世界を滅ぼすもの
パレードが進行していた。
夢に取り込まれたすべての人々が、嘆き、泣き喚き、苦痛を催しながら、パレードに加わる。彼らの顔には仮面がつけられていた。その仮面の下でどれほど涙を流そうとも、誰にもわからない。ただ楽しそうに笑う笑顔の群衆が織り成す行列が、赤く燃える松明を掲げてどこへともなく歩いてゆく。
行列の中心に、エリザベスはいた。彼女は仮面をつけず、同じく素顔の同胞の頭を抱いていた。ふたりの姿は、人々が牽く様々な車の中でも、とりわけ豪華で巨大なフロートの上にいた。
雪花石膏の大理石でできた、白い翼を生やした女神像——その胸の前で掲げられたふたつの掌の上に、彼女たちは座り込んでいる。
エリザベスは、自分の膝の上で苦しむベベーネの顔を見て、遠いまなざしでパレードを見下ろした。
もはや、夢の世界は桃色の銀河ではなかった。どこまでも黒く染まった空の下、荒廃した大地を奇妙なパレードが行進し続ける。群衆の中には、魔物の血を引く混血児たちの姿もあった。
今は全員同じ仮面をつけて、つまらない諍いとは無縁の平和な世界が広がっている――絶えず人々の嗚咽、悲鳴が響き渡り、重たいフロートを牽かされて苦痛を叫びながら歩いているけれど、ここは平和だ。みな、同じ悪夢を見ている。
このまま人々の意識を吸収し、精神をつなげ、夢を拡張し続けていれば、世界征服もそれこそ〝夢〟ではなくなるかもしれない――深淵のように深い〝悪夢〟を見続ける同胞を中心として、人間の世界は滅ぶ。
「いいえ――新しい世界が始まるのかも」
うっとりと自身の夢に酔いしれるように、エリザベスが微笑んだ。
そのとき、びくりと膝の上でベベーネの身体が震えた。
怯えた彼女をあやすように、エリザベスはその銀髪を掻き撫でる。
「ふふ……そうよね。素直にそんなこと、させてくれるわけないわよね——あなたなら」
「――当たり前だ」
荒い息をつきながら、クロトが女神像の掌の上に這い上がってきた。
自ら悪夢に取り込まれることを望んだ彼は、強靭な精神力でパレードに抗い、ここまで一直線に目指してきたらしい。巨大な女神像をわざわざ素手で昇り詰めて。
そういう意外と泥臭いところが好き。
十年前と何も変わってない——、と、エリザベスの胸の奥が微かに熱を帯びた。
わざとらしい笑顔の仮面に手をかけて、クロトは一瞬で剥ぎ取った。
だが、剥ぎ取っても剥ぎ取っても、仮面の下に仮面が現れた。
クロトはしばらく意地になったように仮面を剥ぎ取り続けたが、やがて無意味だと気付いたのか、大きく舌打ちして手を離した。
「夢の世界に入ってくれば、アタシたちを止められるのかと思ったんだろうけど、無駄よ、クロトちゃん」
エリザベスの警告をクロトは黙って聞いていた。
「もう悪夢はこの子だけの問題じゃなくなっている。夢の中で夢を見させられ——この子はもうどこが自分の現実かわからなくなった。この世界は、この子の感じる混沌の領域に足を突っ込んでいる。ここはヒトが認識できる宇宙の果てなのよ」
「だが、お前も——本人が夢を見続けるのを望んだんだろう?」
「――だって、この子にも復讐する権利はあるじゃない?」
笑っているが、甘さなど一片も感じられない顔でエリザベスは言った。
「アタシは、この子の手にナイフを持たせてあげただけ。この世界に突き立てる復讐のナイフをね。やつらの精神のはらわたを抉って、抉って、抉って、抉り続ければ——この子もいつか満足して悪夢を手放すかもよ」
「いったいそれまで何人犠牲にするつもりだ」
「仕方ないじゃない」
エリザベスはせせら笑った。
「これは戦争なんだから」
奇妙な笑顔のマスクをつけたクロトは、微動だにしなかった。
「もう魔族と人間は新たな戦争のステージに進んでいる。あなたもわかっているでしょう? アタシも族長として、新たな魔王に名乗りをあげるように周囲から期待をかけられているの。アタシにも背負うものがあるのよね——ほんとガラじゃないけど。みんなのために、誰かがやらないのといけないのよ」
「ふざけるなよ」
杖を握る手が、微かに震えていた。
その声もまた震えていることに、エリザベスは気がついて、彼を振り返った。
「格好つけるなよ——お前の行動は救世の名君どころか、ただ大きな代償を支払えば大きなものを得られると思い込んで、自暴自棄のギャンブルに走ってる多重債権者の暴走でしかない!! 本当に同族を救いたいと思ってるなら、なぜ自分を最優先に犠牲にしようとする!! 誰より仲間を救えるのはお前自身だろう!! お前は自分と仲間を代償にして、大きなもののために何かやったという手っ取り早い実感が欲しいだけだ——エリザベス!!!!」
