第三十話『超VIPな留学生と、おっさんの取引先接待マニュアル』
「嫌だ。俺は絶対にその『おもてなし』の総責任者なんてやらないぞ。マルク、学園長に『アルベルトは急病により、有給休暇の延長に入りました』って書類を今すぐ提出してくれ」
放課後、魔導管理委員会の部室。
有給休暇(という名の軟禁生活)から明けたばかりの俺は、デスクに突っ伏して本気で拒絶の声をあげていた。俺の目の前には、学園長から直々に回ってきた、これ以上ないほど豪華な装飾が施された特命指令書が置かれている。
「往生際が悪いぞ、アルベルト最高顧問。もうあきらめて業務を受け入れろ」
マルクは眼鏡の位置をピシッと直すと、ため息交じりに書類をトントンと揃えた。
「隣国の第一王女であるルクレツィア様が、我が校に特例の留学生として来られるんだ。その【おもてなし(安全管理)】の総責任者に、国王公認の国家顧問であるお前が指名されるのは、組織の力学として当然の流れだろ」
「マルク……お前には分からないんだ。そのルクレツィア王女の噂を聞いたか? 『彼女の微笑みを見た者は、誰もが彼女の願いを叶えたくなる』だの、『彼女の言葉は、すべての者を従わせる高貴な魅力に満ちている』だの……」
俺は冷や汗をダラダラと流しながら、前世の社畜時代の記憶を呼び覚ましていた。
「これ、前世で言うところの『笑顔でとんでもない無理難題をふっかけてきて、こっちのキャパシティを限界まで潰してくる、一番タチの悪い超大口のクライアント』と全く同じタイプだ! そんなVIPの接待なんて真面目にやったら、俺たちの残業時間が過労死ラインを突破するに決まっている!」
「……お前、隣国の王女様を『タチの悪いクライアント』呼ばわりするなよ」
マルクはいつものように呆れ顔で特製胃薬の瓶を差し出してきたが、俺は本気だった。
あんなVIPに関わったら、俺の「目立たず平穏に定時退社する」という夢が根底から崩壊する。
「だからこそ、俺は前世の最終奥義【のらりくらりと躱す、手抜き接待マニュアル】を執行する。相手の要求にはすべて笑顔で『前向きに検討します(何もしない)』と答え、極力接触回数を減らして、相手が勝手に満足して帰るのを待つんだ!」
マルクは眼鏡のブリッジを指で押し上げ、冷ややかに言い放った。
「はいはい、分かったよ。要するに、ただの『全力の手抜き(サボり)』だな。付き合う僕の身にもなってほしいよ」
翌日。学園の正面広場には、全校生徒と教師陣がズラリと並び、隣国からの豪華な馬車を迎えていた。
馬車の扉が開き、姿を現したのは、燃えるような赤い髪と、すべてを見下ろすような妖艶な紫の瞳を持った美少女――ルクレツィア・フォン・サルバトール第一王女だった。
彼女が格式高く一歩を踏み出し、優雅に微笑んだその瞬間。
周囲の空気が、ピシッと奇妙に歪んだ。
(おや……?)と、俺は前世のビジネス現場で培った「胡散臭い雰囲気を感じ取るレーダー」で異変を察知した。
ルクレツィア王女が「皆様、温かい歓迎をありがとう」と鈴を転がすような声で囁くと、周囲の教師や生徒たちの目が、一瞬でトロンと濁ったのだ。
学園長までもが「おお……なんと素晴らしいお方だ……学園のすべてを王女のために捧げよう……」と呟き始めている。
エレノアやカレンすらも、「王女様のために、完璧な規律を維持しなければ……」「……王女様の言うことは、絶対」と、いつもの狂信的な矛先をルクレツィアに変えようとしていた。
実は、このルクレツィア王女の正体は、他国を内部から掌握するために送り込まれた、精神洗脳呪術の天才だった。
彼女の放つ固有魔術『絶対魅了』は、彼女の言葉や仕草を見た者の精神を無自覚に書き換え、自分を神の如く崇めさせ、過労死するまで忠誠を誓わせるという、世界最高峰の禁忌の精神魔法(本物の世界の危機)だったのだ。
ルクレツィアは、トロンとした目を向ける王立アカデミーの面々を見下し、内心で冷酷に嘲笑っていた。
(ククク……安いものね。王立アカデミーの秀才どもなど、私の『絶対魅了』にかかれば一瞬で私の奴隷(ブラック労働者)よ。これでこの学園は、私の手足となって動く隣国の傀儡と化すわ。……まずは、噂に聞く国家顧問の神童とやらを、真っ先に私の忠実な犬にして差し上げましょう)
ルクレツィアは妖艶な笑みを浮かべ、俺とマルクの待つ特設テントへと歩み寄ってきた。
「貴方がアルベルト・フォン・ムルターシュ様ね? 噂はかねがね伺っておりますわ。私、この学園での滞在をとても楽しみにしておりますの。……さぁ、私のために、貴方のその素晴らしい智慧と力を、全て捧げてくださるかしら?」
彼女は俺の目をじっと見つめ、最大出力の『絶対魅了』の波動を注ぎ込んできた。
ピンク色の禍々しい魔力の嵐が、俺とマルクの精神を目掛けて直撃する。
普通なら、この瞬間に精神を破壊され、彼女の操り人形になるはずだった。
しかし――。
(うわぁ……。やっぱり来たよ、笑顔で『君の時間を全部僕に頂戴?』って言ってくる激重メンヘラクライアントのテンプレ台詞だ……。絶対に目を合わせちゃダメなやつだこれ)
俺は前世の「厄介な取引先からの無茶振りをスルーする営業スマイル」を完璧に発動させ、完全に意識のシャッターを降ろしていた。要するに、ただの【業務時間外の聞き流し(完全スルー)】である。
ルクレツィアは、俺の目が一切濁らず、むしろ「早く帰りたい」という虚無の光を放っているのを見て、驚愕のあまりハッと目を見開いた。
(な、何ですって……!? 私の最大出力の『絶対魅了』が、完全に無効化された……!? この子供、精神の防御壁が分厚すぎるわ! まるで、人生のあらゆる絶望と理不尽を経験し尽くして、あらゆる言葉が響かなくなった『鉄の心(おっさんの防衛本能)』を持っているかのようだわ……!)
