File 6 : 立石恵 2
「着任早速だが山之上さん、過去50年の全国で起きた、毒物を使ったと思われる事件、事故などの記録を集めて欲しい。使用した毒物が判明、同定できていない事案を集めてほしいんだ」
「了解です」
デスクに戻りパソコンを操作し始めた山之上麻耶を見て、久我山はなんだか落ち着かない気分になったが、頭をチャっと切り替える。
「市川はまず、竹下警部がまとめた捜査資料を読んでここでの捜査に慣れてほしい。ここは色々と特別な事が多いからな。
仕事は焦らずに慣れていけばいいから」
市川はまた馬鹿でかい声を張り上げた。
「はいっ!了解であります!」
「…だからさ、肩の力を抜けって事だよ」
竹下が入院してから沈みがちだった事務室に笑いが起きた。
その日の午後、久我山は早めに仕事を切り上げて竹下が入院している病院を訪ねる事にした。
医師に話を聞くと、少しずつ回復してはいるがまだまだ回復の途中だという。
「先生、竹下の職場復帰はいつ頃できそうですか?」
「まだまだ先でしょう。若いから回復は早いけど、ここで無理をすると後で影響が出ますからね。ゆっくりと養生するのがよろしいかと思います」
医師の話を聞いた久我山は、山之上麻耶と市川夏樹が竹下の代わりに来た事をどう伝えようかと考えて、大きく息を吐いて病室に入った。竹下が早く復帰したがっているのをよくわかっていたからだ。
竹下はベッドの背もたれを上げ、規則正しい呼吸音を立てて眠っていたが、久我山の気配を察したのか、パチっと目を開けた。
「さすがだな、竹下警部。
俺の気配を察したか?」
「当ったり前です!
怪しげな足音には反応しますよ。
弱ってますけど、俺は刑事ですっ!」
「…俺は怪しいのかよ?」
「いやいやいや…。
そうではなくて、ですね」
アセアセする竹下の顔をニヤッと笑いながら見て、山之上と市川が特殊捜査研究所へと配属になった事を話し始めた。
すると竹下は目を細めて久我山を見た。
「久我山警視正殿。なんだか楽しそうで嬉しそうに見えるのは俺の僻みですか?
俺、全力で回復しますので、俺が帰るのを待っていて下さいよう!」
「心配するな。竹下は俺の片腕だろ?復帰するのを待ってるさ。
副総監が山之上警部補をウチに短期出向させてくださったんだ。お前のピンチヒッターだよ。
市川は増員。
ウチはずっと人手不足だっただろ?
竹下は部下の数は多いけど、経理や警務、警備の警官ばかりだったから、市川が竹下のほんとの意味での直属の部下になる。お前に期待してるぞ。
とりあえず、市川にはお前の仕事の資料を読んでもらってる。そのうちここにも来させるよ」
「俺に直属の部下!よっしゃあ〜っ!
鍛えてやりますよ〜!任せてください。
ならば、俺は早く仕事に戻らないとなりませんねぇ」
「まあ、山之上がいるし、ゆっくり療養しとけ。医者が、今無理するとおっさんになってから響く、って言ってたぞ」
「へぇ〜!俺はまだまだ若いですからね。
でもですねえ…山之上さんが来たのは、他に理由があると思います!」
(ん?他に何がある?)
「ふっ!警視正殿!
顔が…嬉しそうでありますが…?」
竹下が糸の様に目を細めて久我山を見た時、こんこんこんとノックをして奥山美波が顔を出した。
「竹下さぁん!今日の調子は…
あっ!久我山さん…。ごめんなさい、お仕事のお話ですね。私、お茶買ってきます。おやつは持って来ましたから、待っていて下さい!」
学校のカバンを置いて足早に病室から出て行く美波の後ろ姿は、元気いっぱいに見えた。
「美波さんの調子はどうなんだ?元気そうには見えるけど?」
久我山の問いに竹下はちょっと言葉を選んだ。
「…美波ちゃん、学校が終わると真っ直ぐにここに来て勉強してるんです。ここにいると、と言うか俺のそばにいると落ち着くみたいです。美波ちゃんのお父さんからもよろしく頼まれていて…。美波ちゃんはまだパニックになったり、夜中にうなされる事が多いんだそうです。
病院にも美波ちゃんの事情は家族から話してあって、ここに来ることは許可をもらっているんですけど」
竹下はちょっと俯いた。
「久我山さん。俺…。どうすればいいんですかね?美波ちゃんはまだ高校生で…俺はアラサーで…」
「'すぐれた魂ほど大きく悩む' …という有名な言葉を知ってるか?」
「なんですか?それっ?」
「お前は真面目で責任感が強いということだ。
竹下よ、大いに悩め!」
「え〜っ!
