第十六話『入学式と、絶対に目立ちたくない首席挨拶』
特待生寮のフラグ過密フロアで、一睡もできないまま迎えた王立魔導アカデミー中等部の入学式当日。
朝、部屋のドアを開けた瞬間に、向かいの部屋から完全な戦闘態勢(木剣携帯)で出てきたカレンと、廊下の奥から「お寝坊さんですわね!」と華麗に登場したエレノアに挟まれ、俺のHPは式典が始まる前からすでに残りわずかとなっていた。
今、俺が座らされているのは、新入生で埋め尽くされた大講堂の、一番最前列のど真ん中。
背後からは、数百人の新入生たちの視線が痛いほど突き刺さってくる。
なぜなら、例の「最高難易度の試験で、なぜか一人だけ高得点を叩き出してしまった」栄えある中等部首席合格者だからだ。
(最悪だ……。前世の社畜時代、何百人もの社員や役員を前にした新規プロジェクトのプレゼンですら、前日から胃薬が手放せなかったっていうのに。なんで十歳の子どもの身体になってまで、こんな大舞台のスポットライトを浴びなきゃならんのだ。これじゃ完全に休日出勤の気分だよ……)
壇上では、きらびやかな法衣をまとったお偉い学園長が、マイク型の魔導具を前に「我が校の歴史は、建国の祖が〜」と、前世の校長先生と全く同じレベルの退屈な長話を繰り広げている。
いつもなら「あー、早く定時(終わり)にならないかな。今日の晩御飯は何だろうな」と完全に脳をシャットダウンして聞き流すところだが、今日ばかりはそうもいかない。次が俺の番だからだ。
「――続きまして、新入生総代挨拶。中等部首席合格、アルベルト・フォン・ムルターシュ」
ついに、一番聞きたくなかった名前が講堂内に響き渡った。
同時に、大講堂を揺るがすほどの激しい拍手が巻き起こる。
後ろの席からは、エレノアの「さあ、私の認めた男の意気込み、見せてご覧なさい!」というギラギラした熱い視線と、カレンの「……アルベルト、がんばって」という、無表情ながらもじっと見つめる鋭い視線が背中に刺さる。二人の期待値のハードルが、天を突き抜けるほど高い。
(落ち着け、俺。まだ慌てるような時間じゃない。前世のビジネスマナーを思い出せ。こういう公の場での挨拶を『無難』に終わらせるコツは、ただ一つ。とにかく印象に残らない、誰の記憶にも留まらない、コピペのようなテンプレート(定型文)の挨拶に終始することだ。下手にオリジナリティを出そうとするから失敗するんだ。定時退社(降壇)を目指して、淡々と処理するぞ)
俺は心の中で自分を落ち着かせ、トコトコと小さな歩幅で壇上への階段を上がった。
壇上に立つと、改めて数百人の新入生、そして壁際にずらりと並ぶ教職員たちの顔が見渡せる。
ゴクリと生唾を飲み込み、俺はあらかじめ脳内でコピペしておいた「前世の退屈な式典の挨拶集」の再生ボタンを押した。
口を開く。声のトーンは、あえて十歳児らしい元気の良さやハツラツさを完全に消し去った。前世で、やる気のないベテラン平社員が朝礼で業務連絡を話すような、あの「抑揚のない、平坦な声」だ。目も、あえて焦点を少しぼかし、「死んだ魚の目」を意識する。
「新入生を代表いたしまして、一言ご挨拶申し上げます。うららかな春の光が降り注ぐ本日、私たち新入生は、歴史と伝統ある王立魔導アカデミーの門をくぐることができ、身の引き締まる思いです」
よし、出だしは完璧だ。最高につまらない、これぞ教科書通りのテンプレート。
周囲の大人たちが「おや……?」という顔で見つめてくるが、俺は構わずに脳内コピペを淡々と読み上げ続けた。
「私たちが今日ここに立つことができるのは、偏に、これまで温かく育んでくださった諸先輩方、ならびに熱心にご指導を重ねてくださる先生方のおかげであり、深く感謝を申し上げます。今後は、本校の輝かしい伝統に泥を塗らぬよう、学問と魔導の心理を追究し、社会に貢献できる人材となるべく、日々精進していく所存です。未熟な私たちではございますが、先生方におかれましては、今後とも変わらぬご指導ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。――中等部一年、アルベルト・フォン・ムルターシュ」
よし、終わった!
時間にしてジャスト三分。過不足なし。ユーモアもなければ熱意もない、どこかの役所が作った書類のような、100点満点中の「徹底された50点」のクオリティ。これなら誰も俺に余計な期待を抱かないはずだ。
俺は心の中で小さくガッツポーズをしながら、完璧なお辞儀をし、流れるようなスピードで壇上を降りた。
……しかし。
大講堂は、なぜか水を打ったように静まり返っていた。
パラパラという拍手すら起きない。全員が口を半開きにしたまま、彫刻のように固まって俺を見つめている。
(……え? なんで? 完璧なテンプレート挨拶だぞ? もしかして、この世界には『うららかな春の光』とかいう概念がなかったのか? それとも何か致命的なビジネスマナー違反をやらかしたか……?)
あまりの静寂に俺が冷や汗を流しそうになった、その一拍後。
地鳴りのような、凄まじい拍手と歓声が、大講堂の天井を突き破らんばかりに巻き起こった。
「す、素晴らしい……! なんという完成された演説だ……!!」
「聞いたか? 十歳児特有の、自分が首席だからと驕り高ぶるような浮ついた気持ちが一切ない。まるで、数々の修羅場をくぐり抜けてきた老練な政治家のような、あの落ち着きと冷徹な眼光……!」
「『社会に貢献できる人材となるべく、精進する』だと!? 自分が天才であることを鼻にかけず、すでに己の力を国家のために使う未来を見据えているというのか……。なんて恐ろしい自覚だ……!」
(違う! 前世のビジネス用語をそのままこの世界の言葉に直訳しただけだ!! 誰が国家の歯車になるって言ったよ!?)
見れば、教職員の席では、年配の魔導師たちがハンカチで涙を拭いながら「ムルターシュ侯爵家に、とんでもない傑物が生まれたな……」と深く頷き合っている。学園長にいたっては、我が子を見るような慈愛の目で俺に拍手を送っていた。
トボトコと最前列の席に戻ると、隣に座るエレノアが、悔しそうにドレスの裾をギュッと握りしめながら、顔を真っ赤にしていた。
「な、何ですのあの完璧な挨拶は……! 1ミリの無駄な感情も削ぎ落とした、あまりにも無駄のない演説。……ふん、私を焦らせるために、あえてあんな大物感を演出してみせましたのね? でも、私は負けませんわよ!」
「……アルベルト。あの冷たい目、とても素敵だった。……さすが、私の婚約者(仮)。無駄のない言葉選び、私も見習う」
反対側の席のカレンが、いつもより心なしか琥珀色の瞳を潤ませて、熱い吐息を漏らしながら俺の手をそっと握ってきた。
(だから違うって!! 熱意がなさすぎて死んだ目になってただけだし、文章を考えるのが面倒だったからコピペしただけだって!!)
前世の「やる気のないコピペ挨拶(超コストカット)」が、異世界のエリートたちにとっては「一切の油断も隙もない、冷徹なる天才の決意表明」としてウルトラ超解釈されてしまった誠。
入学初日にして、新入生と教職員一同のハードルを自ら爆上げしてしまった十歳のおっさんは、鳴り止まない拍手とヒロイン二人からの熱い視線の中で、静かに胃を押さえて天を仰ぐのだった。




