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これは君のパラミシア  作者: 御乃咲 司
第二節『これは死を纏う宴の奉り』
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99.勇躍、開花の兆し


 ロウが戦場についたころ、すでに戦いは始まっていた。

 降魔の軍勢の背後には紫黒の歪、魔扉リムが開いている。

 そこから出て来る降魔こうまの階級はナイト級にバロン級、それにカウント級がほとんどだが、中にはマークィス級までもが多く存在していた。


 フォルティスが先陣を切り、降魔の核を的確に鋭い爪牙で砕いていく。

 体長一メートルほどだったはずの体躯が、今はニメートルを越えるほどの大きさになっていた。

 降魔の喉元に食らい付き、体の大きく揺らした反動で降魔を引っ繰り返すように地面へ投げ落とすと同時に、あらわになった胸の核を突き差す鋭爪の刃。

 そして降魔の消滅を確認する必要もないと、すでにその眼光は中空に尾を引きながら次の獲物に狙いを定めていた。

 同時に襲い来る二体の降魔の片方に、フォルティスは迷いなく攻撃をしかける。

 背を向けたフォルティスへ残り片方の降魔がその腕を振り下ろすが、飛んできた炎塊に吹き飛ばされた。


 ブリジットは後方から炎塊を飛ばし、氷で動きを封じては雷を落とし、前衛のフォルティスを巧みに援護している。

 しかし、次々に溢れ出てくる降魔の数はすでに百になろうとしていた。

 マークイス級をものともしない強さは確かに凄まじいが、この数の降魔をフォルティスとブリジットだけで捌き切ることは到底できない。


 討ち漏らした降魔がブリジットに向かって駆けて来るが、降魔は足元から突然現れたいばらに絡みつかれ、その動きを停止させた。

 その瞬間、新たに現れた茨がまるで槍のように、拘束された降魔の核を貫く。

 地面から出た茨を操り、フォルティスが討ち漏らしたブリジットを狙う降魔を迎撃しているのはロザリーだ。手足のように動く茨が降魔の進行を許さない。


 互いを信頼しているからこそできる動き。三人の息の合った連携は、これまでどれだけの降魔を相手に戦い続けてきたのかを感じさせるものだった。


(これが……降魔、なのか)


 そしてその間、ロウの体が自然と硬直してしまったのも無理はない。

 なにせ、目の前の三人が相手にしている降魔は、ロウの知る降魔とは、姿は同じでもそのしつがまるで違っていたのだから。


 漂う魔素の濃度は内界よりも外界が高く、そして中界の方がさらに高い。

 それは魔力を扱う魔憑まつきにとって、常人でいうところの酸素が十分に満ち、重力の軽い場所にいるようなものだ。

 そしてより魔力を内包する、魔力が形を成したと言っても過言ではない降魔の方が、その影響をより強く受ける。

 魔憑が内界に下りれば、その者が強ければ強いほど本領を発揮するにはほど遠い環境となるが、降魔に至ってはそれがより顕著に表れるということだ。


 つまり、ロウたちが内界で相対していたすべての降魔は、力を制御された状態であったということになるだろう。

 そう考えれば中界……魔門ゲートの向こう側にいる降魔の力は、想像し難いほどだといえる。

 深域アヴィスの降魔を中界へと押し戻し、その中に防衛拠点カリストを築き上げ、そこを守護する魔憑の強さは生半可なものではないということは間違いない。

 

