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File 6 : 立石恵 1


 奥山健の事件が不本意ながらも捜査終了となってしばらくしたある休日、久我山は田代純子に呼び出されてモンブランが美味しいカフェにやって来た。


 カフェの奥まった所に楽しげに並んで座る田代とその夫を見つけた久我山は、やれやれという顔をして田代夫妻と同じテーブルに着いた。


 久我山がやれやれと思ったのは田代がかなり大きなマロンパフェを嬉しそうに食べていたからだけでなく、夫の裕二も 'モンブラン モンテビアンコ' という名前の普通の2倍はあるモンブランをパクついていたからだった。


「久しぶりだねぇ。チー君」


 田代裕二は嬉しそうに久我山を見ながらモンブランを口に運んだ。


「裕二さん、その呼び名は勘弁して下さいよ。俺、とっくに30過ぎてますし…」


「チー君、美味しいよぉ〜!」


「純子さん、美味しいのは俺も分かってますよ。昔っからこの店に来てますからね。大体、この店を純子さんに教えたのは俺じゃないですかっ!」


 特殊捜査研究所の実質的な責任者である久我山は警視正と言う肩書きだ。その久我山をチー君などと軽く呼ぶ2人は、実は久我山が子供の頃からの知り合いでもあった。


 正確には田代純子は20年前に殺人事件の被害者となった久我山の姉、亜紀の親友で、夫の裕二は2人と同じ中学、高校の先輩だった。

 

 久我山の家にも良く遊びに来ていた2人は久我山の良き理解者であったが、頭の上がらない相手でもあった。


 チー君などと呼ばれ、若干不貞腐れ気味の久我山は普通のモンブランとメガカップのコーヒーを頼んだ。


「で、何のご用ですか?

 私を呼び出して、まさか一緒にモンブランを食べたかっただけ…なんて言わないでくださいよ!」


 そう切り出された田代純子は声を顰めた。


「うん。監視カメラは店内に2つあるけど、まあ大した事ないヤツだよ。盗聴器は周りにないけど、一応、私がスマホで妨害電波流してるから誰にも話の内容は聞かれない…っていうくらい慎重な対応を要する案件だよ」

 

「えっ?」


「ねぇ、裕ちゃん、話してあげて。

 私はパフェと真摯に向き合うから」


 パフェに鼻先を突っ込んでいる純子の隣りに座る田代裕二は科警研で薬物の検出方法などの研究をしていて、事件性のあるご遺体と関わる事も多い人物である。


 その裕二がコーヒーで喉を潤した。


「チー君はパヤンカ文明って聞いたことある?」


 突然の質問に久我山は訝しげに顔を顰めた。


「いや…知らないけど」


「そうだよね。パヤンカはほとんど誰にも知られてなくて謎だらけの古代文明なんだ。

 40年以上前の話なんだけどさ、アマゾンの奥深くで遺跡が見つかってね。専門家が調べて、知られざる古代文明だと分かった。

 何千年も前に、ほんの短い期間だけ栄えていた文明なんだってさ」


 久我山は裕二が何を言いたいのかが分からず、とりあえずモンブランを口にした。

 

「実はね、報道はされなかったけれどそのパヤンカ遺跡では調査団員が次々と亡くなったんだ。原因は分からず、未知の病原菌じゃないかって疑われた。

 遺跡調査のスポンサーはビビっちまって、スポンサー契約を突然打ち切った。で、金がなくなった調査団はその遺跡調査を中止せざるを得なくなったんだそうだ」


 裕二はモンブランを一口食べコーヒーを飲んで息を吐いた。


「そのパヤンカの調査隊の中にプラノという医学者がいて、亡くなった調査団員の血液をこっそりと採取し自国に持ち帰ったんだよ。何人も続けて亡くなったんで、不審に思ったんだろうな」


 プラノは持ち帰った血液を分析し、全く新しい毒を見つけ 'パヤ毒' と名付けた。


 しかし、今、パヤ毒に関する資料は何も残っていない。パヤ毒の事を知る人も少ない。なぜならプラノは研究室の不審な火事で亡くなり、資料も全て灰になったから。まるでそんな毒は存在しなかったみたいに、研究室ごと何もかも灰になって消えた。


「…そう、言われてるけどね…」


「えっ?もしかして残ってたんですか、資料が」


 裕二は頷いて、久我山の方に少し身を乗り出した。


「私がアメリカ留学して薬物の研究をしていた時に、パヤ毒の事をマカルト教授が教えてくれたんだ。恐ろしい毒があるって。

 プラノの弟子だったマカルトは火事が起きた時、データをたまたま自宅に持ち帰っていたそうだ」


 そのマカルトは、裕二が研究を終え日本に帰る直前にパヤ毒のデータコピーを手渡して、こう言った。


「パヤンカ遺跡で調査団員が次々と亡くなったのは、生き残った誰かがパヤ毒を使って実験していたからだ、とプラノが私に言ったんだよ。

 パヤンカに毒がある事を知っていたのかもしれないが、自作の毒を持ち込んだ可能性もある。何にしても、パヤンカ遺跡を利用して効果を試したという事だけは確かだ、って。

 その後のプラノの不審な死、データの消滅…全て犯人がやった事だと考えれば、証拠隠滅のためだと辻褄が合うだろう?

 パヤ毒の致死率は高い。世に出てはいけないものなんだ。

 だから、君にもデータのコピーを渡すよ。パヤ毒が世に出るのを防いでほしい」


「何で私に?」


 そう聞いた裕二にマカルトは声を顰めた。


「生き残った人間が今でもパヤ毒を持っていたら、使う可能性があるだろう?

