第十八話『放課後のサボり計画と、最初の防衛戦』
王立魔導アカデミー中等部での記念すべき初日のカリキュラムが、すべて終了した。
鬼担任のコーデリア先生が「今日の授業はここまでだ。各自、寮に戻って復習に励むように」と言い残して教室を出て行った瞬間、俺は心の中で盛大なガッツポーズを決めた。
(よし、定時だ! 待ちに待った完全定時退社(放課後)がやってきたぞ!)
前世の社畜時代、定時チャイムが鳴った瞬間にPCをシャットダウンし、誰よりも早くオフィスを脱出していたあの情熱が、十歳の身体で今よみがえる。
全寮制の男子寮の自室に戻れば、そこは誰の目もない天国だ。ベッドにダイブして、一日中ダラダラと読書をして過ごす。これこそが俺の求めていたスローライフである。
「おい、アルベルト。何をご満悦な顔をしてるんだ。鼻歌が漏れてるぞ」
隣の席で、真面目に教科書を鞄に片付けていたマルクが呆れたように声をかけてきた。
「いやぁ、マルク。ついに自由の時間(放課後)だからな。俺は一秒でも早く帰って、ベッドの住人になる予定さ。じゃあな、また明日――」
「待ちなさい、アルベルト!」
机から立ち上がろうとした俺の前に、お馴染みの金髪縦ロールが華麗なステップで立ちはだかった。エレノアだ。彼女はフンスと豊満な(十歳なりに主張し始めた)胸を張り、俺を指差した。
「初日の授業を終えて、改めて実感しましたわ。やはり貴方は私のライバルにふさわしい男。……というわけで、これから二人で図書室へ行き、今日の魔導史の講義について徹底的に議論(勉強会)を交わしますわよ! 逃げることは許しませんわ!」
(げっ……! 出たな、放課後のサービス残業(強制勉強会)の勧誘……!)
俺が引き攣った笑顔を浮かべていると、今度は俺の背後から、音もなく黒髪の美少女がすり寄ってきた。カレンである。彼女は俺の制服の袖を、きゅっと小さな手で掴んだ。
「……アルベルト。図書室、退屈。……私と、第二演習場に行く。夜まで、実戦形式で、剣術の特訓。……体を重ねる(※手合わせの意)」
「言い方を考えなさいカレン!? なんですの体を重ねるって! 下品ですわよ!」
「……ただの、近接戦闘の表現。エレノア、心が汚れてる」
「なっ……!?」
(どっちも行きたくねえええ!!! なんで放課後まで、こんな美少女たちと残業しなきゃならんのだ! 俺は一秒でも早く帰って寝たいんだよ!)
ここで下手に「サボりたいから嫌だ」と言うと、エレノアのプライドが爆発するか、カレンが「……私が物足りない?」と物理的に襲いかかってくるリスクがある。
前世のビジネススキルを総動員して、角を立てずにこのクソ重い案件を「お断り(リスケ)」しなければならない。
俺はフッと目を伏せ、いかにも『国家の重責を背負ったエリートビジネスマン』のような、重々しいトーンで口を開いた。
「――すまない、二人とも。今日の放課後は、先客とのアポイントメント(先約)が入っているんだ」
「先約……?」
エレノアが眉をひそめる。
「ああ。実は……入学前に、母のリーゼから『学園に入ったら、初日の放課後には必ず、ムルターシュ家が懇意にしている特別な窓口(管理人)へ挨拶に顔を出しなさい』と言われていてね。これを怠ると、実家のビジネス(侯爵家のメンツ)に関わるんだ。だから、今日のところは失礼させてもらうよ」
(よし! 嘘は言っていない! 管理人室に寮の鍵を返しに(通り過ぎに)行くのは事実だし、お母様がうるさいのも事実だ!)