 戦いの最中、ブリジットがロウの存在に気付くと、戦いながら声をかけた。


「お前さんも来たのかい? 今は取り込み中だ。記憶の話ならもういいだろ」

「同意。ここは危険、教えたはず」

「いつもこんな数を相手にしてるか?」

「今回はちょっと多すぎるね」

「だったら俺も――」

「いらないよ」


 ――手伝う、と言おうとしたものの、ロウは最後までそれ言えなかった。

 というよりは言わせてもらえなかった。

 ロウがそう言うことを予想していたかのように、ブリジットがそれを言わせなかったからだ。


「だが――」

「いらないって言ってるだろ! お前さんの助けだけは……絶対にいらないんだよ……」


 明らかな拒絶の言葉。頑なな拒絶の意思。


 途端、響く短い悲鳴と共に、フォルティスがロウたちの傍まで吹き飛ばされて来た。飛んできた先に視線を向けると、そこにいたのはデューク級だ。

 そのデューク級の降魔は、体に赤黒い魔力オーラを薄く纏っている。その体躯、腕や足に浮き出る血管から判断するに、おそらく自身の強化系だろう。

 フォルティスとの相性が良いとは言えなかった。


「ちっ! 大丈夫かい、フォルティス」


 フォルティスが前線から後退したことで、じわじわと攻寄る降魔を迎撃しながら、ブリジットが声を掛けた。


「……大丈夫だ、降魔の出現が止まった。今いる奴をすべて倒せば終わりだ」


 フォルティスが起き上がりながら、奥の魔扉リムに視線を向ける。

 確かに魔扉は先程より小さくなっていて、これ以上新たな降魔が出て来る気配はなかった。短時間にして現れた降魔の数こそ異常だったものの、幸いにして魔扉自体の持続力はなかったようだ。


「なら、残りもさっさと片付けるよ」

「了承。デューク級、ロザリーが抑える」


 ロザリーは複数の茨を操ると、デューク級を締め付けるように拘束した。


「コノ程度、デ、足止メ、ノ、ツモリカ?」


 降魔は茨を掴むと、力任せに無理矢理それを引き千切った。

 するとロザリーが再び、さっきよりも多い茨を地面から伸ばすが、デューク級は完全に拘束される前にそれらを掴み取る。

 そして掴んだ茨を引っ張り、千切り捨てると、その視線がロザリーを捉えた。


「鬱陶、シイ」


 その瞬間、デューク級降魔の足元の地面が陥没したかと思うと、すでにロザリーの目の前でその腕を高く振り上げていた。

 ロザリーの目が丸く見開く。

 彼女の鼓膜を揺らすブリジットとフォルティスの悲痛な叫び。

 このとき、ロザリーの取った行動は反撃でも、ましてや逃走でもなかった。


 後ろにいるロウへと振り返り――小さく微笑む。


「――――ッ」


 初めて見せたその笑顔を見た途端、ロウの心臓が大きく跳ねた。

 そして咄嗟に、ロザリーへと手を伸ばす。


 ロウは知っていたのだ。

 この状況で、そんな表情を浮かべる人を見たことがある。

 このような光景を見たことがある。

 いつ見たのか、それが誰だったのか、何故それがわかるのか、今のロウには思い出せないでいた。しかし、胸の奥から訴えかける何かが教えてくれる。


 これはそう――望みを手放した者が浮かべる、欺瞞の表情だった。


 ロウの手がロザリーの服を掴み強く引き寄せると、振り下ろされたデューク級の拳が地面を抉る。


 体だけが自然と動き、周囲の動きがゆっくりと流れるように映る視界の中――

 

 ……ロウは思っていた。

 ロザリーは強い。百にも届く数の降魔を相手に戦うその姿を少し見ただけで、その強さを感じ取れるほどに。

 いくら相手が強化系のデューク級とはいえ、外界で戦い続けて来たロザリーには反撃も回避もできたはずなのだ。

 それなのに、どうして諦めたようにそれをしなかったのか。

 どうしてあの状況で、最後にロザリーが自分にそんな表情を向けたのか。



 地面を抉ったデューク級の腕は止まることなく、そのまま勢いよく振り上げられた。

 ロザリーの小さな体を胸に抱き込み、逃げる間もなく背を向けた瞬間、ロウの背中に伝わる激しい痛みと鈍く大きな衝撃。

 


 ……ロウは思い返していた。

 どうしてブリジットはあんなにも悲痛な泣き顔で自分を見たのか。

 あんなにも苦しそうに、あんなにも辛そうに、あんなにも悲しそうに。

 いったい何故、頑なに過去を振り返ることを否定するのか。

 