 生き残ったのは5人。アメリカ人のプラノ先生。ブラジル人の案内人。帰国後病気で亡くなったイギリス人、そして、日本人が2人だったんだよ」



 

 裕二は自分と久我山のコーヒーのお代わりを頼んだ。


(…嫌な感じがする)


「嫌な感じ、って思ったでしょう?

 その通りなんだよ。

 データをもらったけど変な毒物事件なんてそうそうないから、すっかり忘れてた。

 ところが…だ。

 随分月日が経った先日、私はそのパヤ毒にお目にかかってしまったんだよ」


「どこで?」


「あるご遺体から見た事がない物質が検出されてさ…。

 今は機材も素晴らしく進化してるだろ?昔はわからなかったモノも検出できる時代になったんだ。でも、データと照らし合わせてパヤ毒だと確信するまでに随分時間がかかってしまった。

 まさか…って思ったからね」


「なんか、ほんとに嫌な感じです」


「うん、聞きたくないとは思うけど…。

 パヤ毒が検出されたのは顔の原型がわからないほど整形していた男。ほら、顔を復元したら山城警視正にヒットしたっていう、あの吉人っていう男だよ」


「えっ?」


「でもねぇ…今の日本ではその毒、手に入らないはずなんだよね。だってさ…」


 裕二はモンブランを食べていた手を止めて久我山を見た。


「その毒はどうやって作ったのか、プラノにもマカルトにも分からなかったんだ。

 パヤンカの遺跡はマアゾンの奥深くに眠っていて、今頃は人も立ち入れないほどに荒れてるはずだし。

 という事は、50年前のパヤ毒を誰かが使った…って事だと私は思うんだよ。

 まあ、そんなわけで公にするのは躊躇われてさ…」


 裕二は最後のモンブランを口に入れ、運ばれたコーヒーを飲んだ。


「で、純ちゃんに '吉人' って呼ばれていた男はどんな人、ってちょっと聞いてみたんだよ。そしたら複雑な事件に絡んでるっていうことしか言えない、って言われてさ。

 だから、チー君に話す事にしたんだよね」


 久我山は手にしていたメガカップを置いて裕二の顔を見た。


「裕二さん、つまり、50年も前に古代遺跡で殺人実験に使われた、作り方もわからない毒物が、今の日本で殺人に使われた可能性がある、って事?」


 裕二は頷くと、パフェをほぼ食べ終わった田代純子を見てにっこりと笑った。


「純ちゃん、食べ終わった?

 私の話も終わったよ。帰ろうか。

 チー君、この事をどう扱うのかはチー君の判断に任せる。

 詳しい毒物の情報がいるなら純ちゃんに渡すから言ってね。手渡しの方が安全だと思うんだ。

 私は事件の捜査は出来ないし、首を突っ込む事もできない。だけど、なんかあったら私のできる限りの協力は惜しまない。

 何か手助けがいる時は連絡して欲しい。

 チー君、くれぐれも無茶するなよ」


 言いたいことだけ言って手を振り帰っていく田代夫妻の後ろ姿を、久我山は呆然として見送った。





 翌日、久我山は秘書官の山之上麻耶を通して井上副総監に会いたいと連絡を取り、その日の夜遅くに副総監と例の焼き鳥屋で会う事ができた。


 もうもうと立ち込める煙の中、久我山から報告を受けた副総監はかなり渋い顔をした。


「パヤ毒…初めて聞く名前だな。

 報告はわかった。私の方でも内密に調べてみる。

 渡航履歴を辿って調べるか…。でも、そういう奴なら密航してるかもしれんな。

 田代裕二君には詳しい話を直接聞こう。こちらから連絡をしてみる。ああ、心配はいらない。田代君に危険が及ぶ様な迂闊な事はしないから」

 

 副総監は日本酒をぐびっと飲み、ところで…と話を変えた。


「頼まれていた人員補充の件、明日の朝から2人、特殊捜査研究所に行く事になったからよろしく頼む。

 じゃあ、また飲もう」


 1万円札をポンとテーブルに置いた副総監はSPを何人か引き連れて帰って行った。


 あのタヌキ、交代要員は誰が行くとか、大事なことは言わなかった…そんな事を思いながら、久我山は残っていた酒と焼き鳥を腹に入れた。




 翌朝、久我山が研究所に着くと、田代純子が嬉しげに入り口で待ち構えていた。


「久我山くんにも春がキターッ!

 急いでデスクに行きなさい!」


「田代さん、朝っぱらから何ですか?」


「いいから、いいから!

 シャキッとね」


 ネクタイ曲がってんじゃん、とクニクニと首元を直され背中をパシンと叩かれた久我山は、全く訳がわからない…と心の中でぼやきながら自分のデスクに着いた。


「あっ!」

 

 竹下のデスクにいたのは山之上麻耶で、久我山を見るとキリッと立ち上がり久我山のデスクにやって来た。


「山之上麻耶警部補、本日付けて特殊捜査研究所に着任致しました。竹下警部が戻られるまでの短期間ですが一生懸命努めます」


(春…ね。来たかもしれない)


 久我山は諸々の出来事を一瞬だけ忘れた。


 そして、山之上の隣にもう1人、シャキッと敬礼をする男がいた。


「おなじく、本日付けでこちらに着任いたしました、市川夏樹巡査長ですっ!」


(あっ!あの市川?)


 霜山リカの凄惨な現場の第一発見者だったの市川が、部屋中に響き渡るような大声で挨拶をした。


「これから頑張りますので、よろしくお願いしますっ!」


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