第十二話『静かなる襲撃者と、絶対に動きたくない昼下がり』
第十二話:静かなる襲撃者と、絶対に動きたくない昼下がり
エレノアが嵐のように去っていった数日後。
俺は、激しい「残業」を終えたサラリーマンのような疲労感を抱えながら、自室のソファに横たわっていた。
(ふぅ……。家庭教師の猫かぶり、裏庭でのコソコソ自主トレ、そしてエレノアの突撃……。5歳児のスケジュールにしては過密すぎる。今日こそは、今日こそは完全定時退社(お昼寝)をキメてやる……!)
キャリーに最高の寝息(偽装)を聞かせ、彼女が部屋を出ていったのを見計らう。
これでようやく、心置きなく脳をシャットダウンして休める——そう思った、まさにその時だった。
カチャ。
鍵をかけていたはずの、バルコニーの窓が静かに開いた。
カーテンの隙間から滑り込んできたのは、黒髪のショートカットに琥珀色の瞳を持つ美少女——もう一人の許嫁候補(仮)、辺境伯令嬢のカレン(5歳)だった。
(……は? なんで窓から入ってきてんの? ここ二階だよ?)
カレンは夜会服ではなく、動きやすい黒い訓練着に身を包み、腰には小さな木剣を差している。彼女は一言も発さず、音もなく俺のベッドの前に立つと、じっと俺を見下ろしてきた。
(怖い怖い怖い! 暗殺者か! 5歳児の隠密スキルのレベルじゃないだろ!)
俺は寝たふりを続けようか迷ったが、彼女の鋭い視線が完全に俺をロックオンしていたため、諦めてゆっくりと上体を起こした。
「カレンちゃん……? どうして、ここにいるの?」
極力、無邪気で可愛い5歳児の声を出す。
するとカレンは、無表情のまま、腰の木剣をすっと引き抜いて俺の鼻先に突きつけてきた。
「……手合わせ、願いたい」
鈴の鳴るような、しかし一切の迷いがない透き通った声だった。
(嫌だよ!! なんで俺が幼児とちゃんばらごっこしなきゃいけないんだ。第一、俺は剣術のセンスなんてゼロだし、そもそも今は休憩時間(お昼寝)だぞ!)
「アル、おつむ(頭)弱いから、剣、できないよ? あぶないよ?」
俺は木剣の先端を小さな指でそっと押し返し、おねだりするようなポーズをとった。大人の交渉術で、なんとか彼女の闘争心を削ごうとしたのだ。
しかし、カレンの琥珀色の瞳が、一瞬だけ鋭く細められた。
「……嘘。あなた、強い。夜会の時、私を見て、重心をミリ単位で移動させた。いつでも動ける構えだった」
(うわ、ガチの武闘派だ!! 前世の格闘家みたいなこと言ってるよこの5歳児!!)
それはただの「おっさんの立ち眩み」か「四十肩の微調整」だったのだが、カレンの研ぎ澄まされた野生の勘は、それを『達人の間合い』だと見抜いて(勘違いして)しまったらしい。
「いく。……『瞬歩』」
カレンの足元から、小さな風の弾ける音がした。
次の瞬間、彼女の姿がかき消え、俺の目の前に一瞬で肉薄する。
上段からの、鋭い木剣の振り下ろし。5歳児とは思えない、常人の大人すら気絶させるレベルのガチの一撃だ。
(おいおいおい! 辺境伯の教育方針どうなってんだよ!? 死んじゃうだろ!)
避ければベッドが破壊される。俺は仕方なく、布団の中からそっと左手を出した。
そして、人差し指と中指の二本だけに、極小の土魔術を展開して皮膚を硬化させる。
パシィィィン!!!
乾いた音が部屋に響いた。
カレンの渾身の木剣は、俺の小さな二本の指によって、完璧に白刃取り(指刃取り)されていた。
「……っ!?」
カレンの瞳が、初めて驚愕に大きく見開かれた。
力づくで引き抜こうとしているが、俺の指はビクともしない。イメージは、前世で使っていた「絶対に書類を離さない超強力マグネットクリップ」だ。
(よし、このままホールドして……)
「アルベルト様、お着替えを持って……って、あら?」
その時、タイミング悪くキャリーがドアを開けて入ってきた。
俺は慌てて指の魔力を解き、わざとらしく後ろにゴロゴロと転がって、ベッドの壁に頭をぶつけた。
「いたたたた! カレンちゃん、ちゃんばら、つよいねー!」
(よし! これでただの『女の子に圧倒されて転んだ可愛い男の子』の構図だ!)
しかし、キャリーの目は、カレンの木剣の先端が**「ほんのり焦げて凹んでいる(誠の土魔術の摩擦のせい)」**ことを見逃さなかった。さらに、カレン自身が完全に戦意を喪失し、カタカタと手を震わせていることにも。
「カ、カレン様……? 一体何を……」
カレンは木剣を鞘に収めると、俺に向かって深々と頭を下げた。
「……私の負け。魔法だけでなく、肉体硬化の武術まで極めているなんて。……さすが、私の、許嫁」
最後に「許嫁」という単語を口にした時、彼女の白い頬が、ほんのりと赤く染まっていた。そのまま、入ってきた時と同じように、窓から音もなく飛び降りて去っていった。
(だから! 負けでいいって言ってるだろ! なんで指二本で受け止めただけで、ガチ勢の心を掴んじゃうんだよ!)
「アルベルト様……。カレン様と、もうそんなに深い仲に……? 私、少し寂しいですわ……」
なぜかキャリーまでが、裏切られた部下のような目で俺を見てくる。
魔法のツンデレに続き、剣術の無口美少女のフラグまで、望まぬ形で完全回収してしまった誠。
「ただ静かに眠りたかっただけなのに……」と、おっさんは枕に顔を埋め、終わらない将来の残業(修羅場)を予感して、深く絶望するのだった。




