追想・4
彼が目を覚ましたとき、その身体は見知らぬベッドの上にあった。
「……ッ!?」
最後の記憶では、自分は誰かと戦っていた。それを思い出したセロニアスは、今この手の中に武器がないことを自覚し、とっさに身を起こそうとしたが、全身に痛みが広がって動きを止めた。
「……起きたか」
隣に並べられたベッドの上に腰かけ、クロトが包帯だらけの手に杖をついて、セロニアスの顔を見つめていた。
胸や手足のほとんどを包帯で覆われたセロニアスと違い、クロトはあのときと同じフードを被っていたが、その下からわずかに見える表情はやけどの痕でこわばっていた。恐らく服の下は彼も包帯を巻いているのだろう。
「ここは、お前たちが長年守っていた村だ。何年も独りであそこを守るお前を迎えるよう、この村の者に頼まれて俺は来た」
「……は……?」
「気がついたなら話もできるだろう」と、傷を負った身体を重たそうにあげて、クロトは別の部屋に誰かを呼びに行った。その瞬間、家の中にはいくつもの声が慌ただしく飛び交って、セロニアスの耳にも届いたほどだ。
「これは、これは……無事にお目覚めになられて何よりで……。手ひどいけがを負った魔術師様が、それ以上に傷を負っていたエルフ様を連れてこられたときは、まさかとは思いましたが……」
出てきたのは、顔に深い皺の刻まれた、痩せた老女だった。
彼女は体面を果たしたセロニアスに動揺もあらわで、慎重に言葉を選んでいるような節があった。
「七年前……、この村の者たちが貴方様がたを攻めたことを……ああ、なんと申しましょうか……生き残っている者たちは、少なくとも……心から悔いておりますですじゃ。長年、外界とのつながりを絶たれた村で育った人間というのは、それが自由を得ることと信じて……結果として、いたずらに死ぬばかりで……」
「……」
セロニアスの沈黙を目の前に、老婆は 「あのときは、村の中から反対の声もあがりました」、とどこか言い訳するように説明した。
「しかし、血気に火を注がれた男手は止められず……それに、人間の勝利が聞こえてくるや……信じられないことですが、武器がもたらされて……」
「……武器だと?」
老婆の曖昧になる語尾に、セロニアスは険しい声で問う。
彼女は臆したように肩を縮めたが、セロニアスの追及のまなざしに、意を決したように続きを語る。
「そのう……当時の村長……わたくしの息子ですが……のもとに、商人のような男が現れまして……男は、どこから持ってきたのか城を攻めるときのような大きな武器を……村に……」
おかしいと思っていた事実が次々と明らかになる。
あの兵器を中心とした武器の数々は、明らかに平凡な村の持つ戦力を超えていた。しかし、長年ずっと見張っていた村に、いつあんなものがもたらされたのか。それを村によこした男の素性は、よくわからない。老婆自身、あまり把握していないのだ。
「何より、帝国から大陸に残った魔王軍に懸賞金がかけられたものですから、長年ひもじい思いをしてきた村の者にとっては、あまりに抗いがたく……」
セロニアスは、あまりに長い時間戦っていたため、現実にあまり注視していなかった。
仲間の墓を守るため、死んだ彼らの平穏が続くようにと、砦に侵入してくる人間たちを排除するのに夢中で、そもそもなぜ自分たちがこんな目に遭ったのか、考える余裕がなかった。
「当時、あちこちの地域で似たような蜂起が起こっている」
老婆の話を黙って聞いていたクロトが、おもむろに口を開いた。
その発言に、セロニアスは目を見開いた。
「なぜだ……! なぜ、そんなに早く人間たちは行動できた!?」
痛みが響くのを無視して、セロニアスは激しい声で問う。
「勇者が突然魔王を倒したことで、魔王軍の体制は混乱していた。内部に戦況が伝わるには自然とラグは生じる。……だが、それも多くて数日ぐらいだろう」
クロトから返ってきたのは思案に暮れるような少しの沈黙と、静かな声。
「人間と魔王軍で、情報の遅れが発生したのには明確な理由がある。〝俺たち〟は当時、魔王を討った後、その場で帝国と魔術による交信をした。俺自身が報告したんだから、間違いない」
ひどく淡々とした声でクロトは言った。
「この世界が変わったのは、〝勇者〟が魔王を倒した瞬間じゃない。俺が発信したメッセージが帝国に伝わった瞬間だ」
セロニアスは、あまりの絶望に言葉を失った。
自分たちの滅びの運命を確定させた男が、目の前にいる。
「あのとき……………モルゲニアに進撃する俺たちに、帝国の内部の者が声をかけてきた。当時、誰も俺たちが本当に魔王を倒すなんて、予想もしてなかった時代にだ。『魔王を倒したらすぐに連絡しろ』と。俺たちは、それは人間たちに希望をもたらすための行動だと信じていた。だが、そんなのはただの世間知らずな子どもたちの思い込みでしかなかった。……認めるのも癪だが、帝国は俺たちの戦いにただ乗りし、新たな戦争ビジネスを興した」
しかも、――その恥知らずは、自らの命を賭けてセロニアス自身を救った。
老婆は恐ろしいと言わんばかりに大きく震え、クロトの言葉に耳を塞いだ。
セロニアスは、どうしたらいいのかわからなくなっていた。
とりあえず、このクロトという魔術師を殺せば、復讐は果たせるのかもしれない。
