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吟遊のリンネ ~魔力ゼロのエルフ少女は、世界を語り直す~  作者: 七日
鳥のみる夢編

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悪夢

 クロトはエリザベスの作った夢の通路を進んでいく。

 強い輝きに近づくほど、エリザベスの呻きは低く、息遣いは荒くなっていくばかりだった。


「……アタシたち〝夢魔〟が生み出す夢は、つながってるのよ」


 彼女は苦しそうに唸りながら、光に向かって手を伸ばした。

 その瞬間、誰かの悲鳴とともにエリザベスの手は見えない衝撃波に弾かれ、身体ごと地に伏せる。


「あっ、ぐ――……!!」

 

 痛みを堪えて、 立ち上がろうとするエリザベス。そこにクロトは無言で杖の先端を差し出したが、彼女もまた無言でそれを制し、自身の力で立ち上がる。


「アタシたちは、夢っていう大きな存在の末端に過ぎないの。夢魔の求める人の欲望は、夢の一部。人間の見る夢が現実に形をなしたもの。それがアタシたち……」


「だが……あの光の主は、どう見ても夢の中で苦しんでいるじゃないか」


 あの店の元従業員と、エリザベスが探している夢魔の同胞はどう考えても同一人物だ。

 クロトは疑問のまなざしを彼女に投げかけてから、前方を振り返った。

 エリザベスは眉間を寄せて、しばし悩むような表情を見せつつ、人差し指と親指を掲げた。

 ぱちん、と指を鳴らす。

 夢の世界は閉ざされて、クロトとエリザベスは塔の内部に存在していた。

 多くの研究器具に囲まれて、研究者とおぼしき魔術師たちが突然現れた彼らを一斉に振り返る。

 その中央に寝台が置かれている。短い銀の髪をした女性が、手足を広げられた姿勢で拘束されていた。頭部には数多のケーブルが張り巡らされ、その先はいくつもの計器につながっていた。

 うろたえる研究員たちをよそに、クロトはエリザベスとともに寝台の女性に近づく。

 女性は眠っているが、顔を恐怖にこわばらせている。恐ろしい夢を見ている最中のように、表情すべてで苦痛を訴えていた。

 エリザベスは彼女の短い前髪に、そっと片手を置いた。


「この子……交わった者すべての夢を吸収したんだわ」


 その声は痛ましそうに響いた。


「……普通なら、夢魔は人間の快楽にあたる感情を捕食する。それが夢魔にとって何より生産的なエネルギーなの。でも、この子は………自らすすんで他人の悪夢ばかり食べていたようね。さっき、夢の世界にいたときからずっとアタシの中にはこの子の見ているものが流れ込んできたわ……でも、強い感情は強い思念になる。そして、あまりに感情が強すぎると、夢魔にとっても容量オーバーを起こして、苦痛になりかねない」


 クロトには、エリザベスの言わんとしていることがすぐにわかった。

 魔術の世界では、魔力と精神は強く結びついていると考えられている。精神に変調をきたすほど大きな感情を抱けば、その分、魔力に転じるエネルギーも高まる。


「その余剰分を、こいつらはむさぼってるんだな」


 クロトは凍るような視線で周囲を見渡した――どういう手段を用いてか、彼らは夢魔を夢の世界に封じ込めることに成功し、彼女の魔力を吸い上げているらしい。

 エリザベスは、今さら怒るふうでもなく、ただ呆れたように肩をそびやかすだけだった。


「皮肉なもんよね、アタシたちにとっても手に負えないネガティブな感情こそが彼らを惹きつける餌になるんだから。アタシたちは、人間と同じよ。ただ、幸福な夢だけを見ていたいだけなのにね――」


 薔薇色の唇が微笑を浮かべる。その柔らかな視線の先にいるのは、冷や汗を垂らして悪夢に耐える同胞の寝顔。

 エリザベスの表情には、母親のような慈愛が漂っていた。――母親なら、悪夢からわが子を解放やりたいと思うだろう。少なくともクロトはそう思った。


「悪い夢なら、独りぼっちで見ることはないわ――この世界に生けるものすべてと、共有しましょう?」


 だが――夢魔である彼女は違う手段を選んだ。

 先の展開に気がついたクロトは彼女の肩を掴んで制止しようとしたが、エリザベスが同胞の身体に触れていた時点で何もかも遅い。


「夢は逆さにして真実(まこと)――≪逆夢跋扈≫(ドリームバグ)