焦ったルクレツィアは、今度は隣に立つマルクへと狙いを定めた。
「そ、そちらのブライトナー様も……私を歓迎してくださるわね? 私の願いを、聞いてくださるかしら?」
より鋭く、確実な精神破壊の呪術がマルクの脳内へと突き刺さる。
ルクレツィアは「勝った!」と確信した。いくらアルベルトが怪物でも、隣の平民上がりの側近なら、一瞬で精神を書き換えられるはずだと。
しかし。
呪術の波動を真っ正面から浴びたマルクは、目が濁るどころか、眼鏡の位置をピシッと厳しく直すと――深ーーいため息をついた。
「――あの、すみません」
マルクは、この世の終わりを見るような冷ややかな目で、ルクレツィアを真っ正面から見据えた。
「王女様だか何だか知りませんけど、そういう『思わせぶりな態度で相手のスケジュールを精神的に束縛しようとする無駄なアプローチ』、僕には一切通用しないのでやめてもらえますか」
「な……ななな、何ですってぇぇぇ!!!???」
ルクレツィアの絶叫がテント内に響き渡った。
世界最高峰の精神洗脳魔法が、ただの「一般の生徒」であるはずのマルクによって、紙切れのようにパキィンと弾き返されたのだ。
「ば、バカな……! なぜ!? なぜ私の『絶対魅了』が、貴方のようなただの側近に効かないの!? 貴方の精神の構造はどうなっているのよ!!」
ルクレツィアがパニックを起こして問い詰める。
マルクは、隣で相変わらず「早く定時にならないかなぁ」と時計を見つめている俺を指差し、死んだような目で語り始めた。
「なぜって言われてもね……。僕は毎日、この隣にいる『世界一諦めの悪いサボり魔』が、残業から逃れるために繰り出す【ありとあらゆる言い訳、嘘、ハッタリ、手抜きマニュアル】を、朝から晩まで仕分ける仕事をさせられてるんだよ」
マルクの超ストレートな「日常の苦労(格下げ)」がテント内に響き渡る。
「こいつがサボるために敷く『脳内のバグ(言い訳)』に比べたら、王女様、貴方の放ったその程度の『洗脳魔法』なんて、構成が甘すぎてツッコミどころしか無いんだよね。こいつの理不尽な手抜きに毎日ツッコミを入れ続けてる僕からしたら、貴方の洗脳なんて、ただの『出来の悪い新人の業務報告』レベルなんだ。僕の鍛え上げられた精神耐性を舐めないでほしい」
マルクの容赦ない「現実引き戻しツッコミ」の前に、ルクレツィアはガタガタと膝を震わせ、その場に崩れ落ちた。
(な、何という事……! このアルベルトとかいう神童は、ただ自分自身が最強なだけでなく……毎日その『異常な思考(サボりの執念)』を側近に浴びせることで、側近の精神耐性すらも世界最高峰(国家元首クラス)にまで引き上げていたというの……!? 側近のツッコミ一つで私の禁忌魔法が論破されるなんて、この学園、トップだけでなく組織全体がバグっているわ……!!)
「……素晴らしいですわ、アルベルト! マルク!」
背後で、ようやく洗脳の呪縛から解けたエレノアが、涙を流して拍手を送る。
「アルベルトの『手抜き接待』の真意は、マルクのツッコミによる『精神の正常化結界』を発動させるための高度な心理戦だったのですわね!」
「……アルベルト、やっぱり神様。……マルクも、ツッコミで世界を救う防壁になった。……しびれる」
カレンもまた、狂信的な眼差しを俺たちに向けている。
(違う! 俺がただ無茶振りをスルーしたせいで、マルクの普段のストレス(ツッコミ)が爆発しただけだ!!)
周囲からの拍手喝采の中、俺とマルクは静かに特製胃薬の瓶を掲げ、カチンと合わせ(乾杯し)た。
前世の「無茶振りクライアントの聞き流し」を実践した結果、他国のスパイ王女の最強洗脳を無自覚に完封し、さらに相棒のマルクを『世界唯一の精神洗脳無効化ヒーラー(ツッコミ役)』へと覚醒させてしまった誠。
他国からの最大の脅威すらも「出来の悪い新人の業務報告」としてコストカットし、おっさん誠の「ただサボりたいだけの学園支配」は、周囲の予想を斜め上に裏切りながら、さらに強固なホワイト(手抜き)の絶対領域へと進化していくのだった。
✍️ 次回予告(第三十一話)
マルクのツッコミによって最強の洗脳魔法を破られ、完全に自信を喪失して「有能な新米秘書(ただの真面目な部下)」のようになってしまったルクレツィア王女。
しかし、誠たちのホワイト改革は止まらない。
次回、学園の最大のイベントである【中間考査(テスト期間)】が到来する。
「テストの採点と問題作成? そんな面倒な残業、前世の『自動化ツール(マークシート方式)』を導入して一瞬で終わらせます!」
おっさん誠、世界の歴史上初めて「マークシートと鉛筆」を異世界に持ち込み、学園の採点業務を大改革しようとするが、これがまたしても『国家の魔導試験の概念を覆す超発明』として大騒ぎになり――!?




