第九話『家庭教師と、おっさんの高度な退屈』
5歳のお披露目パーティーで、まさかの「最強美少女2人が許嫁候補として内定する」という人生最大の就職事故を起こした俺だったが、現実のタスクは容赦なく俺のスケジュールを埋めていく。
「アルベルト様、本日より勉強を見ていただくことになりました、エリオットと申します。王立魔導アカデミーで講師を務めておりました。どうぞよろしくお願いいたします」
我が家の書斎に現れたのは、いかにも「真面目なインテリ」といった風貌の眼鏡の青年だった。
父親のカイゼンが、俺のために国でも有数の優秀な家庭教師を雇ったのだ。
(王立アカデミーの講師か。よし、俺の目標は『平均的な、ちょっと出来のいい子供』だ。エリートコースに乗せられないよう、目立たず騒がず、無難にやり過ごすぞ)
エリオット先生は、山積みにされた教科書を机に置き、優しく微笑んだ。
「いくら全属性の神童とはいえ、まだ5歳ですからね。まずは言葉の読み書きと、この世界の歴史、そして簡単な算術(数え方)から始めましょう。無理はなさらず、私の後に続いて発音してくださいね」
「はい、えりおっとしぇんしぇい! よろしくおねがいちまちゅ!」
俺はこれ以上ないピュアなキラキラした目を向け、5歳児としての100点満点の挨拶を披露した。我ながら完璧な猫かぶりだ。
こうして始まったマンツーマンの授業だったが——。
「ではアルベルト様、この文字は『ア』と読みます。この国、ルミナス王国の頭文字ですね。さあ、書いてみましょう」
「はいっ!」
俺は小さな手でペンを握り、おぼつかない手つきを演じながら、ゆっくりとノートに文字を書いた。
(……うわぁ、退屈だ。退屈すぎる。前世でいう『ひらがなドリル』の『あ』の練習をさせられてる気分だ。もう3歳の頃に、親父殿の書斎の難解な魔導書をステルスで全冊読破してる俺にこれはキツい……!)
表向きは「わあ、書けました!」と嬉しそうにノートを先生に見せるが、心の中ではあくびが止まらない。
授業は進み、次は算術の時間になった。
「では、ここにリンゴが3つあります。キャリーが2つ持ってきました。合わせると、いくつになるでしょう?」
「ええっと……1、2、3……5つでちゅ!」
俺はあえて指を折って数えるパフォーマンスを挟み、5歳児らしいスピードで正解を出した。
(3+2か……。前世の社畜時代、1日に何百万、何千万という会社の予算の帳簿や、狂ったような桁数の領収書を電卓叩いてチェックさせられていた俺への、これは何の嫌がらせだ? 脳が退化しそうだぜ……)
「素晴らしいです、アルベルト様! 1回で正解できるなんて、本当に聡明なお方だ!」
エリオット先生は、俺が「ちょっと出来のいい普通の子供」を完璧に演じているだけなのに、大げさなほどに褒めちぎってくれる。
(先生、そんなに感動しないでくれ。俺の内心は『早く定時(授業終了)にならないかな。今日の夜食は何かな』ってことしか考えてないから。完全に前世の退屈な全体朝礼を聞いてる時の精神状態だから)
その後も、先生が熱弁する「ルミナス王国の建国史(=俺にとってはただの知っているおとぎ話)」を、俺は「ほうほう」「しゅごい!」と相槌を打ちながら、真面目な顔で聞き続けた。
「本日の授業はここまでです。アルベルト様、本当に真面目で、集中力があって素晴らしい生徒です。明日も頑張りましょうね」
「はい! しぇんしぇい、ありがとうございました!」
俺は満面の笑みでお辞儀をして、先生を見送った。
バタン、と書斎の扉が閉まる。
先生の足音が遠のいたのを確認した瞬間、俺は椅子の背もたれにドサッと深くもたれかかり、大きくため息をついた。
「ふぅぅぅ……激しい残業(猫かぶり)だったぜ。真面目に授業を受けるフリをするのが、こんなに精神力を削るとは思わなかった……」
大人の知識があるからこそ、5歳の勉強が簡単すぎて逆に苦痛という、前世の有能さがもたらす贅沢な退屈。
しかし、この「授業を1ミリも退屈そうにせず、完璧な態度でこなし続ける5歳児」という姿が、のちにエリオット先生を通じて父親のカイゼンへと伝わり、さらなる「あの子の精神力は底が知れない」という過大評価を生む引き金になるのだが——中身おっさんの誠は、まだそのことに気づいていなかった。




