第三十一話『中間考査と、前世のマークシート大改革』
「なぜ、人は学ばないんだ……。同じ過ちを何度も、何度も繰り返し、その度に労働基準法の限界に挑もうとする。これはもはや、組織の構造的欠陥という名の、人類に対する呪いではないのか?」
王立アカデミーの中間考査(テスト期間)の前日。
俺、アルベルト・フォン・ムルターシュは、魔導管理委員会の部室で、机の上に山積みにされた「魔術理論」の問題用紙と、その隣で死に絶えた魚のような目をしている教師たちを見つめていた。
「アルベルト最高顧問……頼む、助けてくれ……」
初老の魔術理論教師が、震える手で俺の袖を掴む。
「我が校の中間考査は、記述式で合計十枚に及ぶ大論文形式。全校生徒数百人分の答案を、我々教師陣が不眠不休で魔術的整合性をチェックしながら丸付けするのだ。毎年、この期間だけで三人の教師が過労で倒れ、一人は光の魔術を失って失踪する……。今年ももう、我が命はここまでだ……」
「……光の魔術を失って失踪って、それただのメンタルブレイクによる夜逃げですよね?」
隣で冷ややかにツッコミを入れるのは、我が右腕にして、前回の「スパイ王女洗脳事件」以来、なぜか『世界唯一の精神洗脳無効化ヒーラー』の肩書が裏で定着しつつあるマルクだ。
マルクは眼鏡をピシッと直すと、俺に書類を差し出してきた。
「アルベルト。教師たちの過労死はともかく、僕たち魔導管理委員会も、その採点書類の監査と最終承認のせいで、ここ一週間は【確定で毎日4時間の残業】が組まれている。これは僕としても看過できない『ブラック案件』だ」
「毎日4時間の残業だと……っ!?」
俺はガタッと椅子を蹴立てて立ち上がった。
定時退社を至高の理念とする俺にとって、そんな組織ぐるみのデスマーチに巻き込まれるなど、前世のブラック企業時代を思い出して吐き気がする。絶対に嫌だ。俺は今日定時に帰って、宿舎で新しく買ったハーブティーを飲むと決めているんだ。
「よし、わかった。ならば俺が、前世の最終兵器――【テスト採点業務のDX化マニュアル】をここに執行する!」
「でぃーえっくす……? またお前の脳内バグ(前世の知識)か?」
不審がるマルクを無視し、俺は引き出しから、あらかじめ用意しておいた『特殊な魔導羊皮紙』と『一本の炭素ペン』を取り出した。
「いいか、マルク。そもそも『記述式で十枚の論文』なんて書かせるから、採点に時間がかかるんだ。採点業務の本質は【正解か不正解かの二者択一、あるいは選択肢の照合】。つまり、あらかじめ用意された選択肢の中から、正しいものの番号のマスを『炭素ペンで塗りつぶさせる』だけでいい」
俺が提示したのは、前世の受験生なら誰もが親の顔より見た、あの**【マークシート用紙】**だった。
「そして、この用紙の裏には、薄く『光を遮断する魔導インク』で正解の座標が刻まれている。テスト終了後、この【自動採点魔導具(前世で言うところの光学式文字読取装置:OMR)】に束の間の答案をガサッと放り込めば、光の透過率によって、一瞬で数百人分の採点と点数集計が完了する。……フッ、これぞ【マークシート方式】だ!」
「……おい、ちょっと待て」
マルクは俺がサラサラと描いたマークシートの設計図を見て、冷や汗を流し始めた。
「選択肢を塗りつぶすだけ……? 記述を一切させないテストだと? そんなもので、生徒たちの『複雑な魔術式への理解度』が測れるわけがないだろ! 魔術は、その詠唱のプロセスや精神の構築こそが命なんだぞ!」
