断したのだ。
「あいつの縄張りって、どこにあるのかわからなくて……ときどき、どこかから急に現れて、気まぐれに暴れて、去って……神出鬼没で、正体不明なんです。でも、私が数日前、呪いを受けた村の近くを通ったとき、あいつも村の中にいて……やっぱり死体を齧ってました。そのときは、あいつがすべてしでかしたんだと思って……それで……」
「べつにお前の行動は誤りじゃない。誰だって現場を見ればそう思うだろう」
アンジュは、どうやら自分が短慮を起こしたと恥じているようだった。
状況を見れば、邪竜自身もまたただ黒い翼の起こした事件に巻き込まれた被害者だ。無用な争いを起こしたことを、誓約を背負った六竜であるアンジュ自身、気が咎めるのも無理もない。
だが、クロトがフォローの言葉をかけても、アンジュの顔は明るくならなかった。
「………どこかで戦場が生まれたんじゃないか?」
それまで黙って聞いていたセロニアスが、突然口をひらいたので、全員彼の方を見た。
セロニアスは冷静な表情で淡々と続ける。
「戦場で大量の死者が出たまま、埋葬もされず、弔われもしないと、死者の残留思念そのものが魔力を持ち、呪いと化すことがあると、昔テオから聞いたことがある」
「ですが、被害に遭ったのはロイテールとアザレアの国境沿い。一番近い西の戦場からも離れています。どこかで流行り病が起きて、一度に人が亡くなったという話も聞いておりませんね……」
「………だが、あれは死の呪いだ。何かの死が関わっている可能性は、大いにあるな」
セロニアスの発言を、クロトは安易に否定しなかった。
公にされていないだけで、どこかで生物の大量死が発生したという可能性だってありうる。
(……非人間族に対する虐殺行為、とかな……)
連合の権力者である教会の人間を前にして、それを直接突きつける真似はしない。
だが、クロトは頭の片隅に留めることにした。
そのとき、ぐすっと鼻を啜る音が下から響く。
師匠のマントを心細そうに掴み、うつむくリンネがそこにいた。
「……病気がいっぱいで、ここ、怖い……みんな、苦しんでて……かわいそう。……何か、してあげられること……ないのかな……?」
リンネは青い瞳を潤ませ、ぐすぐすと鼻を鳴らしながら言った。
たしかに、聖職者と数えられる程度の村人が一度にたくさんの人数の病人を看病しているのだ。
畑の野菜も呪いに侵されているせいで、食料も限られている。
おまけに、やっと立っていられるような状態の村人は、煮炊きの熱に耐えられない。
リンネの一言に、アンジュが戸惑いがちに声をあげた。
「わ……………私なんかでよければ……お手伝いに、回ります」
「俺も力になる」
「わたしも!!」
アンジュ、セロニアスが名乗りをあげると、リンネは手をあげ、その場をぴょんぴょんと飛び上がった。
クロトはため息をする。
「まあ……確かに、なんの手がかりもない。歩きながら考えているだけなのも不毛だな……」
「そう言っていただけると助かります。私も病人の様子が気になりますゆえ……今はなんとか病人たちを立ち上がらせ、呪いから解放するすべを探す方が先決かもしれませんね」
「ああ、それがあの黒い翼の正体を掴むきっかけにもなるかもしれん」
そう言って、満場一致でクロトたちは村人の看病に参加することになった。
アンジュは村人だけでは手の回らない炊事場に立ち、セロニアスは村じゅうを見回って呪いの進行した者を背負って病床に連れていく。クロトは病に侵された家畜たちの面倒を見た。
リンネは、宿で子どもたちの相手をした。
幼い子の中には、意識ははっきりしているが、身体の自由が利かなくて退屈している子も多かった。わけもわからず布団に寝かされ、いきなり不自由を強いられる子どもたちの鬱屈は計り知れない。
そんな子たちのために、リンネは修行のために読み漁った本を広げて音読した。
みんな、目と耳だけを動かしてリンネの読み聞かせる物語に集中している。
しかし、やがて手持ちの本だけでは足りなくなった。
「もう、おはなし、おしまい?」
「ぐすっ……つまんないよぉ……」
「お外、遊びたいよぉ……」
本を読み切ってしまうと、子どもたちは口々に泣き言を漏らした。
