古代種たち
負傷して気を失った竜の少女を拾って村に戻ると、クロトは「竜は立ち去ったから危険はもうない」と村人たちに説明した。
魔術師の言葉に彼らは安心し、代わりにクロトたちが連れたけが人の少女の看病を申し出てくれたが、彼女の正体はおそらくあの黒い竜だ。気を失っているとはいえ、易々と人前に晒さない方がいいだろう。
クロトは竜の種族が持つ高い治癒力に望みをかけることにした。
「危ないところに手をさしのべていただき……本当にありがとうございます」
宿屋のベッドに寝かせた少女は、翌日の朝に目を覚ました。
ベッドの上で正座し、深々とお辞儀をする。白いカチューシャを着けた黒い髪が、さらりと音を立てて揺れた。
「けがはもう治ったの? すっごーい!」
「はい。一晩休息をとれたことで、すっかり回復いたしました。私の身体に触れず、あえてそっとしておいてくださったご判断、まさに尊き古代種であるエルフ様のご英知といったところでしょう……本当にありがとうございます」
「無事に目を覚ましてよかった」
「…………」
少女は目の前に立つリンネとセロニアスに対し、至極丁寧に礼を告げた。
クロトはあえてふたりの後ろで黙っている。出会ったときの反応からして、少女は人間を警戒しているようだった。全身に負ったけがも、おそらく人間に攻撃されたのが原因だろう。
「まさかこんなところでエルフの皆様とお会いできるなんて……」
ゆっくり顔をあげた少女は、赤い瞳を潤ませながらリンネとセロニアスを見つめた。
その表情は、嬉しさが溢れんばかりだった。エルフとはまた違った系統の美しさを抱える少女の美貌は、どこか血の気を欠いた人形のような整っていたが、今はそんな印象が嘘のように笑顔で綻んでいる。
少女の言葉に、リンネもまた嬉しそうに両手を広げて、
「こっちこそ! まさかドラゴンと会えるなんて思ってなかったよー! ペガサスもユニコーンもいないってわかってがっかりしたけど、この世界にはまだドラゴンみたいなビッグなスターがいたんだね!」
「は……? ペガサス……? ユニコーン?」
「その話はややこしいから今はやめておこう」
リンネが余計な方向に話を広げそうだったので、ようやくクロトが前に出る。
少女はたちどころに怪訝そうな表情を浮かべたが、クロトは慎重に言葉を切り出した。
「黒竜は群れを大事にする種族だ。見たところひとりのようだが、どんな目的で人里まで姿を現したんだ? あの様子を見ると、かなり人に危害を加えられたんだろう」
「それは……」
少女は言いづらそうに言葉を呑み込んだ。
「今の大陸で、非人間族の立場はかなり危ういことは、ドラゴンのあいだでも周知だろう。そんな危険を冒してここまでやってきた理由は……」
「………」
クロトの質問に、少女は首を垂れた。正座した膝の上に置かれた手が、微かな震えを宿している。
白いエプロンドレスには、まだ血の染みが残っている。
「あと……なんでメイド服なんだ……?」
疑問を口にしたクロトは、その直後にしまったと思った。
年頃の少女が好む服装に異議を唱える老害のようにとられたらどうしよう。
「べっ、べつにいいじゃあないですか! 人に変化したら服を着るのが普通でしょう! 初対面なのに矢継ぎ早に質問してきて、あなた、少し無礼ではないですか!?」
案の定、少女はきっと視線を鋭くすると、黒い髪を振って反論した。
クロトが変に言葉を飾らないようにした結果、相手の気を害したらしい。
少女のもっともな返事に、クロトは言葉を呑み込むと、素直にうなずくことにした。
「……すまない。ドラゴンが希少な種族だと知っているからこそ、疑問が先走ってしまった。非礼ととられたなら詫びよう」
「希少ですって? 当然でしょう! われら六竜は古代種の筆頭。今は亡き神話時代には神とも対等な存在だったと言われているのですから! もう少し敬意を込めて接していただいてもいいんですよ?」