「甘いなマルク。記述式は『部分点』とかいう教師の主観が入るから、採点基準のブレでさらに残業が増えるんだ。マークシートは、合っていれば満点、間違っていればゼロ点。一切の情情酌量を挟まない【完全なる実力(効率)主義】。これなら、教師の採点残業時間は『ゼロ』。テスト終了からわずか5分で全員の順位が壁に張り出されるぞ」
俺の目的はただ一つ。「教師も生徒も、テスト期間をさっさと定時で終わらせて帰る」。それだけだ。
しかし、この「サボるためのシステム」が、周囲の超エリートたちにとって、どれほどの【驚天動地のパラダイムシフト】になるか、この時のおっさん誠は全く理解していなかった。
翌日。中間考査の当日。
試験会場に配られた「謎の、四角いマスがたくさん並んだ紙」と「真っ黒なペン」を前に、全校生徒は騒然としていた。
「な、何よこれ……!? 今回の魔術理論のテスト、文字を書く欄が一切ないわ!?」
天才肌の狂信公爵令嬢、エレノアは、目の前のマークシート用紙を見つめて美貌を戦慄かせていた。
「問題冊子を開いたら……『問一:古代魔術式の起動に必要な魔力密度として適切なものを、以下の四つから選べ』……。そして、その番号のマスを黒く塗りつぶせ、ですって……!?」
エレノアの隣で、暗殺者一族の生き残りであるカレンもまた、炭素ペンを握りしめて全身を震わせていた。
(……このテスト、恐ろしい。記述式なら、自分の得意な魔術理論を長々と書いて、言葉の綾で部分点を狙う誤魔化しが効いた。だけど、この『まーくしーと』は違う……。正解か、不正解か。一ミリの妥協も許されない、命のやり取り(暗殺)と同じ【絶対の二者択一】。……アルベルト様は、生ぬるい言葉での言い訳を一切許さない、本物の『深淵の智慧』を試されている……!)
生徒たちがマークシートという名の「冷徹な絶対システム」に畏怖する中、試験終了の鐘が鳴り響いた。
「はーい、終了。答案を回収してくれ」
教壇に立つ俺は、あくびを噛み殺しながら、回収された数百枚のマークシートの束を受け取った。
いつもなら、ここから教師たちが血反吐を吐く一週間の幕開けだが、俺はそれを、教壇に設置した即席の自動採点魔導具(木箱に光の魔石を仕込んだだけのもの)の中に、ガサッと一括で投入した。
シュルシュルシュルシュル――ピコン!
投入された紙が魔導具を通り抜けるたびに、魔導具の水晶に「エレノア:100点」「カレン:98点」「一般生徒A:12点」と、凄まじい速度で点数が弾き出され、自動で順位順に羊皮紙に印字されていく。
時間にして、わずか3分。
全校生徒数百人分の中間考査の採点と、成績順位表の作成が、完全に完了した。
「よし、採点完了。じゃあ教師の皆さん、これ壁に貼っておいてください。俺は定時なので帰ります」
「……は?」
職員室の入り口で、絶望的な採点残業を覚悟して胃薬を飲んでいた教師陣、そして通りかかった学園長が、張り出された完璧な成績表を見て、完全に凝固した。
「な……ななな、何ということだ……!!」
学園長が、心臓を押さえて壁にすがりつく。
「魔術理論の採点といえば、国家魔導士の試験であっても、専門の審査官が数十人がかりで一ヶ月を要する超国家重要業務……! それを、アルベルト最高顧問は、わずか数分の『光の透過読取』だけで、寸分の狂いもなく処理してしまったというのか……!?」
「それだけではないぞ学園長!」
先ほどの魔術理論教師が、涙を流して叫んだ。
「この『マークシート』というシステム……! 記述式と違い、採点者の『忖度』や『不正な加点』が物理的に1ミリも介入できない、完全無欠の【絶対公平な魔導評価システム】だ! これを国家試験に導入すれば、貴族の不正や裏口入学は完全に撲滅される……! 彼は、世界の教育と国家の根幹を、この紙切れ一枚で大改革してしまったんだ……!!」
