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吟遊のリンネ ~魔力ゼロのエルフ少女は、世界を語り直す~  作者: 七日
竜たちと死の呪い編

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呪いの翼

「――【氷結(アイシクル・)天魔柱】(ピラーレ)!」


 邪竜の吐く吐息が宙を走ると同時に、クロトが呪文を叫ぶ。

 地にできた血だまりから瞬時に赤い氷の柱が立ち昇る。それを足場に飛び移ったセロニアスが宙に力なく浮かぶアンジュの身体を抱え、闇のブレスを皮一枚分の距離で回避。

 さらにクロトは竜たちの流した大量の血から氷の柱を大量に生成する。

 邪竜の黒い巨体は地上から伸びた血の氷柱で串刺しになり、あの鼓膜を突き刺す醜い悲鳴が響き渡った。


「すごい………これが、人間の魔術……?」


 セロニアスに抱きかかえられたアンジュは、彼の肩越しに巨大な血の柱が何本も立ち上がる光景を目の当たりにして息を呑む。

 氷の柱を足場に地上に戻ったセロニアスは、マントに包まれたリンネを背負って走ってくるクロトと合流した。


「このままやつを引きつけて、ほかの村から少しでも遠ざかる!」


「わかった!」


「あの、私、走れます……!」


 セロニアスの腕の中、アンジュは身じろぎして身体を起こそうとするが、それは彼に制止される。


「俺は片腕でも剣を振れる。安心してくれ」


「で、ですが……!」


「パイセンと師匠、どっちが速いか競争だよ~! アンジュっ!」


 逡巡するアンジュのもとに、元気いっぱいの声が届く。

 マントにすっぽりと身を包み、クロトと同じ肩口から頭を出したリンネが、場違いなほど明るい笑顔を見せた。

 「おぶってやるのは今回だけだぞ、調子に乗るな」、と師匠は冷徹に釘を刺すが、リンネはめったにない機会に嬉しそうにしている。

 その邪気のない笑みに、アンジュは毒気を抜かれたように表情を緩ませた。

 すると、凄まじい咆哮が飛んできた。邪竜は赤い柱たちに身体を貫かれながら、地に伏せていた。その怒り狂った叫びは文字通り大気を震わせ、衝撃波となって倒れた木々の破片や土埃を舞い上げる。

 ぱらぱらと頬を掠めるそれを後にして、クロトたちは走り出した。後方では、暗黒の竜の憎悪に滾る眼光がぎらぎらと彼らを追いかける。


「久しぶりに遊んでやろうと思ったが……——気分が変わった!! 貴様らは全員、この牙でその脆弱な骨と汚い臓腑を噛み砕き、地獄に逝った先でなおもわが怒りの劫火で二度焼きにしてくれる!!!!!」


 手負いの悪竜はそう叫ぶと、怒りのままに巨大な尻尾を振り立て、周りの物を一切合切薙ぎ払いながら地を疾駆した。

 依然と顎を砕かれ、身体には氷の柱が突き刺さったままで、だ。その身体からも翼からも、黒い血を大量に流しているというのに、ニーズヘッグはますます暴れ狂いながらクロトたちを追ってくる。


「師匠~~!! あいつけがしてるのに動きが速いよ~!! 師匠はもっと早く走れないの!?」


「お前を下ろせばもう少し速度が出るんだがな!!!」


「それじゃ競争にならないじゃーーーん!!!」


 リンネは後方から迫る竜に怯えながら、ぽかぽかと急かすように師匠の肩を叩く。

 すでにアンジュを抱えたセロニアスはクロトのやや前方をリードしている。


「わーー! このままじゃ負けちゃうよー! 師匠! 勝ったら肩たたきでもマッサージでもよもぎ蒸しでもあかすりでもなんでもやってあげるから~~!!」


「老人の温泉旅行か!! 年寄り扱いするな!!」


 喚きながら言い合う師匠と弟子のやりとりを聞いて、セロニアスの腕の中から小さく吹き出す声がこぼれた。

 血にまみれ、傷ついたアンジュが、堪えきれなさそうに肩を震わせていた。


「やったー! アンジュが笑ったー!!」


「お前、しょうもないことに師匠を巻き込むな……!」


 くすくす笑うアンジュの声を聞いて、リンネは喜び、拳を天に突き立てた。

 そのあいだにも、地獄の果てで聞くような絶叫をあげ、地響きを立てながら邪竜は追ってくる。


「あいつは十分手負いだ! このまま出血させて体力が尽きるのを待つ!」


「い……けません、あいつは、……不死、です……!」


 クロトの呼びかけに、アンジュは弱々しく声をあげた。


「あいつには、〝命〟そのものがない……! だからこんなに長く生きていられる……! あいつは呪いそのものなんです……!!」


「人間の手じゃ倒せないっていうのか?」


「われわれ黒竜が今まで滅ぼせなかったのです……。あなたが、どれほど強力な術者でも……命のないものから、それを奪うことはできないでしょう?」


 アンジュは悔しげに口をひらく。

 クロトは沈黙し、しばし熟考する——普通、アンデッドならそれを操る術者がいる。だが、あの神の時代から生きている竜は、下手をすると神のような不死の存在なのかもしれない。