クロトに矢継ぎ早に怒鳴りつけられ、エリザベスの表情に困惑が満ちる。
「な——……アタシは、この子のために……!」
「だから互いに苦しむ道を選んだって言うのか!? こんなくだらない悪夢を増やし続けて、何も生まれない世界に引きこもろうって言うんじゃないか——お前は——!!」
「――あなただって見たでしょう!? この子の見続けた悪夢を!!!」
戸惑っていたエリザベスも、クロトの一方的な言い分に怒りを示す。
「もう夢の世界くらいしか逃げ場所はないのよ——善良さなんて、まともさなんて、一片でも持ってる方が負けなのよ、現実では……! だったら、夢を見続ければいい——同じ悪夢を見て、同じだけ苦しみながら、全員でそれを分け合えば——」
「お前たちが本当の意味で生きてるなら——負けることは、ありえない」
ベベーネが、呻いた。
その苦しみを肌に感じて、エリザベスは息を止めていた。
「ここで〝俺たち〟が生きるのを諦めたら——今まで死んでいった人間はどうなる? 痛みを忘れるために悪夢すら見る権利を失った連中は、どこに行くんだ、答えろ、エリザベス——」
「―――」
「ここで生きている俺たちが、すすんで負けに行ってどうする——生きているなら、自分の現実を見ろ。そこはたとえ痛くて辛くて、何も生み出さない世界に見えても、たくさんの命が生きている世界だ」
「………………」
そう言って、クロトは己の仮面に手をかけた。
「ぐっ——あああああああああッッッ!!!」
めりめり——と皮膚をめくるような生々しい音を伴って、仮面は剥ぎ取られた。
強いられた笑顔のマスクを失って、そこからクロトの怒りに燃えた表情が現れた。
生きている人間にしかできない、目の前の現実に怒るまなざし。
エリザベスは目を見開いた——。
「……協力する気がないのなら、その気になってもらう——」
クロトは目の前に杖を立てた。
杖は浮力を得たかのように宙で自立し、直立した——青黒い宝珠に光が灯る。暗闇が広がる世界で、今確かに、光が差した。
やがて光は天を衝く柱となって、女神像の頭上を貫く。
「……そんな……まさか——」
エリザベスは穿たれた黒天を見上げて、言葉を失った。
そして、ぽっかりと空いた黒い雲の隙間から——圧倒的な破壊の極光が降り注ぎ、荒廃した大地に次々と大穴を空ける。
パレードは行く手を阻まれ、彼女たちのいるフロートは大きく揺れた。
「見せてやる、俺の悪夢——最強にして最悪の、人間の見た最大の悪夢……」
クロトの声が呪わしそうにその名を告げる。
天空に佇むのは、巨影だった。
何十頭もの竜が唸り声をあげるような駆動音は、巨躯を支える漆黒の魔導鎧——装甲の一枚一枚に死した神々の霊を織り込んだ、死の武装から漏れる命の吐息。
黒竜の頭蓋でできた兜は、頭部すべてを覆い尽くし、死した竜の憎悪と敵愾心の漲る顔貌がそのまま浮かび上がっている——。
背中では、六対の翼が羽ばたいた。
「魔王——〝星喰みの巨神王〟、アストラギガス」
世界の破壊と終わりを告げる音がこだまする——。
エリザベスは、表情に畏怖を浮かべ、天に鎮座するその御姿を見た。
「魔王様……!?」
答える代わりに、魔王の悪夢は下界を指で指し示した——漆黒の籠手に包まれたその指先が示した先に、破壊の光が飛来する。パレードの横手を穿たれて、エリザベスたちの乗るフロートは大きく震動し、牽引する人間を失って、大地に座礁した。
「っきゃあああ———!!!」
耳を劈くような悲鳴をあげて、ベベーネが震える。
エリザベスはとっさに翼を広げて、衝撃から彼女を守った。
「ちょっと……何考えてるの!? たとえ影とはいえ、魔王様の御姿を呼び出すなんて——……!」
魔族のエリザベスは、この事態のあまりの不敬さに気がつき、身を震わせながら言葉を発した。
「ここがたとえどれだけ深い悪夢の世界だろうが——俺とこいつが本気でぶつかればただでは済まんだろう!! かつて魔族の見た理想の王が、お前たちがここに生きていることを思い出させる!!」
いったいどっちが魔王だ——。
エリザベスは、目の前の男の途方もない魂胆を見せられて、身体から力が抜けていくのを感じた。
だが、ベベーネを抱えながら飛ぶ以上、気を抜くことは許されない。
「チッ——!」と焦りをあらわに舌打ちし、エリザベスはパレードから離れようと飛翔する。
しかし、破壊の光が彼女の目の前を掠めた——爆発。
「きゃああああ———!!!」
大地を穿ち、天を貫く火柱から噴き上がる爆風がエリザベスの翼を襲った。