職員室が「アルベルト様万歳!」「これぞ神の自動化!」という狂乱の拍手に包まれる中、廊下でそれを聞いていたマルクだけが、一人で頭を抱えていた。
「……アイツ、ただ自分が早く帰ってハーブティー飲みたかっただけなのに……。なんでサボるために作った『手抜き採点システム』が、国家の不正を撲滅する『世紀の超発明』になってるんだよ……! おかしいだろ、この学園の評価基準!!」
マルクの魂のツッコミ(防壁)も、もはや周囲の「アルベルト信仰」の巨大な濁流にかき消されていく。
その日の夕方。
すっかり洗脳が解け、今では「有能な新米秘書(ただの真面目な部下)」として魔導管理委員会に居着いている隣国の第一王女・ルクレツィアが、採点結果の羊皮紙を手に、アルベルトのデスクへとやってきた。
彼女の紫の瞳は、畏怖と深い尊敬の色で満ちている。
「アルベルト様……私、本当に貴方に敗北いたしましたわ」
ルクレツィアは深く頭を下げた。
「私の『絶対魅了』の国家転覆計画など、貴方のこの『マークシート大改革』に比べれば、あまりにも児戯に等しいものでした。貴方は、武力も洗脳も使わず、ただ『効率』という名の圧倒的な合理性で、学園の、いえ、この国の全教師と生徒の心を完全に掌握(ホワイト化)してしまわれた……。これこそが、本物の『王の統治』ですわ……!」
(いや、だから、俺はただ残業が嫌だっただけで――)
俺が言い訳をしようとした瞬間、部室の扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは、目を輝かせたエレノアと、背後に控える国家憲兵隊の姿だった。
「アルベルト様! 朗報ですわ! 貴方の開発された『まーくしーと自動採点システム』の噂を聞きつけた国王陛下が、『これは我が国の魔導省の全業務を効率化する、神の国家予算削減ツールである!』と大激賞され、今すぐアルベルト様を【国家最高効率化全権大臣】に任命したいと、特使が門前に到着しておりますわ!」
(こっ、国家最高効率化全権大臣ぃぃぃ!!?? それ、名前からして絶対に一番忙しくて残業が多いやつじゃねえか!!!)
「……プッ」
隣で、マルクが今日一番の、最高に意地の悪い、そして相棒としての信頼に満ちた笑顔を浮かべた。
「よかったな、アルベルト最高顧問。お前の『手抜き(DX)』が評価されて、ついに【国家規模の特大残業案件】が降ってきたぞ。さぁ、大臣。有給休暇の申請書を破り捨てて、今すぐ国王陛下のもとへ這っていこうか」
「嫌だぁぁぁ! 俺は絶対に大臣なんてやらないぞ! マルク、今すぐ『アルベルトはマークシートのマークミスにより、存在自体が消失しました』って書類を作って提出してくれぇぇ!!」
おっさん誠の、サボるための「前世のオフィス知識」が世界を自動化するたびに、なぜか周囲の勘違いのハードルは国家レベルへと跳ね上がっていく。
定時退社を求める誠と、それを「残業」という名の現実で引き戻すマルクの、世界を揺るがすコメディは、さらに加速していくのだった。
✍️ 次回予告(第三十二話)
国王からの「大臣就任要請」をのらりくらりと拒絶するため、誠が次に繰り出した手抜きは【リモートワーク(遠隔魔導勤務)】。
「わざわざ王都の城まで行くの面倒なんで、この『遠隔通信の魔石(前世のZoom)』で、画面越しに会議しますね!」
しかし、画面の背景に映り込んだ誠の「何気ない部屋の配置(風水魔術の極致)」と、誠がパジャマ姿で放った適当な一言が、王都の重鎮たちに「これは王国の未来を占う、神託のテレワークである!」と超解釈され――!?