 背中に受けた衝撃と共に、ロウはロザリーを抱え込んだまま吹き飛ばされた。

 フォルティスが唸り声をあげながら、デューク級の腕に鋭牙を突き立てる。

 するとその動きに合わせ同時に飛翔してきた炎塊を、デューク級は逆の手で掻き消し、牙をの刺さった腕を傷つくこともいとわずに勢いよく横に振るった。

 フォルティスの牙が外れると、次にデューク級が狙いを定めたのはフォルティスではなくブリジットだ。



 ……ロウは考えていた。

 フォルティスが屋敷の門の前で、守り続ける約束とは何なのか。

 今回の魔扉リムにもいち早く駆け出していたフォルティス。

 あんなに痛々しい傷を残しながらも、戦い続ける理由とはなんなのか。



 ロウの体が背中から地面に落ち、大きな砂煙を巻き上げた。

 デューク級がブリジットに間合いを詰めると同時に、フォルティスがブリジットの服をくわえ、逃がすように遠くへ投げる。

 間一髪でブリジットへの攻撃は防げたものの、フォルティスは間合いを詰めたデューク級の蹴りを腹部に受け、宙高くその体を舞い上げられた。

 そして跳躍したデューク級に尾を掴まれると、そのまま地面へと勢いよく叩きつけられた。


「フォルティス!」


 地面が陥没する音と共に上がったフォルティスの短い悲鳴の直後、ブリジットの叫びが響く。


 そんな中、ロウの胸に抱かれたロザリーが、上半身を起こしてロウの顔を見た瞬間、彼女の胸元から魔石のついた首飾り(ペンダント)が滑り落ちた。

 ぼやけたロウの視界に映るのは、口をへの字に曲げながら泣いている少女。

 ロザリーの瞳からぽろぽろと止め処なく零れ落ちる涙が、ロウの頬を濡らした。




”パパ、またお仕事なの?”

”事無。パピィの言いつけ守る”

”いつ帰って来るの? 父様”


 ――それはとても懐かしい光景だった




”パパ、パパ、見ておくれよ! 上手くできたでだろ?”

”肯定。でも、ロザリーはもっと上手くやる”

”ぼ、僕だってそのうちできるようになるよ”


 ――花のように咲く眩しい笑顔




”どうして!? どうしてパパが!”

”忘恩。絶対、許せない”

”ッ、僕にもっと力があれば”


 ――狂おしいほどの痛哭




(あぁ、そうか……そうだったのか……)




”ブリジット、ロザリー、フォルティス。――愛してる”




(あの無邪気な笑顔を奪ったのは――俺だ……)





