File 5 : 竹下翔太 7
意識が回復した後も、竹下の状態はなかなか安定しなかった。
奥山美波は毎日病室を訪ねしばらく竹下のそばにいると報告を受けているが、涙ぐんだり、竹下の名前を呼び続けたり、と美波の状態も不安定だ。
奥山一家には護衛がつけられていて、美波が病室に竹下を訪ねている間も、護衛が2人ピタッとそばについている。
それでも安心できない。
美波を攫った2人の男は、金目当てだったと言っていて、伊丹健四郎法律事務所の若手が早速に面会に訪れている。
2人の男は太々しい。取り調べ中もニタニタと笑い続けている。その態度はまるで、やれるもんならやってみろ、と刑事たちを嘲笑しているようだった。
「立山?誰だぁ、それ?
んな名前は聞いたこともねぇわ。
あのガキの聞き間違えだろ」
そんな供述を繰り返していて、埒が明かない。
気持ちは焦るが、何をどうするか、久我山は思いつかなかった。
そんなある日、久我山は井上副総監の秘書官である山之上麻耶から、副総監が会いたいと仰っていると連絡を受け、いつものの場所に赴いた。
例の焼き鳥屋は相変わらず煙が立ち込めていて、すでに出来上がっているのか、赤い顔をした副総監はこっちこっちと久我山に手を振った。副総監は久我山のコップに並々と酒を注ぐと、久我山が注ごうとするのを断って、自分のコップにも溢れんばかりに酒を注いだ。
「久我山君、こういう所はね、2杯目からは手酌なの!」
そう言って副総監はグビグビと呑んだ。
「久我山君、元気だったかい?
って、そんなわけないか…」
とまたクビっと酒を呑んだ。
「実はね、あの奥山健君の事が、分かったんだよ。それを話そうと思ってね。それで、こんなに飲んでる、って訳だ。
うぃ〜っく!」
「副総監、飲み過ぎです!」
「いやいや、飲まずにはいられんだろ。
だって、奥山健君は、潜入捜査員だったんだと分かったんだからな」
「えっ?」
副総監は片手を上げて、久我山の次の言葉を遮った。
「何を言ってる、このじいさん!と思っているだろうが、最後まで聞きなさい。
奥山健君は公安の特別潜入捜査員だった。
彼のお陰で山本興業の絡んだ一連の事件を摘発することができたんだ。
その後、彼は集団自殺に関わる捜査中に事件に巻き込まれて亡くなった。
彼の仕事が秘匿性の高いモノであるために混乱が生じ、ご家族への報告が遅くなってしまった。
健君が潜入した事でご家族まで狙われる事になり、誠に遺憾である」
副総監はふうっと息を吐いた。
「奥山健君は山本興業事件摘発の功労で報奨金、退職金並びに弔慰金が支払われる。
久我山君、これはね、相談とか報告ではなく、事実なんだよ。事実!」
井上副総監は、酒をまたグビグビと飲んだ。
「久我山君!私に出来る最善の事がこれだ!我ながら解決策が '金' とは情けないよ。
『この件でこれ以上深掘りすると、もっと犠牲が出ても知らんぞ』…だと!あいつらそう言いやがった!クソ共が!
だけど、名前の言えない偉い人には釘を刺した。
次はありませんってね。
次はないんだよっ!奴等にはっ!」
井上副総監はまた酒をグビグビ、グビグビと飲んだ。
「久我山君、私が喜んでこんな事をしてると思うか?