「………」
ピキリ。
クロトは己の頭部でどこかの神経が切れた音を聞いた。
この少女はどうやら己の種族に誇りを感じているらしく、それもやや選民思想のきらいがある。傲岸ともいえる言葉をかけられ、クロトは久々に本気で切れそうになったが、ここで竜と自分が正面衝突などしたら村はいちめん焼け野原だ。
それでも杖を握り締め、黙り込んだクロトの様子を見かねたのか、セロニアスが言葉を発した。
「名は何という。俺はセロニアスだ」
「な……名前っ!?」
話題を転換すべく、自己紹介をしたセロニアスに、少女は動揺もあらわに、
「あの……差し支えなければ、エルフとしての真名をお聞かせいただけないでしょうか……?」
「真名? 俺は人間として名付けられたから特にそういうのはない」
「わたしはあるよー! リィン=ネーデ・アルカ・ディアーテって言うんだ! 縮めてリンネって呼んでね!」
リンネはここぞとばかりに自分のフルネームを暗唱し、少女に笑いかけた。
その瞬間、少女が動揺に満ちた表情で自身の口元を手で覆った。
思いがけない反応に、リンネが心配そうに聞き返す。
「な、なあに? ドラゴンにはおかしな名前だった……?」
「い……いえ……違うのです……そんなことは……」
言いながら少女の顔からみるみる血の気が引いた。
何度も小声でリンネの名前を繰り返し、繰り返しつぶやく。
そして、信じられないものを見たかのように何度も目をまばたきさせるのだった。
「……お名前は?」
動揺する少女に、リンネは恐る恐る声をかける。
少女はごくりと喉を鳴らすと、意を決したかのように口を開いた。
「わ、わたくしの名は……アンジュ。竜の言葉で、『空渡る羽根』という意味です」
「へー! かわいいお名前!」
リンネはぱあっと明るく笑いかけた。
緊張していたアンジュも、その笑顔に安堵したかのように口元を綻ばせる。
「……俺はクロトだ。魔術師をしている」
「あっ、そうですか……それより、リンネ様やセロニアス様はどのような理由で旅を……?」
クロトの自己紹介を軽く流すと、アンジュは心配そうな声色でリンネたちに問うた。
リンネは(言ってもいいよね?)と確認の意味で師匠の顔を見る。
やりとりを拒まれつづけているクロトは投げやりにうなずく。
「あのねっ、わたし、はぐれエルフなんだけど、離れ離れになった仲間を探してるの! みんな帝国から逃げてどこに行ったかわからないから、ひとまず色んな人がいるザヤの大森林ってところを目指してるとこ!」
「お仲間とはぐれたのですかっ!? そんなお小さいのに……!」
アンジュは信じられないといったふうに口元を手で覆った。
「そんな……ただでさえ大変な使命を背負われたあなた様が、そのような不幸に遭うなんて……! どうか、このアンジュを、お仲間を救う旅にお加えください御子様!!!」
アンジュはそう叫ぶように口走ると、勢い込んでリンネの手を両手で握った。
次々と言葉を発したアンジュに、リンネは困惑顔で、
「使命………?? みこ??」
「ああっ、わけのわからないことを言ってしまい申し訳ございません!! どうかさきほどアンジュが言ったことは忘れてください!! とにかく、私も力になりたいのです!!」
滝のような汗を流しながらアンジュは首を横に振る。
強く同行したいと申し出る彼女に、クロトは考え込むような口調で告げた。
「同行したいと言われてもな……ドラゴンは目立つうえに、六竜の誓約のこともあるし、お互いのためにならないかもしれんが」
「は? ……ちょっとおふたりとも! この人間、少々口が出過ぎではないですか……? まるで自分に決定権があるかのように振る舞って……こいつ、おふたりの小姓でしょう!?」
「誰が小姓だ!!」
「えっ……じゃあ、愛玩動物……!!?」
なぜか頬を赤らめるアンジュ。