「あいつは、いつどこで何をしているかわからない……なりを潜めている時期もあれば、暴れ回る時期もあって……そのたびにわが一族は汚名を引き受けました。あいつが、黒い、竜に似た姿だからって……!」


 堪えがたい怒りを堪えながら、アンジュは唇を震わせた。


「私の、母は……ドラゴンに珍しく四つもの卵を抱えていました……。その噂を聞きつけ、人間が巣に立ち入り、卵を盗もうとしたのです。私たちの誓約を知っていながら、です。私たちが人間に手を出せないのを知っていながら……! 父母は卵を守るため、卑怯な人間の罠にかかって命を落としました………なのに、私たちは、やつらに復讐すらできない……!」


 怒りに揺れる赤い瞳。


「……しかし、その後、盗人たちの町が……壊滅しました。あの怪物が、突如として襲ったのです……! そして……私たちは、あいつのせいで……誓約を裏切り、人々を殺した悪竜と呼ばれたのです……!!」


 六竜の中でも、黒き竜は信仰対象として崇められるケースがあった。

 地域によっては、土地の守り神的な認識もされている。

 そんな平穏を好み、神秘的な存在として有り難がられていた彼らが、突如牙を剥いたとなると、……人間たちの反応はごもっともだ。


「もう……うんざり……神様みたいに扱われて、聖人みたいな生き方を迫られて……それでいて思い通りにならなかった急にてのひらを返してきて!! 人間って……なんて自分勝手なの!!」


 呪詛の言葉を吐いたアンジュは、荒い息をつくと、ぱっとクロトの方を見て眉を落とした。


「あ、あの……すみません……人間のあなたの前で……」


「……べつにいい。人間なんてバラバラの生き物だ。竜もそういう生き物だと認識されていればまだよかったんだがな」


 クロトの言葉に、アンジュはしゅんと項垂れる。

 六竜の誓いは、たしかに世界の平和に貢献したが、彼らに不自由な生き方を迫る枷でもあった。祖先が犯した罪を、いつまでも背負うために。

 だが、実際に、竜が人か魔物か、どちらかの勢力に回れば、戦争のパワーバランスは大きく崩壊し、世界はますます破滅の道を急進していったかもしれない。

 彼らが中庸の存在でいてくれたから、回避できた災いも数多とあるだろう。

 だが、例外は存在する。

 あの邪竜のように、六竜から外れた怪物がいる限り、悲劇は繰り返されるのだ。


「不死だからって……〝不滅〟とは限らんだろう」


 クロトはそう独り言をこぼす。

 相変わらず派手な破壊を引き起こし、追いかけてくる邪竜の姿に目を細めながら。

 そのとき、邪竜から黒い魔力が噴射された。雄たけびとともに衝撃波がやってくる。

 とっさにクロトは後方に結界を展開し、味方全員を衝撃から守り抜く。

 やがて黒い霧が晴れるようにして明らかになった視界には、何もいなかった。


「――違う! セロニアス、前だ!!」


 視線を移したクロトは前方に注意を促す。

 その瞬間、竜の鉤爪がセロニアスの頬を斬りつけた。

 黒い翼を生やし、前腕を竜のそれに変えた長身痩躯の男がそこにいた。


「ハッハッハ——!! そこの小娘同様、勝利に手段など選んでいられん!! この姿で狩らせてもらう!!」


 ニーズヘッグは人の姿になっても全身から絶え間なく血を流していたが、身軽になったことで機動力を取り戻した。

 長い髪を振り乱し、竜化した腕でアンジュを抱えたセロニアスに襲いかかる。


「――≪星幽天鎖結界(アストラル・バインド)≫!」


 その瞬間、不可視の結界が展開され、邪竜を四方から抑え込む。

 不意を打たれたニーズヘッグはその場をもがくが、強力な力が働いて、満身創痍の彼を地に伏せさせる。

 悪しき力を防ぐ結界だ。唱えられるのは、聖職者しかいない。


「その結界は長くは持ちません! 離れるのです!」


 中年の男の叫ぶ声に、クロトたちは一斉に振り返る。

 そこには司祭服を身に纏った背の高い偉丈夫を筆頭に、教会の聖職者たちが控えていた。


「ユニティア教か……!」


 気がついたクロトはその名を呼ぶ。

 偉丈夫はゆっくりと前に出ると、錫杖を掲げ、祝詞を唱えながら邪竜の力を封じ込める。

 あの邪竜の強大さを思うと、どれほど強靭な結界かわかる。

 その力を行使できる、男の魔力と精神力も。


「警備隊の召集に応じて参上しました。アザレアで司祭をやっているグレンツと申します。ともにいるのはわが弟子たちです。近隣で呪いによる腐乱死体が出没したときいて、弔いに寄ったのですが……どうやら正解だったようですね」