私はね、腑が煮え繰り返っているんだ。確かに今の世界状況を考えると、あの偉い人達は日本に必要なのかもしれない。
でもだ!それとこれとは話が別だろうがっ!奴らは腐ってる。
いいかね、久我山君!腐った奴らには、次はない」
「…次はない…ですね?」
「ああ、そうだ。だから、次は奴らを叩きのめす材料を揃えろ。私も協力する」
グビッと酒を飲んで井上副総監は小さな声で久我山に言った。
「私はこんな日本の状況をどうにかしたい。本当にどうにかしたいと思っているんだ…」
久我山はあれこれと奴らの '次' について頭の中で考えていた。
しばらく2人で無言で酒を飲んだ。
「そうだ。井上副総裁。お願いがあります。
奥山健の家族に会って、その話をしてやってください」
「よかろう。それぐらいはするさ。山之上に調整させる。
それに奥山家には手出しはするなと言い渡してある。護衛と警備は終了して大丈夫だ。
諸々の記録と資料は私がしっかりと預かっている。'次' の時には全てを白日の元に晒す。今まで私が預かっているモノ全てだ。
それは約束する。この約束は必ず守る」
副総裁はテーブルの上に分厚い1万円札の束を置いて言った。
「奥山一家に美味しい物を。
入院中の若い刑事に精のつく物を。
特殊捜査研究所の皆に甘い物を。
君からという事でよろしく頼む。じいさんの僅かばかりの謝罪の気持ちだ。
うぃ〜っ!飲みすぎた」
井上副総監はSPを従え、ヨロヨロと帰って行った。
数日後、久我山は秘書官の山之上麻耶に会った。
麻耶が指定した場所は都内の高級ホテルのラウンジ。緑に包まれ、落ち着いた雰囲気の所だった。ラウンジの中には小川に見立てた小さな水の流れがあり、鳥の声が微かに流れていた。
久我山がラウンジの様子を見ると薄いピンクの服を着た山之上麻耶が紅茶を飲んでいて、久我山に気付くと軽く手を振った。
「遅くなりました。お待たせしましたか?」
「こんにちわ。久我山警視正…失礼、この様な場所では無粋な呼び方ですね。
いいえ、早く着き過ぎてしまったのです。久我山さんに会えると思うと、つい気が急いてしまいました。…なんてね」
麻耶が笑った周りだけ、暖かな風が吹いた気がした。
「先日は同行させていただき、ありがとうございました。少しはお役にたてたのでしょうか?」
「ええ、もちろんです」
そう答えた久我山は、山之上麻耶が自分を真っ直ぐ見ていることに狼狽えた。
くすりと笑った麻耶は、早速ですが、奥山健さんの件を煮詰めましょうと、PCを取り出した。
久我山はその内容を見て驚いた。副総監が奥山家を訪問するのではなく、きちんとしたセレモニーとして計画されていた。
こんな事して大丈夫ですか、と久我山が聞くと麻耶はにっこりと笑った。
「はい、これくらいは副総監にさせましょう。それだけの事を偉い方々がされたのですから当然です。
それに、まだ若い美波さんをも騙すのですから、これくらいは必要かと…」
セレモニーはホテルの小部屋を借りて、奥山健の写真と花を飾り、副総監が献花をするという内容だった。
サクラと言ったら可哀想だが、事情を知る何人かを制服で参列させる。
家族には奥山健さんの潜入捜査という仕事内容から、守秘義務が発生しているので、他言無用、公表も出来ないと伝える。
「久我山さん、こんな感じでいいですか?」
素晴らしすぎます!と久我山が言って麻耶の顔を見ると、麻耶はにっこりと微笑んで久我山を見た。
久我山は竹下にだけは本当の事を話したいと、麻耶に言った。奥山美波を想っている竹下には、知っていてもらいたかった。
奥山健の家族は潜入捜査ということに納得してくれた。久我山はやるせない気持ちになったが、これが今できる最善の事だと自分に言い聞かせた。
セレモニーの当日。
井上副総裁、その部下2人、SP3人、山之上麻耶と久我山の8人が制服で参加した。
井上副総裁は厳かに奥山健に対して弔辞を述べ、献花を行った。
奥山健の写真の前に花を供えながら、久我山は心の中で奥山健に誓っていた。
(こんな事があっていいわけがない。
あなたの死は無駄にしませんから)
セレモニーの後、美波は護衛と共に竹下の病室を訪れ、その手を握ってこう言ったと報告を受けた。
「私、将来は刑事になります。
竹下さんのそばで仕事がしたいです。大きな仕事を一緒にさせてください!」
竹下は美波の身体を引き寄せて抱きしめ、美波に見えない様に涙ぐんでいたと、護衛に付いた警官が言った。
この日をもって奥山家の護衛は解除された。
久我山の心のやるせなさだけがいつまでも残った。
File 3 : 奥山健 Case closed
File 5 : 竹下翔太 Case closed