人が素直に打ち明けてるのに…」
竹下がブツブツと言っていると、美波がコーヒーとお茶をトレイに乗せて戻ってきて、竹下も優しい笑顔になった。
竹下と美波の様子を見て、久我山は心がほんわかとした。
(竹下のやつ、何悩んでんだか…。
美波さんがちゃんと大人になるまで捕まえておくしかないだろ)
竹下の悩みも気づかず、いや、気づいているのかもしれないが、美波は竹下の顔を見ては嬉しそうに笑った。
「喫茶部のおばさんがコレに乗せて持って行きなさいってトレイを貸してくれたの!
よく買いに行くから顔馴染みになっちゃった!」
美波はそう言いながらテキパキとお茶とコーヒー、恐らくコンビニで買ってきたであろうオヤツをオーバーベッドテーブルに並べ、久我山と竹下にも勧めてから楽しそうに食べ始めた。
「久我山さん。私ね、警察官になるって決めたんです。そうしたら竹下さんが、そう決めたのなら大学に行ってキャリアを目指せって言ってくれて。だから少しでもいい大学に入ろうって思って、今、受験勉強頑張ってます!」
久我山は、それは頼もしいね、と言った後で竹下の顔を見た。
「それならば、竹下警部は警視に昇進するための試験を受けなければならんな。
うかうかとしていると美波さんがお前の上司になるぞ!」
「や、やめて下さいよ、久我山警視正!
美波ちゃん、嘘だからね。
俺には昇進試験なんてないんだから!」
狼狽える竹下とそれをキラキラした眼で見つめる美波を見た久我山は笑いを堪えて立ち上がった。
「さて、私は帰るとしよう。
美波さん、ごちそうさま。これ、お茶代ね…剥き出しで悪いけど。
竹下の怪我が早く良くなるおやつと美波さんが勉強を頑張れるおやつをたくさん買ってください」
一万円札を数枚美波に渡し、久我山は病室を後にした。
「久我山さん、ありがとうございまあす!
やたー!竹下さん、明日は駅前のお店でプリン買ってきますね。美味しいって評判なんだけど、高くってまだ食べた事ないの!一緒に食べましょう」
「うん。楽しみにしてるよ。
さ、食べたら勉強しようか…」
「はぁーい」
美波の元気の良い声が病棟の廊下に響き、それを聴いていた看護師達が微笑んでいた。
翌日。
久我山が研究所に行くと、山之上麻耶はすでに薬物による事件をファイルにしていた。毒物の特定が出来なかったケースはこの50年で5件だけだった。不可思議な殺人事件は、そうそうは起きない。
5件の内4件は最近起きた事件で、久我山もよく知っている事件だった。
1件目の犠牲者は霜山リカの恋人だった田山雅彦。
立山誠の私設秘書だった安田隆が薬品を混入したと思われる水を田山雅彦に飲ませて即死させた。薬品については同定はできなかった。
2件目は横山薫と名乗っていた、山城風子と思われる女。
24時間後になんの苦痛もなく死が訪れるという薬を服用して亡くなった。薬についてかなり検査をしたが、何も分からなかった。
3件目は集団自殺で亡くなった人々。どの様に毒物を摂取したのかは不明。奥山健は下痢と嘔吐の症状があった為、毒物を吐き出したおかげでしばらく生きていた。
4件目は '吉人' と呼ばれていた男。このケースは毒物の同定が出来ているが、パヤ毒であった事は公表されていない。
そして最後の1件、というか1番古い1件は久我山も知らない事件だった。
それは20年ほど昔の出来事で男は死亡し、女は意識不明で未解決のままとなっていた。
驚くのは事件の当事者達だった。
男は伊丹健四郎法律事務所の若手弁護士、日下部慎二。女は立山誠の息子、和美の妻、立山恵。
事件の概要は謎だらけではあったが、シンプルだった。
2人は東京近郊のファミレスで会っていた。発見された時の状態から、なんらかの毒物が使用されたと思われたが、どんな毒であったのかは同定できずにいた。
2人は何のためにそこで会っていたのか、何も情報が得られない。
つまり、何が起きたのか全く分からない、というシンプルな事件だった。
「今となって見てみると、この事件は嫌な感じがしますね」
山之上麻耶はそう言ってコンピュータの画面を見ていたが、ん?という顔をした後、久我山を呼んだ。
「久我山警視正。立石恵さんが亡くなった、という記載がありません。事件後、どうされているのでしょう?お亡くなりになったのか、ご存命なのか、調べてみます。
あっ、大丈夫です。家人や知人などに聞いたりいたしません。副総監ルートならなんらかの情報があるはずです。2、3日お待ちください」
そして、2日後、井上副総監からの情報を聞いた久我山は、うーんと唸った。立石恵は生きていて、実家の神尾家で意識がない状態で20年以上も療養しているという。
久我山は神尾家に面会のアポと立石恵の 'インネル' を使った再捜査の許可を井上副総監に取るようにと山之上麻耶に指示を出した。




