第十一話『おやつタイムの防衛戦とツンデレの襲来』
王都にあるムルターシュ侯爵邸の午後。
それは、家庭教師の退屈な座学を終えた俺にとって、一日のうちで最も神聖な時間——「おやつタイム」だった。
「アルベルト様、本日の御菓子は焼き立てのクッキーと、冷たい白桃の水蜜糖漬けでございます」
キャリーがうやうやしく皿を置く。傍らでは、ミーナが「美味しそうですねぇ」とよだれを垂らし、ゴードンが窓の外から「坊ちゃん、いいな!」と手を振っている。
(これだよ、これ。この平穏なティータイムこそ、俺が前世の残業地獄を生き抜いて手に入れたスローライフの果実……。さあ、定時退社を満喫させて——)
「——お待ちになって! そんな呑気におやつを食べている場合ですの!?」
静寂を切り裂くような高飛車な声とともに、書斎の扉がバーンと勢いよく開け放たれた。
そこに立っていたのは、輝くような金髪を縦ロールにした、お人形で見るような美少女——先日の夜会で「許嫁候補(仮)」に内定してしまった、公爵令嬢のエレノア(5歳)だった。
(うわ、出た。大型新規案件(面倒くさいヒロイン)がアポ無しで直入してきた……!)
「エ、エレノア様!? なぜこちらに……!?」
驚くキャリーをすり抜け、エレノアはフンスと鼻を鳴らしながら、俺の机の前に歩み寄ってきた。小さな指を俺に突きつける。
「ルミナス王国始まって以来の『全属性』の天才と聞いて、わざわざ偵察に来てあげましたわ! なのに、何ですのその緊張感のない顔は! 5歳にして二属性(光と火)を持つこの私を前に、よくもそんな風にクッキーをモグモグできますわね!?」
(いや、おやつだからね? 5歳児の主食みたいなもんだからね?)
エレノアの瞳は、対抗意識でギラギラと燃えていた。完全に「同期の出世頭をライバル視する意識高い系新入社員」の目だ。前世でもこういうタイプ、いたなぁ……。
「アルベルト! 今日こそ、あなたと私のどちらが本物の『天才』か、はっきりさせますわ! さあ、中庭へいらっしゃい! 魔法の勝負ですわ!」
(嫌だよ。なんで平日の午後に無給で残業(決闘)しなきゃいけないんだ。俺はクッキーが食べたいんだ)
断固拒否したい俺は、これ以上ない「無害な5歳児」の顔を作り、首を横に振った。
「エレノアちゃん、アル、たたかうの、きらい。それより、いっちょにクッキーたべる?」
俺は自分の皿から、一番大きくて美味しそうなクッキーを一枚掴み、彼女の前に差し出した。
大人の包容力(という名の手懐け)で、この場を丸く収めようとしたのだ。だが——。
「なっ……な、何ですのそれ……っ!?」
エレノアはクッキーを見つめたまま、顔を真っ赤にしてブルブルと震え出した。
「わ、私に、勝ち目がないからと『施し』を与えて懐柔しようというのですか……!? それとも、戦うまでもないという侮辱ですの!? 『私と一緒にクッキーでも食べて、おままごとでもしていなさい、お嬢様』……って、そう言いたいのね!?」
(被害妄想が激しい!! 違う、ただの親切心だ!!)
「その余裕の笑み……! 完全に私を見下していますわね! ええいい、舐めないで頂戴!」
エレノアはカッと青い瞳を輝かせると、右手を天に掲げた。
「『集え、我が命に応じる火の粉——ファイア!』」
5歳児にしては驚異的な速度の詠唱。彼女の指先から、大人の拳ほどの大きさの『火球』が生成され、勢いよく俺のクッキー(と俺の手)に向かって放たれた。
「アルベルト様!?」
キャリーが悲鳴を上げる。5歳児の魔力とはいえ、直撃すれば大火傷は免れない。
(チッ……! だから意識高い系は現場を混乱させるんだよ!)
避けるのは簡単だが、背後のキャリーや、机の上のクッキー(本命)に引火したら面倒だ。
俺は差し出した右手をそのままに、手のひらの皮膚の表面にだけ、極小の『水魔術』を展開した。
イメージは、前世でよく見た「熱いグラタン皿を持つための濡れ雑巾」だ。
シュウゥゥゥ……。
エレノアの放った火球は、俺の数センチ手前で、まるで目に見えない水の壁に吸い込まれるように、一瞬で「消滅」した。
無詠唱、無音、そして完全なピンポイント防御。
火球の熱は、俺のクッキーにほんのりと「ちょうどいい温め直し」を施しただけで、煙すら残さずに消え去った。
「え……?」
エレノアが、唖然として自分の手と俺を交互に見た。
「い、いま、私の魔法が……消えた……? 詠唱も、魔法陣もなしで……防いだ……?」
(あ、やべ。普通に防いじゃった。5歳児なら『ぎゃあ!』とか言って泣き喚くのが正解だったか……!)
「……やはりな」
その時、仕事部屋から異変を察知して駆けつけてきた父親のカイゼンが、ドアの隙間から中庭を覗き、深く深く頷いていた。
「アルは、エレノアお嬢様の突然の奇襲を完璧に見切っていた。それどころか、無詠唱の水魔術で威力を100%相殺しつつ、お嬢様の手を汚させないために煙すら出さずに処理したのだ。なんと、底知れない防御技術……。お披露目パーティーでの婚約、やはり正解だったな」
(違う。ただおやつを守りたかっただけなんだ、親父殿……!)
「う、ううっ……! 覚えておきなさいアルベルト! 次は絶対に、あなたを驚かせてみせますわ!」
エレノアは屈辱と(ちょっとのときめきで)顔を真っ赤に染め上げると、涙目でドタバタと屋敷を走り去っていった。
「……アル、クッキー、たべたかっただけなのに」
ぬるくなったクッキーを悲しそうに見つめる俺。
優秀すぎる「濡れ雑巾ガード」のせいで、エレノアのライバル心を限界まで爆上げしてしまった誠は、邪魔者の去った書斎で、冷や汗混じりのため息をつくのだった。