 混濁した意識の中……まるで短い夢を見ていたようだった。


 ロウは上半身を起こすと、胸の上にあった幼い体を優しく抱き締めた。

 びくっと体を震わしたロザリーの小さな頭をそっと撫で、そのまま少女を降ろして立ち上がると、状況を把握するために視線を周囲へと流していく。


 視界の中に映ったのは、ブリジットが体勢を立て直し、地に伏したフォルティスを守ろうと、目の前に魔法陣を展開しているところだった。


 そんな中、背後から飛んでくる多数の黒い魔弾がロウの横を勢いよく通過し、次々に降魔を吹き飛ばしていく。

 不意を突かれたデューク級もその直撃を受け、地面に二本の線を引きながら大きく後退するものの、その体に損傷らしきものは見受けられない。


「遅れてごめんなさい!」


 そう声を上げながら駆けつけたのはシンカ、カグラ、リンの三人だった。

 倒れたフォルティスを見て、リンの顔が苦痛に歪む。


「……ごめんなさい、私がちゃんとしていたら。ここからは私たちも――」


 後悔の色を含んだリンの言葉を、ロウは振り返らずに伸ばした手で制止すると、フォルティスの方へと歩き出した。


 深く鋭い冷気を纏ったような黒曜石の双眸に映るデューク級の姿。

 他の降魔など眼中になく、まるでそこにいても大して意味はないとでもいうかのように、静かな足取りで歩を進めていく。


「……ロ、ロウさん?」


 いつものロウとはまるで雰囲気の違うその姿に、不安になるほどの違和感を覚えたカグラがその背に呼びかけるものの、ロウが振り返ることはなかった。


「ど、どういうことなの?」


 リンが傍にいたロザリーに問いかけるが、小さな少女は胸の首飾り(ペンダント)握り締め、泣きながら首を横に振るばかりでとても話せる状態ではなかった。



「下がっていろ」


 ブリジットの横を通りながら言ったロウの言葉に、彼女は言葉を詰まらせた。

 どうして、これまでのように反論することができなかったのか。

 ブリジットはカグラの感じた違和感の答えを知っていた。

 だがそれは……信じたいことでも、ましてや認めたいことでもなかった。

 力無く両膝を地面につき、両手で顔を覆い隠す。

 それはまるで、何か取り返しのつかないことをしたと悔いるかのようだった。


 複数の降魔が牙を剥き襲い掛かってくるが、ロウが倒れたフォルティスと降魔の間にそっと線を引くように腕を振ると、そこに現れたのは広く高い氷の壁だ。

 ナイト級やバロン級、カウント級程度の攻撃にはまるでびくともしなかった。


「大丈夫か?」


 そう言って、ロウが抱き起こそうとする手をフォルティスは慌てて振り払うと、少しよろけながらも気合いで立ち上がった。


「……ここは俺が守る。それは俺の役目だ」


 フォルティスの強く逞しいそんな言葉に、ロウの口元が僅かに緩む。


「そうやって、約束を守り続けていたんだな」


 かけられたその言葉に、フォルティスは何かを悟ったように振り返った。

 ブリジットとロザリーに視線を向け、泣き崩れるその二人の姿を見ると同時に、フォルティスは嫌な予感が的中したのだと嫌でも確信することになる。

 このとき、フォルティスは受けた傷の痛みさえ忘れるほどに、心臓が激しく脈打っていた。


 途端、硝子を割ったような音を響かせながら砕ける氷壁。

 ナイト級やカウント級ならまだしもマークィス級、ましてやデューク級相手に耐え切れるほど、その氷壁の強度は強くはない。


「グギ、ギ。人間、殺ス」


 複数の降魔の視線がロウに集中する中、ロウは立ち上がって降魔を見据えると、フォルティスへと問いかける。


「まだ戦えるか?」

「……な……っ」


 フォルティスは答えようにも、胸の鼓動が邪魔をして答えることができない。

 呼吸の仕方を忘れたように息が苦しく、ロウを見る獣の鋭さを失ったその瞳は、まばたきすら忘れてしまうほどだった。


「守るんだろ?」


 顔だけ振り返り、ロウはそう言って微笑んだ。

 そんなロウの微笑みが、フォルティスの心を鋭く抉る。

 その瞬間、フォルティスの瞳がロウの背後から踊り掛かる五体の降魔を捉えた。


 危ないッ、そう叫ぼうとしたとき、飛び込んできたナイト級の降魔が瞬時に凍てつき、地面に落ちると共に砕け散る。そう、砕け散ったのだ。


「ナイト級二十二体、バロン級十四体、カウント級八体。マークィス級二体にデューク級が一体、か」


 視線をフォルティスから降魔へ戻し、ロウはまるで何事もなかったかのように呟きながら手に氷の刀を作り出すと切っ先を地面に向け、一閃。

 地面に長い亀裂が走り、凍てついた縁からは固形炭酸ドライアイスから発生する白煙はくえんのようなものが揺らめいていた。

 するとロウはその亀裂を跨ぎ、降魔の方へ歩み寄りながら言葉を口にする。

 

「ここはお前たちが足を踏み入れていい場所じゃない。……道に迷ったなら、地獄いえまで送ろうか?」


 まるで危険区域に迷い込んだ子供へかけるような言葉を零しながらも、その表情に浮かぶのは造られた微笑だった。

 淡々と紡がれた言葉からは、氷で閉ざしたように感情の色が消え失せている。


「生意気ナ、人間、潰、ス……潰、スッ!」


 デューク級がそう言うと、ナイト級からカウント級の降魔が飛び出した。

 それと同時にロウは駆け出すと、すれ違い様に氷刀を一閃、二閃、そして足を止めながら正面の一体を三閃目で両断すると、そのすぐ上を跳躍し次のナイト級が踊り掛かってくる。ロウが氷刀を手放すと同時に握られているのは氷の槍だ。