直撃は免れたが、強い衝撃によって地に叩き伏せられる。
魔王の攻撃にパレードは大混乱を起こし、後にも先にも進めない状態で立ち往生した。
パレードを指揮していた女王であるエリザベスも地に堕とされて、奇妙なお祭り騒ぎは一転、破滅の沈黙が世界を覆った。
ベベーネを抱いて地に伏せる彼女のそばに、クロトが立つ。
今は畏怖しか感じられない彼の姿を見上げて、エリザベスは威嚇するように声をあげる。
「……あなた、何……考えてるの……!」
「どうもこうも——お前と同じだ、エリザベス。この最悪な現実に対して、何をすべきか考え抜いたうえで、俺は選んだんだ」
クロトの視線は、天に座す魔王アストラギガスの姿を捉えていた。
魔王の姿をとる悪夢は、まるで相対する魔術師の次の一手を待つかのように沈黙している。
エリザベスは、わからない——自分の思う最悪の悪夢を呼び出し、それと対峙しながら、今もこうして立っていられる男の胸中が。
その身体には恐怖からくる震えすらなく、ただ天を見据える視線には、覚悟の一点しか感じられない。
「一度は勝ったんだ——それに立ち向かうだけでいいなら、こんなに楽な戦いもない」
「でも、ここに〝勇者〟はいない! 〝聖女〟だって——あなたひとりでどうすると言うの!? いくら十年経っているとはいえ、たった十年で人間はそんなに強くなれないはず!!」
ふっ、とクロトは耐え切れなさそうに笑いをこぼした。
身を削るような自嘲の雰囲気を湛えながらも、その横顔には、どこか清々しささえある。
エリザベスは悲痛なまなざしで男を見て、やめてくれと全身で叫んだ。
だが、クロトは——杖を握り締め、宙に立てた。
エリザベスには聞き取れない古の言葉が次々とクロトの唇からこぼれる。
ここで彼が魔王に敗れれば、悪夢に敗北を味わえば、彼の精神は完全に夢の世界に呑まれるだろう。
エリザベスは、それが嫌だったから最初は彼がここに来るのを拒んだ。
誰より負けず嫌いで——高潔な彼のことが、好きだったから。
そんな彼が気高さを失い、身を滅ぼすところは見たくなかった。
だから、エリザベスは思わず手を伸ばしていた。
「だめ——!! 逝っちゃ、ダメ———…………!!!」
マントの端を握ろうと伸ばした指先は、虚空を掴んだ。
術を完成させ、唱えようとしたクロトは、その寸前で立ち止まった。
声が響いてくる。
天を閉ざす厚い黒雲の中から、くぐもってはいるが、確かにひとつの声が突き抜けてくる。
――ししょーう!!
――ししょーう! 師匠! 師匠! 師匠! 師匠! 師匠!!!
――負けるな!! 負けるな!!!
『頑張れ!!! 師匠!!!!!』
高く幼い声が、クロトの全身に降り注ぐ。
その瞬間、彼の中の魔力が溢れ出し、黒い外套が生命を宿したように揺らめいた——。
「俺には、生きてやることがある——」
魔王の指先が、クロトを示そうとした。
その前に、彼の術が発動する。
「――【火球】!!!!」
大気が震え、暴れ、地響きを起こしながら、彼の頭上で巨大な火の玉が生成される。
そのとき、魔王の指が破壊を命じた。
天から伸びた破壊の光と、地から発された火球が衝突する。
途方もない力と、巨大な力は互いに食らい合い、蝕み合って、周り一帯のものを一切合切破壊してゆく衝撃破となる。
その影響下にクロトもいた。
崩れゆく足元に、突き立てた杖だけを頼りに——クロトはもがき、衝撃に抗いながら、破壊の光に呑み込まれつつある自分の力に、さらなる力を注ぐ。
「しょせん悪夢のまがいものが、本物のツラをしやがって——!! 身の程を知るがいい!!!!」
喉を嗄らすほどの叫びをあげながら、クロトは全身の細胞という細胞を燃やし、魔力を点火する。
その叫びに呼応するようにして、少女の大声も響いた。
破壊の中心で、眩い光が溢れ出す。
その光は一本の槍となって、天を貫いた。
天に浮かぶ魔王の身体よりも遥かに頭上――黒い大空に、巨大な穴が穿たれて、そこに星空が覗いていた——夢ではない、本物の星々の灯り。
『———見事』
重く低い声は、地上に届くことなく、天上にのみ響いて消えた。
夢と外界がつながった瞬間、魔王の姿は黒い影となって、周囲に溶け込むように消え去った。
星々が、峻烈な光を発して流れ込む。
光が瞬くたび、鳥の羽根が舞い込んで、夢の世界に落ちた。
翼が、舞っている。
たくさんの翼を持つ天女たちが、そこで舞っているのだ。
それを感じ取ったかのように、ベベーネの指先が、かすかに震えた。
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