 司祭を名乗るグレンツは、後ろの弟子たちに祝詞を唱えさせ、地に叩き伏せられて悶え苦しむ邪竜の姿をつぶさに観察した。聖職者というより歴戦の将軍を思わせる、巌のように峻厳な顔つき。さらにその岩に三日月を彫ったような、細い目つきをしている男だった。


「……助力に感謝する。だが、俺は連合に与しない異端の魔術師だ。けして味方でもない」


 クロトは牽制するように己の杖を掲げ、男から距離をとる。

 ユニティア教は、連合の中枢をなす権威そのものだ。うかつに馴れ合うのは得策ではない。

 男は落ち着きを宿した表情でクロトを一瞥すると、


「わかっていますとも。……しかし、事は一大事。容易に敵味方と分かれず、ここはお力添えをお願いできないでしょうか? 魔導士クロト殿」


「俺の名を……!」


 グレンツは真意の読めない態度で今度は邪竜を一瞥すると、彼の凄まじい眼光を食らってもたじろぎひとつしなかった。

 そのとき、ぶわりと不気味な風が吹きつけた。

 木々は、梢は、怯えてその場を離れたがっているようにざわめいた。だが、地面に根付いた彼らはそこから逃れられない。

 クロトたちの顔が、一斉に暗く曇った。

 瞬間、——バチン!! と火花が弾ける音がして、結界を破った邪竜がその場を飛び立つ。

 彼の凶悪な面相も、今ばかりは影が落ちてきている——そして、宙を舞い上がる邪竜は空を見上げ、自嘲するように笑いをこぼした。


「――こんなことをしているあいだに、本物の闇(・・・・・)がやってくるぞ。ばかな人間どもめ」


 クロトは最初その言葉の意味がわからなかった。

 だが、男と同様に空を見上げ、表情を凍りつかせる。

 空を埋め尽くすほど巨大な、黒い翼が広がっていた。


「――われわれが結界でお守りいたします!! あれに通常の攻撃は通りません!!」


 グレンツが叫ぶと、聖職者の一団が祝詞を唱え、周囲一帯に結界の防壁を築いた。

 それは、一瞬のことだった。

 木々が、緑が、急に寿命がきて朽ち果てるように黒く萎れていく。

 頭上の黒い翼——ふたつの、翼しかない、身体も頭もない存在がゆっくりと空を泳ぐと、その下の緑は一斉に朽ちて、結界に守られたクロトたちの周囲を一瞬で黒く染めた。


「し、師匠……なんだろう、あれ……」


 不安に声を震わせたリンネがクロトの肩を叩き、答えを迫る。

 (そんなもの俺が知りたい)とさえ思いながら、クロトはただ瞠目して結界の中から空を見上げた。

 結界の外にいる邪竜は、無傷だった。

 己の黒い翼を打ち、さらに巨大な黒い翼の方へと飛んでいこうとする。


「あれは——俺と同じ、〝呪い〟だ!! だが、質が違う! 見えるものみな滅ぼして去っていく! 俺の縄張りもそうだ!!」


 そう叫ぶ邪竜の声に、誰もが言葉を失って空を見上げた。

 黒い翼と相対したニーズヘッグは、ゆっくりとした速度を保ちながら宙をたゆたうそれを睨みつけ、獰猛に牙を剥いた。


「――対価は払ってもらうぞ!!」


 邪竜は手のひらを差し出し、そこから魔力の衝撃波を放った。


「――≪悪霊掌波≫(ゴースト・ハント)!!」


 闇の魔術の衝撃波に、黒い翼に空白が穿たれた。

 だが、闇はすぐに結集して空白を埋める。

 攻撃されてようやく敵を認識したのか、黒い翼は緩慢な動きで宙を泳ぎ、邪竜のもとへ迫った。

 邪竜と黒い翼がもつれ合っている隙に、聖職者たちは結界を解くと、クロトたちに自分たちと村へ退避するよう呼びかけた。


「討伐隊を寄越した村は、われわれの聖なる守りによって生き延びました。しかし、完全ではないにしろ呪いを受け、病を負った人々で溢れかえっています! あそこを守りの拠点にします! お急ぎなさい!!」


 当初は味方同士ではないと強調したクロトだったが、ここまで状況が変わるとやむをえない。

 クロトたちはグレンツたちとともに村への道を辿った。

 これ以上は師匠の負担になるからとリンネは降りたがったが、呪いのせいで腐敗した大地はぬめり、滑りやすく、子どもの足で歩かせたいとは思えなかった。


「……そんな……村を襲ったのは、あいつ……じゃない……?」


 村までの道中、セロニアスに抱えられたアンジュは、始終うわごとのように呟いていた。

 クロトにはもう何もわからない。

 自分たちが何と戦っているかさえ。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


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