取引
「……すまない。話が長くなったな」
すべてを話し終えた彼は、そう言ってリンネに謝った。
セロニアスの口から語られる過去の壮絶さに、言葉を失っていたリンネは、その言葉に急いで首を横に振る。
「ううん――……それで、パイセンは師匠と旅をしていたの?」
戸惑い、気持ちの整理がつかない。自然とざわめく胸の中を押さえるように、リンネはゆっくりとした口調で訊ねた。
ふたたびセロニアスは、養父であった頭蓋骨に目線を落とした。
「……ああ。マスターは、きっと帝国と渡り合う方法を探しているところだ。いくらマスターが偉大な魔術師でも、俺が命を賭けたとしても、相手はこの世界だ。真っ向から戦っても無理だろう。……マスターは今、大陸の各地を旅して情報を集めている」
「………」
「きっと、お前のように捕らわれていた者を解放して回っているのも、マスターなりのやり方なんだろう」
呆気に取られてリンネは押し黙った。
クロトはあまり自分のことを語らない。自分の知らなかった師匠の一面を聞かされて、かすかにショックさえ受けている。
セロニアスと同じように、リンネも頭蓋骨を見た。
大切な者がこんな姿になったら、自分はそのときどう思うのか。
その白い骨の無垢な面影に、リンネはいくつもの大切な人の顔を思い浮かべて、胸が苦しくなった。
クロトと旅をして、この世界は黙って見逃していたら悪くなる事態がたくさんあることを知った。
自分の師匠は、少なくともそれを止めようとしている。
ならば、リンネのできることはなんだろう。自分にそう問いかけて、リンネは途方もない気持ちになった――。
その夜、宿泊部屋のベッドで横になっても、リンネの頭は冴えたままだった。
セロニアスの過去。クロトとの出会い。これからの旅の行く末――。
(師匠は……帝国と、戦うのかなぁ……)
ぼんやりと脳裏を掠めた心配が、徐々に膨らんで、大きくなる。
それは、あの男がやらなきゃいけないことなのだろうか。ほかの誰かが、もっと多くの人が、知恵を集めて、何十年も努力して、初めて達成できることなのではないだろうか?
だが、今日だって、あのハーピーの血を引くランカを助けようとした者は、いなかった。
(わたし……師匠に死んでほしくないよ……)
頬に涙が伝うのを感じながら、悲しみの中に沈むようにして、リンネは眠りに落ちた。
その頃、クロトは大仰そうにため息をついた。
「接触するならもう少し早くしろ。待ちくたびれた」
彼は部屋の隅に溜まった黒い影を睨むようにして言った。
その言葉を受けた途端、くつくつと笑う低い声が床を這った―――男とも女ともつかない、年頃すら定かではない、不定形のノイズじみた不気味な声。
「――お待ちいただくあいだ、うちの店の者をご指名いただければ退屈は紛れたでしょうに。人間男性受けのいい、見目の良いハーフばかり取り揃えておりますよ?」
「本題に入れ。俺の噂は聞いているんだろう?」
影は身を震わすように蠢いた。
「お噂はかねがね。エスメラでも派手にやられたようで……裏社会で糊口をしのぐ者たちは、次なる生贄は自分かと不安な夜を過ごしているでしょう」
「――だが、不思議と、俺みたいな人間と付き合いたがる愚か者は後を絶たなくてな。お前のように、こそこそと隠れてろくに正体も明かさないくせに、ろくでもない話を持ち掛けるようなやつが」
「このような街であっても、目立つのを好まない者は多くおりますよ。姿かたちを見せることは、あなたのような知見のある方の前では弱点を晒すのと同じこと……そう考える者がいても不思議ではありますまい」
持って回った言い方に、クロトは、ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「それで、用件はなんだ」
「……うちの店から、先日、身請けされた者がおります。しかしその者と連絡がとれません。昼間も、その者に会いに行った雑用が不自然に追い返されたようなのです」
「身請けされたということは、堅気に戻ったということだろう? お前の店とは関係なくなるんじゃないのか」
その質問に、一瞬、声はひるむように沈黙した。
「……うちは、非人間族社会のネットワークのようなものを形成しておりましてね。場所を移しても、元従業員たちとは密に情報をやりとりしております。このような人間優位の社会ですので」
「……つまり、多額の金で売り払った後もスパイのような真似をさせているということか?」
「言葉を選ばないのであれば……まあ、そうでしょうかね」
クロトは静かに眉間に皺を増やした。
非人間族が、同族を搾取している。クロトは苦々しい感想を覚えたが、〝彼〟のような者に正論を説くのは得策とは言えない。
「消えた元従業員の行方を調べれば、奴隷市場の内情を教えてくれるか?」