屈辱にまみれ、思わず杖を握った手を震わせるクロトの横で、セロニアスは冷静に口を挟む。
「俺はマスターの従魔だ。魔力を共有する契約を結んでいる」
「え!?」
「わたしは師匠の弟子なんだ~! いつか師匠みたいな魔法使いになるの!」
「ええ~!?」
アンジュは何度もエルフたちとクロトの顔を見比べた。
「そ、そんな……高尚なエルフ様が、人間にかしずくなんて……っ!」
「それより、師匠の言ったせーやく? って何?」
「本人から説明してもらえ」
クロトが不機嫌そうにそう言うと、リンネはアンジュの顔を覗き込んだ。
アンジュはさっきからずっと驚きっぱなしで落ち着かない様子だったが、リンネのまっすぐな視線を受けて、少しずつ息を整えていく。
すー、はー、と深呼吸ひとつ置いて、アンジュは切り出した。
「……われら六種の古代竜たちは、かつて互いに争い、そのせいで世界を滅ぼしかけたと言われています」
神妙な口調で切り出す古代の歴史に、リンネの表情も自然と真面目になる。
「その争いを、当時の神々が調停し……われら六竜に誓わせました。『われら互いにけして争わず。けして己より弱き者を殺さず。この大きな力を、世界の秩序と平和の礎とする』と……」
「……かっこいい……」
アンジュが語る神話に、リンネは思わず声を漏らした。
巨大な力を有する竜たちが古き神々に誓った言葉は、この乱れた世界の一部を見てきたリンネの胸に深く刺さった。
その素直な言葉に、アンジュはくすりと苦笑を浮かべる。
「そんなに良いものではないですよ。世界を破滅させかけたツケですからね。その神々と、われわれ六竜のあいだを取り持ったのもエルフ様たちだと言われています。かの世界樹を守る一族が、神々に嘆願してくれなければ……われらドラゴンは神々によって滅ぼされるか、石にされて永遠にこの地上で晒し物になっていたことでしょう」
「それでエルフに恩義を感じているのか……」
「ええ……あなた様がたはわれわれドラゴンの恩人なのです」
にこり、とアンジュはセロニアスに笑いかける。
しかし、その直後、笑みは薄らぎ、表情には寂しさが訪れた。
「しかし……ここしばらくは、世の中は戦乱続きで……誓いを放棄する同胞たちも増えているのです。黒竜はもともと数が少ないうえに誓いを遵守する意識の者が多いのですが、ほかの種族からはかつては魔王軍に加わった者もいて……われらドラゴン族は、今、窮地に立たされているのです。古代の誓いを守るか、時代の変化を受け入れるか……瀬戸際で……」
「お前が旅をしているのもそういうわけか?」
少女のつぶやきを聞き漏らさず、クロトは問うた。
その瞬間、アンジュの表情に緊張が走る。
「もーっ、師匠さっきから言葉がきついよーっ! アンジュはけがから立ち直ったばかりなんだよ? もっとゆっくりさせてあげようよ!」
「あたりがきついのは向こうも同じだと思うが……」
師匠がぶつぶつと愚痴を漏らす間にも、リンネはアンジュの正座を解かせ、ベッドに寝かせると、その身体に布団をかけてやる。
「アンジュはもっと寝てて! わたしたち、今日の昼には旅立たなきゃいけないから、それまでできるだけ休まなきゃ! アンジュひとりだとまた狙われるかもしれないし、一緒に行動してもいいでしょ? 師匠!」
「……まあ、好きにすればいい……」
首まで布団をかけられたアンジュは、気まずそうな視線をリンネに送った。
「ありがとうございます……この御恩、アンジュはけして忘れません」
「んーん! いいのいいの! それより旅の仲間が増えて嬉しいんだ~! またドラゴンのお話、きかせてねっ!」
ためらいがちな視線も、リンネは笑顔で受け止めて返事をした。
その笑顔に、感動したようにじーんと瞳を震わせるアンジュ。
そこに、リンネはわきに置いていた荷物の中から何かを取り出すと、
「それでね……これがペガコーンでね……ユニコーンとペガサスのあいだに生まれてェ……」