 クロトの手の中で、エリザベスは黒い影と化してすり抜けた。

 彼女は同胞の影と一体となり――銀髪の夢魔が目を覚ます。

 その夢魔は、目が覚めたというのに、周りの景色を見て表情を凍らせた。

 そして――悪夢の続きが始まったとでも言うように、悲鳴をあげた。

 喉が裂けるような絶叫が部屋を満たす。すると彼女の身体は漆黒の影に蝕まれ、肉体は溶けるように消失する。

 拘束器具からもケーブルからもすり抜け、影は女でも男でもない叫び声をあげながら近くにいた研究員に纏わりついた。


「ぎゃああああああ―――ッ!!」


 身を焼かれるような絶叫をあげて、その研究員は影に食われた。そうとしか形容できない。大の男の全身を丸ごと覆いつくした影は、その分だけ体積を増したように肥大化し、次々と周りの人間たちに取りつき始めた。


「止まれ、エリザベス!! 聞いているんだろう!?」


 彼の目の前では次々と研究員たちが食われていく。

 彼はこの国の魔術師たちに対してなんの感情も持っていない。だが、目の前で一方的な虐殺が繰り広げられるのを看過するのは彼の信条に沿っていなかった。


【魔力封印】(マジック・シール)――!」


 目の前に立ちはだかる巨大な影に、クロトは呪文を唱える。

 目に映らざるクロトの魔力が、抑止力となって影の動きを縛ったかに思えた。

 だが、クロトにはわかっていた。夢は魔力でできている。だが、魔力そのものとは違う。

 性質を近くしていながら、構造や成り立ちそのものがまず違う――夢の根源は、魔術ではまだ測りきれない領域なのだ。

 動きを鈍くした影の中から、ぬらり、と白い女の手が這い出してくる。

 杖を構えたクロトの目の前に、美しい微笑みを湛えたエリザベスの上半身が影から生えてきた。


「何も怖がることはないわ、クロトちゃん――アタシたちは、同じ夢を見ているだけにすぎないの」


 今見えているエリザベスの姿は、おそらく夢の残滓のようなものだ。彼女の核は、あの影の中に溶け込んでいる。

 クロトはその影の本体を抑えるのにすべての魔力を費やしているせいで、身動きがとれない。

 女の細い腕がクロトの肩を抱き、虚ろな美貌を近づける。

 全身から血の気が引いた。今動けば、影は暴れ出す。

 抵抗もできず、彼は夢魔の抱擁を受けた。――白い額が、彼の前髪に触れる。

 その瞬間、意識に何かが流れ込んできた。

 脳裏を焼き焦がすような鮮烈な悲鳴が、クロトの意識でのたうちまわる。


 ――誰か、助けて…………………。


 その声は、たくさんの女と男の、いずれともしれない者たちの苦痛がこもっていた。








 私は空っぽだった。

 だからその歌がやけに響いたのだ――寒い夜空の下で、か細く、高く、寂しさに打ち震えるような少女の声の調べが。

 ランカは、私をベベーネと呼んでくれた。

 私は空っぽだったから、人から与えられたものを素直に受け入れられたのだろう。

 夢魔である私は、人間を喜ばせる仕事にはすぐ慣れた。魚が海を泳ぐように、私にはなんの造作もないことだった。

 働いているとわかったことだが、店の同僚の多くは私と違って仕事に対してストレスを抱えている。彼ら彼女らは、よく下っ端のランカに対してきつく接していた。ランカは雑用だが、気が強く弁も立つ。その態度が生意気だと言われていた。彼女の態度なんて二の次だ。みんな気が立っていて、常に捌け口を求めていたのだから――。

 私はみんなの相談に乗った。最初は素直に話を聞かせてくれないこともあったけれど、粘り強く接して、全員の心を解きほぐした。

 みんな、悪夢に悩まされていたが、私がそれを吸い上げてやると、誰もが人が変わったように態度が軟化していった。気分がよかった。みんなの心が晴れていくのを感じると、私の心も昂揚した。