「基本、うちの従業員は奴隷から仕入れてますから、可能ですよ」
「……いいだろう。呑んでやる。元従業員が身請けされた先を教えろ――」
すでに、この手の者との取引にクロトはすっかり慣れていた。
しょせん、自分も不均衡な社会の恩恵に与っている者のひとりでしかない。
そう自覚しているクロトは不要な説教や制裁などにかまけるつもりはなく、その夜のうちに仕事にかかった。
場所は、富裕層の住むエリア。その一画に佇む屋敷に、城仕えの高官が住んでいるらしい。
彼はあの店の常連で、さきごろひとりの従業員を引き取ったそうだ。しかし、店を後にしてからしばらく、向こうから突然連絡が来なくなった。
ランカはその従業員と親しい間柄で、屋敷に移ってからも遊びに来るよう言われていたらしい。
昼間、万引きの疑いをかけられた果物は友人への土産になる予定になったものだったようだ。
「……?」
屋敷の前に来て、クロトは不審な事態に気づいた。
国の偉い役人の自宅だけあって、玄関になる門の前には見張りの兵がついていた。
クロトはその兵士を術で卒倒させてから屋敷に侵入するつもりだったため、まっすぐ前に出たのだが、相手は警戒するそぶりを見せない。
それどころか、武器を下ろし、クロトを歓待する仕草を見せた。
「お待ちしておりました――中にお入りください」
そう言って門の前を退くと、兵はうつろなまなざしを夜闇にさまよわせた。
その曖昧な表情を見て、クロトはすぐに男が精神操作を受けていることを認めた。
屋敷の中では、すでに何かの事態が進行している。その背景にいる者は、クロト自身か、彼のように調査に来る人間の侵入すら想定済みなのだ。
とっさに、その余裕のある仕草が気に入らないと思った。
クロトは黙って屋敷に入ると、各部屋を訪れて回った。
屋敷にずかずかと上がり込んで灯りを使うクロトに、使用人たちは全員眠り込んだまま微動だにしない。
不自然に眠らされている彼らの表情をつぶさに観察し――クロトの中は、ほとんど確信に近い感覚が支配した。
階段を上がり、最後に残った主の部屋を暴く。
そこには、豪奢なベッドの中でひとりの男が眠っていた。
――その苦しげな寝息を立てる役人のかたわらには、妖しく揺らめく影が蠢めいている。
「今、眠ったところなのよ」
優しく歌うような声で、影はささやいた。
クロトは手にした杖を掲げ、そこから魔力を照射する。
彼の魔力に当てられて、蠢くばかりだった黒い影は、徐々に人の形を見出した。
「――とっても甘ぁくて、素敵な夢を見ているわよ?」
淫靡な王に侍らされた踊り子のような衣装に、宝石で飾り立てた二本の角。
豊麗な肢体もあらわに、その魔物――夢魔は笑った。
十年ぶりの再会に。
「サキュバスクイーンめ」
「うっふ~ん♡ エリザベスって呼んで~ぇ♡」
呆れと苦さの入り混じったクロトの呼び声に、その美しき魔性、夢魔たちの女王は腰をくねらせてわざとらしく甘い声を放った。
彼女の姿は、十年前となんら変わりない。
「今までどうしてた。ウィルにやられて消滅したと思ったが」
「も~、聞いてよぉ! 大変だったんだからぁ! あの子、私にブッ刺さりの攻撃持ってるからやばくってぇ、この悩ましいボディを取り戻せたのもここ一年ぐらいなのぉ~、それまでエーテルに分散して、自我を保ってるのも大変だったのよ~ん♡」
薔薇色の髪先をくるくるといじって、彼女はあまり真剣とは思えない口調で自身の苦労を嘆いた。
「ふん、あいつ、仕留め損なったんだな。詰めの甘いやつだ」
「やだぁ、クロトちゃん、あいかわらずつめたーい」
うんざりするほど甘ったるい声で、稚児のように不満をあらわにするエリザベス。
「十年ぶりのおねーさんとの再会に、喜びのコメントとかはないのぉ?」
「……残念だが、そういう状況じゃない」
「………ま、そうよねぇ。実際は」
指先にひっかけた髪をつまらなさそうに一瞥し、エリザベスは芝居がかったように肩を落とす。
瞬間、彼女の全身から濃い桃色の魔力が立ち込めた。
天井まで達するほどに膨らんだそれは、バチバチと火花を散らすような音を鳴らし、部屋中にある陶器や磁器、家具を震動させた。
「十年ぶりだし――いっちょおねーさんが、や・さ・し・く、揉んであげますか♡」
ガタガタガタ!!と窓枠に嵌められた硝子が悲鳴のように泣き叫ぶ。
軽く足先をあげ、女は宙にふわりと浮いた。その背中では彼女の魔性を告げる邪悪な黒い翼が
はためき、「あははっ――」と少女と聞き紛う天真爛漫な笑い声が部屋じゅうに満ちる。
まったく、とクロトは吐き捨てた。
「今度こそ、魂の一片すら残さず消滅させられても文句は言うなよ」
その言葉に、甘く陶酔した表情を浮かべていた女は目を見開き――、
「ヤれるものなら、ヤってみなさぁい♡」
大きな獲物を前にした肉食獣かのように、舌なめずりをした。