中には、呪いが進行して腕や足が完全に黒く染まっている子もいる。己の手足が見慣れない姿になったのを見て、泣き止まない子もいた。
不満と泣き声のこだまする空間に、リンネは居た堪れなさそうに顔を歪め、泣きそうなのをなんとか堪えていた。
そして、自分の荷物の中を漁り、一冊のスケッチブックを取り出す。
「あのね……これ、わたしが考えた生き物なんだけど……」
たくさんのクレヨンで描かれた、ユニコーンとペガサスのあいだに生まれた子、ペガコーン。
カラフルな色遣いに惹かれたのか、子どもたちはリンネのめくる絵にぱっと目を上げた。
「クレヨン……? こんなにいっぱい……いいなぁ」
「絵、もっと近くで見せて……」
「ねえ、ユニコーンて、なに? ペガサスも……」
口々に言う子どもたちに、リンネは涙の落ちそうな目元をこすり、言った。
「……ユニコーンの角は、万病に効く聖なるパワーを持ってて、ペガサスは虹色の翼で空を走り回るの。ユニコーンとペガサスのあいだに生まれたペガコーンは、……病気で困ってる人たちを助けるために……広いお空をずうっと駆け回るの……、っ」
説明しながら、リンネは、自分の考えた妄想がなんの力も伴わない幻想であることを知って、思わず涙しそうになった。
苦しい。声が出なくなりそうだ。
でも、子どもたちは自分の絵を見ている。
語らなくちゃ。聞かせてあげなくちゃ。
病の苦しさをひとときでも忘れられるのなら。
「ほんとにいたら……いいのになぁ」
ぽつり。
誰かがこぼした本音に、リンネのお絵描き帳を持つ手が震えた。
「ほっほ……お嬢ちゃん。そいつを儂にも見せてくれんかね……」
そのとき、子どもたちの集められた病床の近くから、老人の声が聞こえた。
リンネがそちらを見ると、もう目も開いていなさそうな、力ない表情をした老人が、それでも口元にやわらかな笑みを浮かべている。
リンネは彼のもとに近づいて、ペガコーンの絵を見せた。
「ほほぅ……こいつはすごい……よく描けてるのぉ……まるで、本当にいる生き物みたいに……いきいきと……よく描けとる……」
しゃべるのもやっとといった微かな声量で、老人はペガコーンの絵を微笑ましそうに感想する。
それを見て、シーツを替えにきた村のおばさんが口をきいた。
「あら……この人、口が利けたのね……よかったわ。この人、何か月か前から村の近くにやってきて、身寄りがないみたいだから村じゅうでお世話していたの……でも、誰が話しかけても答えがなくて……すっかり弱ってしまった人なんだと思ってた。よかったわ……ほんとに」
おばさんの目には思わず涙がにじむ。
その説明を聞いて、リンネの総身をぶわりと何かが駆け上がった。
「あのね……おじいちゃん。ユニコーンも、ペガサスも、昔は本当にいたんだって……だから、ペガコーンも、本当にいたかもしれないよね……」
「うん、うん……そうじゃのぉ……」
「きっと、おじいちゃんが若い頃には、いたのかもよ……!」
「ほほほ……そうかも、しれんのぉ……」
リンネは老人に絵を見せながら、せいいっぱい笑ってみせた。
老人は、ここに来るまできっと辛い目に遭ってきた。そのあげくに、呪いにまでかけられて。だが、ようやく、彼はこの世界にもう一度、心をひらいてくれたのだ。
リンネが見つめているうちに、老人の目は完全にまぶたが下りた。口元からふっと笑みが消え、その身体から力が失われていくさまが、ありありと伝わった。
「おじいちゃん………っ!!」
息を引き取った老人の、安らかな顔を見て、リンネはお絵描き帳を手落とすと、シーツに横たわった彼の手を握ろうと近づいた。
その瞬間だった。
老人の身体に、眩い光が集まる。
一瞬にして宿屋のホールが白く染まり、強い光に思わず目を閉じながらリンネは何が起きているのか考えた。
眩さに抗いながら、ゆっくりと目をひらくと、なんと老人の身体が発光しながら宙に浮いている。
そして、光が弾ける。
「――ヒヒ―――ーーーーーーンッッッ!!!」
高く、誇らしげないななき声とともに、蹄が床に打ち鳴らされた。