だが、セロニアスは、それを果たした瞬間、自分は本当におかしくなるだろうと直感した。彼と戦い、その魔力を受けたとき――まるで仲間たちが帰ってきたときのような気持ちになった。怒りに燃えていたセロニアスに、かつて大切だったものたちを思い出させ、戦いから解放してくれたのも、クロトなのだ。
うつむいた瞬間、包帯をした手に涙が落ちた。
あまりの無力感に、セロニアスは泣き、震えていた。
「……俺を憎みたいならそうすればいい。命を狙いたければそれもやれ。お前がふたたび生きていく理由になるのなら」
「なぜ……俺に、そこまで……」
涙で濁った声でセロニアスが訊ねると、クロトは、にやり、と邪気を孕んだ微笑みを浮かべた。
「そんなもの、決まってるだろ――連合を筆頭にした今の帝国がクソだからだ。あいつらの望んだままにお前が死んだら、俺は腹が立ちすぎて頭がどうにかなりそうだ――やつらは、お前とお前の仲間の死をむさぼって、魔王を遥かに超える化け物になろうとしている。そんな胸糞悪いものを見て、黙ってられるか――俺はこれでも、一応、あの男と一緒に、|一度はこの世界を救おうとしたんだぞ《・・・・・・・・・・・・・・・・・》」
「……」
セロニアスは肌に感じた。目の前の男の内部に溢れる、激しい怒りと憎悪を。
それは魔力と呼んでも差し支えないほどの力を秘めて、この部屋の空気を震わせていた。
「それが――答えか」
気づけば、セロニアスの涙は止まっていた。
ただ目の前の黒い魔術師の感情の大きさに呑まれて、胸の奥がひりつくような何かを感じていた。
セロニアスは、戦場でも晴らしきれなかった自分の中にある黒い血の塊のような感情が、彼の中にも確かにあることを悟って、その瞬間、彼に抱いていた憎しみがすべて空に還っていくような気がした。
――この男は、敵ではない。
彼は、〝解放者〟だ。
死と闇に閉ざされていくはずだった運命をすべて掻き集め、その胸に抱き、もう一度世界に放つため――。
この男は、自分の目の前に立っている。
「ならば、お前の答えは――?」
クロトは、そう言った。
ふたりが全快するまで数か月かかった。
その間、ずっと村の者に世話をされた。
かつて敵対し、殺し合った村の者の血を引く人間たちと、セロニアスのあいだには言いようもない感情が漂い、張り詰めていた。
「さぁ~さ! 包帯をお取替えしますね~」
だが、その中でも唯一、セロニアスに明るく声をかける者がいた。
彼女は背筋が曲がっていて、生まれつきの病を抱えていたが、そんな不自由は感じさせないほど器用に動く。この村の人間の中でも特に痩せていたが、それでも侘しさを感じさせない、常におどけたような明るい口調が特徴だった。
セロニアスは女性とほとんどかかわったことがない。肌を見られるのは抵抗があったが、彼女はてきぱきとそれを行うので、抵抗しようもなかった。
黄色いウェーブした髪は、動きやすいように短く整えられている。
手足の包帯を替えてくれる彼女の頭を見ながら、セロニアスは恐る恐る聞いた。
「お前は俺が怖くないのか?」
「あはは~。そんなことわざわざ聞いてくる人が怖いわけないでしょ~」
女は飄々と答えて、セロニアスを困らせた。
「……あたしの幼馴染の話ですけどねぇ。その子の家に伝わる話があって。その子の曾祖母は、病気の親のために村の外に薬を買いにいかなきゃならなくて、どうしても峠を越えなきゃならなかったんです。そのとき、地震で落石が起きて……でも、落ちてきた岩を受け止めてくれたのは、長い耳を生やした男の子だったそうですよぉ」
セロニアスは沈黙した。
「………記憶に、ないぞ」
女は「あはは~」と笑った。
「わざわざ記憶に残らないぐらい――貴方様がたはこの村を見守ってくださっていた」
「その子の曾祖母の話は、当時は誰も信じちゃくれなかったそうですけど」と一言おくと、女は一瞬、真顔になった。
「『どうしてそうなるんだ』ってぐらい、世の中は悪い方向に転ぶときは一度に転んじまう」
女は包帯を巻いた。
「……でも、気づいたときにはもう遅い、なんてこたぁないと、あたしは信じてますよ。それは、今こうして生き延びてる人間の傲慢かもしれませんが。でも、やるしかないでしょう? けが人を見たら、包帯を巻いて。飢えた子がいたらお粥をやって。そうやって、目の前のことをひとつひとつ、丁寧にやっていきゃぁ、この世界はもうちっとましになるかも――なんて、夢見たっていいでしょう」
ほら、できた。
セロニアスは彼女の顔を見た。
彼の腕に包帯を巻き終えて、誇らしそうに笑う彼女は、ふいに顎を手で押さえた。
「あいたた……あたしゃ関節が弱くてですねぇ。油断して笑うと開いちまうんですよ、えぇ……」
落ちてきそうな顎を押さえて、なおも笑う彼女の顔。
一瞬、その表情の下にある彼女の骨格が見えた気がした。
彼女の痩せた顔からは、死の気配ではなく、懐かしい面影が感じられた。
セロニアスは窓の向こうを見た。
傷が癒えるのを待つあいだに、村には春が訪れて、窓辺には花が咲いた。
見る者の心を洗い流すように白く、小さな、花。
それがずっと、砦にも、この村にもどちらにも咲いていたことを、セロニアスは初めて知って、少しだけ涙をこぼした。




