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第四話『父の勘違いと、おっさんのハイハイ』

キャリーの報告を受けた母リーゼは、その日の夜、さっそく夫であるカイゼンにそのことを打ち明けていた。

ムルターシュ侯爵家当主であり、王国でも屈指の魔導騎士として名高いカイゼン・フォン・ムルターシュは、書斎の椅子に深く腰掛け、眉間を揉んでいた。

「……生後7か月のアルが、魔力を操作した、だと?」

「ええ。キャリーの目が確かならば、間違いありませんわ。あの子、キャリーと目が合った瞬間に、慌てて魔力を隠して寝たふりをしたそうなの」

「ははは! まさか。いくら我が息子とはいえ、さすがにそれは親バカというものだ、リーゼ」

カイゼンは豪快に笑い飛ばした。

生後7か月といえば、ようやく腰が据わり、ハイハイを始めるかどうかの時期だ。魔力の概念どころか、自分の手足の動かし方すらおぼつかないのが普通である。

「だが、キャリーが嘘を吐くとも思えん。……よし、明日の昼、私が直々にアルの様子を見てみるとしよう」

「ええ、そうして頂戴。もし本当なら、我が家から歴史に名を残す大魔導師が生まれることになりますわ」

そんな親たちの密談など知る由もない俺は、その頃、自分の部屋のベッドで熟睡していた。

     *

翌日の午後。

俺はついに、肉体的な大進化を遂げていた。

(うおおおおお! 進んだ! 俺が進んだぞ!!)

そう、**「ハイハイ」**である。

今まではベッドの上で寝返りを打つのが関の山だったが、ついに四つん這いになって前進する術を身につけたのだ。

(これであのクソ広い部屋の中を自由に探索できるぜ! ずっと気になってたんだよな、あの本棚のあたり!)

生後7か月の赤ん坊のポテンシャルを舐めてもらっては困る。元・アラフォーサラリーマンの執念により、俺のハイハイの速度は一般的な赤ん坊の1.5倍(当社比)に達していた。


「……アル、調子はどうだ?」

突如、部屋の扉が開き、この家の家長であり俺の父親であるカイゼンが入ってきた。

いつ見ても彫刻のように整った顔立ちのイケメンだが、体つきはガッシリしていて、独特の威圧感がある。

(あ、親父殿。ちーっす。見てよこれ、俺ハイハイできるようになったんだぜ)

ドヤ顔で振り返る俺に対し、カイゼンは優しく微笑みながら近づき、俺を床からひょいと抱き上げた。

「おお、よく動くな。元気で何よりだ」

カイゼンは俺を抱っこしながら、さりげなく俺の体に自身の魔力を滑り込ませてきた。

魔導騎士である彼は、魔力の流れを感知するスペシャリストだ。もし俺が日常的に魔力を操作しているなら、体内の魔力経路に独特の『活性化の跡』が残っているはずだった。

(お? なんだ? 親父殿の体から、なんかこう、温かくてピリピリするものが流れてくるな……)

前世で40年間、あらゆる社内政治と上司の「ご機嫌伺い」をこなしてきた俺の**『社畜センサー』**が、ビンビンと警報を鳴らし始める。

(待て。これ、ただのスキンシップじゃないな? 昨日のメイドの件もある。……さては泳がせて偵察しに来たな!?)

ここで魔力を少しでも動かしたら一発アウトだ。赤ちゃんが「天才」として祭り上げられたら、自由なスローライフ(予定)が崩壊してしまう。

俺は一瞬で腹を括った。

(ふ、ふふん……。なめるなよ、こちとら社内監査を何度も切り抜けてきたプロの平社員だぞ。ここは完全なる『無能の証明』、つまり——**『ただの無邪気な赤ん坊のフリ』**だ!!)

「ば、ばぶぅ〜〜〜〜❤」

俺は両手をパタパタと振らせ、カイゼンの胸元に顔をすり寄せた。ついでに体内の魔力はお腹の奥底に完全に沈め、1ミリも動かさないように固定する。

「……む?」

カイゼンがわずかに目を見張った。

彼の探知魔術に引っかかったのは、完全なる『無色透明の、ただの赤ん坊の魔力』だった。コントロールされている気配もなければ、活性化している様子もない。

実は、この時のカイゼンは、別の意味で驚いていた。

(……うーむ。確かに魔力は感じるが、これは生後7ヶ月の赤ん坊が持つ、ごく平均的な、未成熟な魔力だ。流れも完全に乱れていて、とてもコントロールされているようには見えん)

カイゼンは、胸元でよだれを垂らしながら「ばぶぅ」と笑う我が子を見つめ、心の中で苦笑した。

(やはり、リーゼとキャリーの勘違いか。いくら我が息子とはいえ、生後7ヶ月で魔力を操作するなどあり得んからな。キャリーが部屋に入った時、たまたま室内の魔力だまりが動いたのを、アルの仕業だと見間違えたのだろう)

熟練の魔導騎士であるカイゼンからすれば、「赤ん坊が魔力を完璧に偽装して隠す」などという発想は、ハナから存在しない。

ゆえに、彼の目には**「ただの可愛い、普通の我が子」**にしか映らなかったのである。

(よし、完璧に隠し通した! 勝ったぞ、俺の勝ちだ!! 親父殿のあの拍子抜けした顔を見ろ。完全に騙されてやがるぜ!)

父親の脳内を探知して「納得した顔」を見た誠は、心の中で勝利のガッツポーズを決めていた。

「自分の偽装スキル(おっさんの寝たふり)は、世界最高峰の魔導騎士すら欺いた」と、盛大に勘違いした瞬間である。

「よしよし、アル。これからも元気に育ってくれよ」

(へへー、ありがと親父殿。オムツ替える前にベッドに戻してねー)

お互いに「自分の思惑通りだ」と完全に勘違いしたまま、笑顔で見つめ合う父と息子。

この日、父親を騙しきった(と思い込んだ)誠は、調子に乗って「これからはもっと大胆に魔力トレをしても大丈夫だな!」と、さらなる油断へと突き進んでいくのだった。


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