「……なるほど。侯爵家としての公式な義務ということですのね」
エレノアは納得したように深く頷いた。
「そこまで言うのなら、公爵家の令嬢として邪魔をするわけにはいきませんわ。……ですが、明日は逃がしませんわよ!」
「……アルベルト、家の用事なら、仕方ない。……明日、絶対に、演習場」
カレンも名残惜しそうに袖を離してくれた。
「ありがとう、二人とも。それじゃあ、また明日」
俺は完璧な営業スマイルを浮かべ、二人が諦めたのを見届けると、流れるような動作で教室を後にした。
そのまま、早歩きで廊下を渡り、男子寮へと向かう。
(勝った……! 完璧なリスクマネジメントだ。実家の名前を出されたら、さすがの彼女たちも引き下がるしかない。これで俺の完全定時退社は守られたぞ!)
勝利を確信し、男子寮の玄関をくぐろうとした、その時。
「おい、待てよ。素晴らしいタイムマネジメント(言い訳)だったな、アルベルト」
後ろから、トコトコとついてきていたマルクが、眼鏡の位置を直しながら呆れたように声をかけてきた。
「あ、マルク。お前も寮に帰るところか?」
「ああ。僕も同じ第一寮だからね。それにしても……驚いたよ。まさか、あのヴァルハイト公爵令嬢と、レンブラント辺境伯家の神童からの誘いを、お母さんの名前を盾にして完璧にバックれるなんてさ。普通の十歳なら、あんな美少女二人に迫られたら鼻の下を伸ばしてついていくところだぞ」
マルクは「やれやれ」と肩をすくめた。
「でも、あいつら、お前の言葉を完全に『超解釈』してたぞ」
「え? 超解釈って……何を?」
俺が首を傾げると、マルクは男子寮のロビーのソファにドカッと腰掛け、可哀想なものを見るような目で俺を見上げた。
「お前が『母から言われた特別な窓口への挨拶』って言っただろ? あいつら、それを**『ムルターシュ侯爵家が学園内に配備している、国家規模の秘密の隠密組織(情報部)との定期連絡』**だと勘違いしたんだよ」
「……は???」
「エレノアなんて、お前が去った後、『さすがアルベルト、入学初日からすでに裏の任務に動いているのね……! 私も負けていられませんわ!』って目を輝かせてたし、カレンはカレンで『……アルベルト、闇の仕事。……かっこいい』って呟いてたぞ」
(なんでそうなるんだよおおお!!! ただの寮の管理人室のことだよ!!!)
俺はロビーのど真ん中で頭を抱えた。
ただサボりたくて、角が立たないように実家の用事だと言い訳しただけなのに、なぜか「入学初日から裏で国家任務をこなす秘密エージェント」のような属性が勝手に追加されてしまっている。
「しかも」と、マルクはさらに追い打ちをかけるように不敵な笑みを浮かべた。
「お前が『先客とのアポイントメント』って言ったせいで、クラスの他の連中も『アルベルト様は、すでに上級貴族たちと放課後に秘密の会合を開いている。人脈の広さが桁違いだ』って噂し始めてるぞ。明日から、お前への周囲の目線、さらにヤバくなると思うよ」
(人脈なんてねえよ!! 今日新しくできた知り合いはお前だけだよ!!!)
前世の「無難なお断りメール(言い訳)」の技術を応用した結果、周囲のハードルをさらに成層圏まで爆上げしてしまった誠。
「まぁ、何だ。お前がただ部屋でダラダラしたいだけのサボり魔だってことは、僕が世界で唯一保証してやるから、元気を出せよ。……はい、これ」
マルクが、制服のポケットから小さな小瓶を差し出してきた。
「これ、何?」
「我がブライトナー伯爵家特製の胃薬。……お前、明日からも相当胃が痛くなりそうだからさ。同僚(相棒)としての、せめてもの情けだ」
「マルク……! お前、本当にいい奴だな……!!」
俺は涙目でマルクから胃薬を受け取り、ガシッとその手を握りしめた。
異世界にきて五年、ついに俺は、この理不尽な超解釈の世界を共に生き抜く、最高の『同僚(悪友)』を手に入れたのだ。
周囲からの評価は「裏の任務をこなす冷徹な天才」、しかし実態は「胃薬を分け合う十歳のサボり魔おっさん二人組」。
賑やかな男子寮のロビーで、誠の(望まぬ)波乱に満ちた学園生活の初日は、こうして静かに、そして激しく更けていくのだった。




