まじないと呪い
その日、クロトがリンネに言い渡した修行は瞑想だった。
ロイテールを脱して数日後のことだった。
都市から離れた山村に滞在しながら、今後の動きを再考する立て直しの期間が始まった。リンネの仲間であるはぐれエルフたちが、帝国の貴族のもとから逃げ出したという知らせを聞いて、クロトは今後の行き先を考え直さなければならなくなった。当初は、誘拐したリンネをエスメラまで横流しした帝国の奴隷市場を調査する予定だったが、彼らがすでに帝国を脱した後なら、その足跡を見つけなければならない。
見目麗しい純血のハイ・エルフならば、人里で見つかったらすぐに噂になる。発見されていないということは、上手く自然に紛れて行動しているのだろう。
(あるいは、庇護者の元に渡ったか……だが、この連合が支配する大陸で非人間族を匿う人間がどれだけいるか。いや、あるいはハイ・エルフなら……森のエルフとの政治的材料に……? しかし、連中にとって、魔力を持たないことを理由に追放した仲間がどれほどの価値を持つのか……)
村から少し離れた丘の上で座禅し、目を閉じながらクロトは思考を巡らせた。
天気は薄曇り。風は凪いでいて、思考を邪魔する要素はほとんどない、瞑想に適した環境だった。
さまざまな思いを頭に浮かべながらも、クロトのその心は集中している。思考を働かせつつ、心は秩序で満たされて乱れないのが魔術師の基本だ。
その点、リンネもなかなか集中している。
暇ならずっと歌ったり小躍りしているような彼女が、さっきから一言も口を利かずに黙っている。やはり魔力を持たないといえど、そこはハイ・エルフ。周りの自然と親しみ、瞑想に耽っている。
珍しく感心しながら見守るクロトだったが、そこに一羽の小鳥がチチチ……とさえずりながらリンネの金髪に留まった。クロトはその気配に思わず目を開き、弟子の様子を確かめる。
しかしリンネは慌てふためきもせず、
「ふにゃ………里芋のヴィシソワーズ………」
と、静かに呟いた。
「――寝るな!! このたわけが!!」
「ぎゃーーー!!」
クロトが怒鳴ると、ピピピ!と忙しく鳴きながら小鳥が飛び去って行く。
リンネは寝言でよく野菜の献立を口走る癖があるので、クロトはすぐに彼女の居眠りを見抜いたのだ。
「あ~~~!! せっかく良い気持ちで寝てたのに~~!! 師匠のおかげで台無しだよ~~!!」
眠りの世界から強制的に目覚めさせられ、不満を訴えるリンネは草むらの上をゴロゴロと転がった。
「修行で寝るやつがあるか!! 本気で魔術師を目指す気があるならせめて師匠の言うことは聞け!!!」
「え~!! どうせじっとしているなら寝てても起きてても一緒じゃないの!?」
「まったく違う!!」
クロトは弟子の不真面目さに怒り心頭で、杖で地面を幾度か叩いた。
「手段と目的を取り違えるな! 瞑想はそれ自体が目的だ。じっとしてただ待っていたら魔力が湧いてくるというものじゃない」
「えっ、じゃあこれなんの時間?」
「……お前が集中するタイプの修行には向かないというがわかっただけでも収穫だろう」
呆れて感想する師匠に、リンネは「えー!」と驚きを漏らす。
「なんだあー! じゃ、わたし向きの修行はないの?」
「………それを今から考える」
そう言ってクロトは杖を置き、ふたたび目を閉じた。
リンネは拍子抜けしたように肩を落とすと、すぐに立ち上がって、草むらの中に飛び込んでいく。
「じゃあ自由時間ね!! お花摘みにいってくる~!!」
(言葉通りに受け取っていいんだろうな……)
クロトは若干怪訝な思いに囚われつつも、遊びに駆け出す弟子の姿には気をとられず、自身の考えに集中した。
リンネにはやや落ち着きが欠ける。じっとしているより遊んでいる方が好きというのはひとつの健全な証拠だが、クロトは彼女に自分の真似をさせて学ばせるのは不可能であるとこの時点で結論を出した。
クロトは魔法のエリートたちを輩出した術師の里の生まれで、家族親類は漏れなく魔術師だった。先祖代々が継承してきた修行を実践し、同じ方法を繰り返しながら己の個性を磨き、独自性を追求していくというスタイルは、周りがみな魔術師であるという環境が生んだものであるということを、クロトは思い知る。
同じ型を学ぶうちに、やがて自然と己の道を行くことになるだろう、というのがクロトのふるさとの考え方だった。古来より、火や水を操る元素の魔法に長けた者や、動物に変身して動物の言葉を話す魔法を得意とする者、己の身長を豆粒ほどに変えたり、山ほど高くする魔法が好きな者、さまざまなプロフェッショナルたちが先人として存在していたため、どの道に行っても必ずその道の先達がいる、という豊富な実例がクロトの里の魔術師たちを育んだ。
逆にいえば、その学びの方針はまったくイレギュラーな存在に弱い。
今のリンネがその状況にあり、かつてのクロトがそうだった。