白い霧のように晴れていった光の中から、これまた眩い純白の毛並みに、たてがみと尻尾に虹色の鱗粉のようなきらめきを宿した一頭の動物が現れた——リンネは、大きく口を開けた。
だって、その動物の頭には、虹色のたてがみの中から、さまざまな色に揺れる細長い角が生えていて、その背中には、輝かんばかりの大きな翼が広がっていたのだ。
「ヒヒ―――ン!! ヒヒ―ン!! やったあぁぁぁぁ!! 何万年ぶりの外の空気だろー!! もうサイッコー!!」
翼と角の生えた白馬は、けたたましく四肢で床を踏み鳴らしながらその場をくるくると回転する。
そのたびに、きらきら、と虹色が揺れて光を落とした。
その生き物は、目の前で口を開けてぽかーんとしているリンネに気がつくと、左の前脚を上げて挨拶する。
「あっ、きみだよーー!! きみきみ!! きみがおれのことを解放してくれたんだね!! この世界から神様がいなくなったときから、おれ記憶をとられて人間の老人の姿でこの世界をずっとさまよってたんだけど、きみがおれに自分のこと思い出させてくれたんだっ! 自分が何もか思い出せるのって、サイコーだよー!! 記憶が戻ったのも元の姿に戻れたのも、ぜーんぶきみのおかげ!! ありがとう! 心の優しい絵の上手なきみっ!!」
虹色の白馬は神々しい見た目からは想像もつかないほどハイテンション、かつ早口でそう捲し立てると、リンネの落としたお絵描き帳を蹄の先で示した。
「きみの想像力、とってもとってもファンタスティーック!! もうサイッコーのイマジネーションっ! なんせ、滅んだ神様の使いであるおれを復活させるくらいだもん! きみはもう伝説に残る語り手だよ~~!!」
次第にリンネは、がくがくと肩を震わせ、目を潤ませた。
宿屋のホールのど真ん中で蹄をパカパカ鳴らし、はしゃぐ白馬を前に、ざわめきが広がる。
その宿屋を揺るがすほどの、リンネの悲鳴が響き渡った。
「ぎゃあああああああ~~~!! ペガコーンだ~~~!! ペガコーンがいるよ~~~!!! 師匠~~~!! 早く来てえええええええ!!」
「おぉーっと、ちょっと惜しかったね! おれの名前はユニサスって言うんだ! もちろん、親父はユニコーン、おふくろはペガサス!」
「ぎゃああああああああああ最高~~~!!!」
リンネは頭を抱え、長い金髪を振り乱しながらその場でじたばたと暴れ出す。
あまりの大絶叫に、宿屋に続々とクロトたちが駆けつける。
そして、ホールを席捲するユニサスの姿を見て、目をこぼさんばかりに見開く。
「な……なんだ、この生き物は……!!」
いきなりよみがえった神代の世界の幻獣に、誰もが驚きを隠せない。
リンネはがばっとユニサスの首に抱きついて、わんわんと泣きじゃくった。
ユニサスは前足でよしよしと少女を抱き留め、あやしながら、ようやく周りの光景に目を走らせた。
「あれ……? もしかして、ここ、病気の人がたくさんいる感じ?」
ホールの床に並んだシーツの上に横たわる人々を見て、馬面をきょとんとさせるユニサス。
リンネは涙ながらに状況を説明した。村一面、呪いを受けたこと。村人たちは病に侵され、木々は弱っていること。すべて説明すると、「ふむふむ……」とユニサスは訳知り顔でうなずき、
「それじゃ、おれの出番だね! それっ! パゥワーーーーーーっ!!!!」
彼の角から、七色の光が放たれた。
光はホールを充満し、宿屋の屋根を貫いて、村じゅうに広がった。
きらきら、と光の粒子が舞って、人々の顔に、身体に降りかかる。
茶色く萎れていた木々が、ふたたび空に顔をあげ、葉を鮮やかに色づかせた。家畜たちが、突然自由になった身体に驚き、解放の喜びを告げる鳴き声をあげて走り回る。
宿屋の中も、苦痛から解き放たれた人々があげる快哉の声で満ちて、溢れんばかりだった。
ユニサスは人々の喜ぶ姿を見ると、前脚をあげて誇らしそうにいななき、そこにまたリンネが抱きついて喜んだ。
そのユニサスと弟子が抱き合って喜ぶさまを、師匠は茫然と見つめていた。
(ペガコーンも大概だが……ユニサスもかなり安直だな……)
もはや彼もまた、安易な感想しか持てなかった。
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