「病人相手に布教に走るな」
すかさず落書き帳を広げ、滔々と推しの生物について語る弟子の背中を見て、クロトは口を出さずにはいられなかった。
「あの……何をしていらっしゃるのでしょうか?」
昼に村を発ち、山の中で夕方を迎えた一行。
リンネはバッグパックから食料を取り出し、まないたと包丁を広げたところだった。
「お夕飯の準備だよ?」
至極当然といったように返すリンネに、アンジュの顔色がこわばる。
「こんなお小さいのに、労働させられているのですか~~~っっっ!!?」
アンジュの悲鳴が落雷のようにキャンプ地に響いた。
結界を張り終えたクロトは、戻ってからアンジュに長々と説教された。
「子どもとはいえ俺の弟子だ。何もしないより、仕事があった方がいいだろう」
「だからってこんな幼い方に包丁を握らせるのですか~~!? 見てください! 大人用の包丁ですよ!!? 指を切ってしまったらどうするんですか!! まったく、大人なのになんの考えもないんですから!!!」
悔しいが、正論だ………。
一度夕食の支度を頼んだら、そのまま流れでリンネの役割になってしまった。
本人もやる気があるから、いいだろうと思ったのだが……。
アンジュはぷりぷりと頭から湯気を立てそうなほど怒りながら、リンネから包丁とまないたを受け取った。
「旅に加えていただいたのですから、私も尽力しましょう。まっ、人間のお口に合うかはわかりませんけど~?」
「………」
なんでいちいち癇に障る言い方しか選べないんだ、このドラゴンは……。
クロトは内心でもやもやと黒い感情が煮立つのを感じたが、リンネがいる手前、暴言を滑らせることもできない。
そうしているあいだにも、とんとんとん、と軽快に食材を切る包丁の音が響き始めた。
黒い髪のメイド服姿のドラゴンは、手際よく野菜を切り、肉を下ごしらえし、焼きを入れていく。
20分もしないうちに、キャンプ地には豪華なディナーが広げられた。
「わ~~!! ごちそうだ~~!!!」
リンネの目の前のプレートに、たくさんの野菜の献立が並んでいる。
人間の目にはまったく腹が膨らみそうにないメニューだが、エルフにとっては極上のそれであることがリンネの輝かんばかりの表情が教えてくれる.
「キャロットラペを中心にした特製のディナープレートでございます。ハイ・エルフの皆様の嗜好は、このアンジュ、熟知しておりますので……」
「わ~~~!! サラダにミント刻んで入れてあるのも最高だよ~~~!! よく知ってるね~~~!!」
リンネはもりもりと野菜をほおばりながら称賛の言葉を送る。
そのフォークが止まらないさまを見て、アンジュは優しい笑顔を浮かべた。
「もちろん……ハーフエルフの方も、環境によっては嗜好が人間寄りになるのは承知しております。お肉を取り扱うレシピも大量に熟知しておりますので、ご心配には及びませんよ」
アンジュが笑顔で振り向いた先では、セロニアスが熱々の肉団子汁を苦闘しながら掻き込んでいた。
「肉団子がスープを吸ってて美味い……」
「ふふ、お肉に刻んで入れたハーブが隠し味ですよ?」
「………」
自慢げなドラゴンの少女のしたり顔を目にしながら、クロトもまた肉団子スープを啜っていた。
ぐぎぎぎ……と歯の奥を噛みしめながら、クロトは悔しさの中にも抗えない食欲——人間としての最大の欲求を掴まれ、ますます屈辱にまみれることとなった。
「師匠たちって、お肉とか食べるんだね~! 美味しいの? ハーブもりもりサラダの方が美味しくない?」
「…………」
俺だって、どうせ食うならそのへんの草でもむさぼっていたかった。
そう訴えたい気持ちに蓋をしながら、クロトはセロニアスに続いてスープをおかわりもした。
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