 何より、みんなランカに優しくなった。私が彼らの悪夢を取り除いてやれば、みんなストレスから解放されるし、ランカはひどい目に遭わなくて済む。

 たとえ私が夜ごと悪夢に魘されるようになっても。


 私は普段は素性を伏せて、ただ魔物の血を引く混血児ということしか明かしていなかった。だが、私の魔力の性質を読んで、正体を突き止めた客がいた。

 男は、この国の魔術師で、魔術の研究で成果を上げていたが、最近、世界樹の衰退によって世界中のマナ——この世界を循環する元素で、魔力の源になる——は減少傾向にあるらしく、天然の魔力だけでは資源不足が否めなかった。

 それで男は、夢魔が創り出す夢の世界に目をつけた。

 根底は違うけれど――夢には魔力が通っている。その似通った性質だけを吸い上げて、純粋な魔力として再構成する。男は私の身体を使ってその研究を進めた。

 私が身請けというかたちで引き取られることを拒否すれば、国の力で館の営業を停止させると脅されたのだ。

 この国で、この大陸で魔物の血を引く者は、自分の思うように生きられる自由はない。身体を売ることだって自分の意思ではない者がほとんどだ。

 それすらできなくなってしまったとき、みんなの居場所はどうなると思う?

 商売どころか、誰かの奴隷として私物化されるか、戦いの道具として辺境に追いやられるか――私は、ランカにそんな目に遭ってほしくなかった。

 そして、私は昼も夜も悪夢を見続ける機械になった。

 来る日も来る日も、傷つけられ、搾取される夢を見続けた。

 やがて、私は私と呼べるものをほとんど失い――みんなの記憶と感情だけが再演され続ける舞台そのものとなった。

 だが、私は舞台の袖で小さく縮こまり、みんなが舞台であげる絶叫を聞きながら、震え、怯えながら、辛うじて覚えている歌だけを脳裏で思い出す。

 それを思い出しているあいだだけは、私は私であることを失わなかった――。



 クロトの脳裏に、苦痛と悲嘆の克明な記憶が突き刺さる。


「あああああぁぁぁッ——………!!!!」


 幾人ものトラウマが、傷ついた感情が、クロトの中に流れ込んだ。

 苦痛、屈辱、嘆き、悲しみ――ありとあらゆる負の感情を揺さぶる嵐が、彼の中で暴走する。

 精神が耐えがたい苦痛を直接脳内に注ぎ込まれて、クロトは杖に辛うじて縋ったまま膝をつき、それでも耐え切れずに嘔吐した。

 胃液を吐き出した後も、苦痛がすべての内臓を炙っている。普通の精神では、到底受け止めきれない。ひとりの人生どころか、数えきれないほどの人数の人生を背負わされて、心が無事でいるわけがなかった。


「だから――邪魔しないでちょうだいね、いい子だから」


 苦しみ、えずくクロトを優しいまなざしで見下ろしながら、エリザベスはゆっくりと影の中に沈み込んでいく。

 クロトの精神が乱れ、魔力を封じる術が途切れた今、悪夢と成り果てた影の行く先を阻むものは何もなかった。

 研究施設にいたスタッフはすべて呑み込まれ――影は、窓の隙間を気体のように通り抜けて、塔の外を目指した。


「――そんなに悪夢ばかり見てたいなら、」


 クロトは、焼けるような胃液を飲み込み、呟いた。


「俺も連れていくがいい…………!!!!」


 影は、一瞬動きを止めた。

 半身は塔の外に乗り出したままの影に向かって、クロトの身体から影が伸びていく。

 半ばもたれるようしながら、彼は己の影の向けて杖を突き刺していた――夢は魔力でできている。だが、魔力だけでは夢にならない。

 だから、クロトは自分から夢の中に飛び込む。

 影と影が触れた瞬間――クロトは己の生み出した影の中に這い蹲り、そのまま沈み込んでいった。

 明らかに影の大元は動揺した。一瞬だけ男を拒み、押し返そうとしたが――より強い力で入り込んでくるその存在に、恭順を示すようにして、同化を赦した。


『もう――頑固なんだから――』


 呆れ、笑う女の声が響いたのを最後に、クロトの意識はそこで終わった。


 巨大な影が、圧倒的な魔力を内包し、より途方もない大きさへと膨らんでいく。


 悪夢を撒き散らしに、影は都市に向かって行進した。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます!

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