(弟子は師匠に似る、か……)
両親も周りの教師たちも、自身の個性には手を焼いていたことを思い出す。
そして、誰も自分を導いてくれない、という孤独感が子どもの頃のクロトの中に巣食っていた。
弟子のリンネにはそうなってほしくない。
だからこそ、自分と同じ手法をとっていては彼女の才能を伸ばせない。
クロトはそう考えながら、昼間の出来事を思い出した。
村で泊まっている宿屋の主人が子ども好きらしく、リンネを見るなり近寄ってきて、一本のステッキを見せびらかしてきた。
リンネが不思議そうにそれを見ていると、男が握った棒を振り下ろした瞬間、カラフルな花束へと変貌した。
「ま……魔法だ~~~!!!」
それを見た瞬間、リンネは天変地異が起きたかのように驚愕し、宿の主人をしばらく魔法使いだと言ってやまなかった。
「あれはただの手品だ。魔法とは似ても似つかない」
「でも棒から花束が出てきたよ!?」
「あれは、そういう仕掛けであって……」
そう言ってクロトは理屈を説こうとしたが、興奮したリンネはなかなか聞き入れない。
彼女にとって、何もないところから何かが出てきたり、何かが変身したりする現象はすべて魔法らしい。
その違いを感覚的に理解してもらえないことに、クロトはわずかな焦りを感じた。
手品を可能とするトリックと、魔法を形作るロジックとの差がわからないのでは、この先魔術を学ぶのは厳しい。
「手品には仕掛けがある。それをあたかも存在しないように見せて、〝不思議〟と思わせるのが手品のトリックであって……」
「でも、師匠の魔法だって不思議だよ? なんもないところから火を出したり、魔法を跳ね返したりするよ!?」
「だから、それには理由があるんだ。魔法は何も不思議に思う余地がない。背景を知らない者にとっては不可思議なものに見えるんだろうが……」
苦心したクロトが言葉を選びながら説明しても、リンネにはさっぱり伝わらないようだった。
「え~、でも宿屋のおじさんも魔法使いだと思う! だってびっくりしたもん!」
「だから、手品はそれが目的であってだな……手品は魔力を持たなくてもできる分、理屈が不透明化されて余計混乱してるんだと思うが……」
「え~! じゃあわたし、手品習おうかなっ!?」
これにはクロトも肩を落とさずにいられなかった。
魔法と手品の違いもわからず、どちらにも感心されては、師匠の面子が立たない。
だが、今までリンネの周りには魔法が存在しなかった。今すぐ理解しろというのも酷な話だ。だんだんわかってくれればいいが……と淡い希望を抱きつつ、クロトは知らずに嘆息していた。
「師匠はお花屋さんね~」
ふと気がつくと、座したクロトの周囲には色んな花が置かれていた。
リンネは彼を囲むように摘んできた花を置いて回っている。
自然とクロトは正座をやめて身をくつろげることができなくなる。
知ってか知らずか、「お客さん連れてくる~!」と言ってリンネは走り去っていってしまった。
大量の花に囲まれ、クロトは身動きできなくなる。
リンネはすぐに戻ってきた。
両手でセロニアスの片手を掴み、半ば強引に引っ張ってくる。
「師匠~、お客さんだよ~」
「………………。いらっしゃいませ」
「……ああ、花が……たくさんあるんだな……」
クロトは無感情に呟きながら、そろそろ男ふたりで女の子の遊びに付き合うのは限界があるな、ということを確かに実感した。
鮮やかな花をつけていた木が、急速に枯れていく。
ギロチンにかけられた首のようにぼたぼたと花が額ごと地上に落ちて、色あせ、朽ちていく。
花が触れた大地は淀み、濁って、泥のように湿潤していた。地下には瘴気が立ち込め、元素の記号を呪われたそれへと書き換える。そうなると、水も土も災いでしかない。
まず植物から、大地と水の流れに依存していたものが病に侵される。
その次に野の生き物。飼われている家畜。世話をしている人間。順番に倒れていく。
状況を正しく理解して死んでいく者などひとりもいない。
ただ、夜でもないのに空が暗くなったと——その〝暗さ〟を知覚した瞬間、全身を巡る神経は侵され、ありえないような高熱を発し、思考を奪われたままわけもわからず死んでいく。
それこそが呪いであると、彼らは自身で体現し、死んでいく。
理不尽にして、暴虐。
もはや悪意としか呼べないような瘴気の海が、空から振りまかれて、大地は憑りつかれる。
人間の視界——空を覆うほどの漆黒が、翼を持って、この世界の生き物たちを嘲笑しながら飛んでいく。
災いがやってくると、警鐘を鳴らす者はひとりもいない。
皆ひとり残らず、呪い殺されてゆく。
それこそが呪いの正体だと、誰もが知らないまま殺される。
これが、この世界で起こっていること——。
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