 その氷槍から繰り出された鋭い刺突でナイト級の核を穿つと、貫いたままの氷槍は大きく弧を描き、背後に迫っていたバロン級を斬り下ろす。


 ロウが飛んで来た魔弾を回避すると同時に、間合いを詰めた二体のカウント級がロウを挟み込んだ。そして、先に魔弾を放ったカウント級が正面から踊り掛かってくる。

 しかし、すでにロウの手に握られているのは新たな氷の得物だ。

 左右から掲げられた鋭爪はロウへ届くことなく、交差した二丁の氷短銃から放たれた魔弾で核を貫かれ、その後ろにいたバロン級までもが纏めて消滅する。

 間髪入れず、ロウは正面から来たカウント級の手を取って地面へ叩き付けると、氷短銃を突きつけその頭部を吹き飛ばした。

 

 新たに作り出した氷の薙刀で次のカウント級を核ごと両断すると、ロウはそのまま氷薙刀をくるりと回転させ、地面に突き刺した。

 途端、地面から突き出した一本の野太く鋭利な氷柱が、複数体のナイト級とバロン級を纏めて穿ち、同時に引き抜いた氷の薙刀を次の群れの中心へと投擲。

 突き刺さった場所を中心に、地面から突き出た数多の細い氷針が降魔を貫いた。


 ここまでたったの十数秒。

 流れるような一切の無駄を含まない一連の動きは、たったそれだけの時間でカウント級以下の降魔のほとんどを消滅させた。


 途端、ロウに向かって飛翔する、人ほどの大きさをした巨大な岩塊。

 慌てることなく、再び両手に氷の銃を生成すると、飛んできた岩を魔弾で打ち抜いた。穿たれた岩の中心に亀裂が走り、細かく砕け散る中、岩の破片の隙間から交わるロウとマークイス級の視線。

 すでに間合いを詰めていたマークイス級が振り下ろした腕を、ロウは左手の氷銃で受け止めると、右手の氷銃を降魔の胸の核へと向け魔弾を放つ。しかし、放たれた魔弾は、マークイス級が自身の核を覆った岩を焦げ付かせただけだ。

 そのとき、ロウの横をもう一体のマークイス級が通過した。


 ロウは目の前のマークィス級の顎を蹴り上げると、踵をそのまま肩にひっかけ、それを踏み台に高く跳躍した。

 中空から見下ろすと、横を駆け抜けていったマークイス級が口から炎の魔弾を放ったのが視界の中に映り込む。同時に、残ったナイト級が走る姿も見えた。

 放たれた炎弾の先にはフォルティスの姿。


 だが、先に着弾したのはロウの氷銃から放たれた魔弾だった。

 それがフォルティスの前に着弾すると、現れた氷壁が炎の魔弾を防ぎきる。

 次いで氷銃を手放しながら手にした氷飛刀を、一番初めに張った地面の亀裂に投擲。刹那、白煙が光り、そこから飛び出た刃のような氷壁が、線を越えようとしたナイト級の群れの体を斬首台ギロチンの如く真っ二つに断ち斬った。


 その直後、ロウの背後には、追って跳躍してきたマークィス級の気配。

 ロウは空中で身を捻って振り返りながら、振り下ろされたマークイス級の右腕を左腕で防ぎ、その腕を取りながらマークィス級を強く引き寄せ、もう一体のマークイス級目がけて勢いよく蹴り飛ばした。


 次いで新たに氷の弓を生成すると、地面に吹き飛ばされたマークィス級の核へ狙いを定めた氷矢を放つ。

 空中に銀の線を描く氷矢を、マークィス級は地面を柱のように高く突き出して防ごうと試みるも、氷矢はそれを容易く貫通すると、二体のマークィス級を同時に地面へと縫いつけた。

 瞬間、地面から氷の剣山が一輪の花のように咲き誇る。


 ロウは静かに着地すると、紫黒の霧や粒子となって消えていく降魔たちを周囲に感じながら、残ったデューク級を真っすぐに見据えた。


「……ギ、ギギ」


 ロウがマークィス級以下の降魔を殲滅するのにそう時間はかからず、他者の介入の余地すらないその動きは、対多数に慣れた練度の高いものだったといえる。

 

 しかし、それも当然といえる結果だった。

 内界において、薄い魔素に力を制御されていたのは何も降魔だけではない。

 元よりこの月国げっこくフェガリアル、外界にいたロウにとって、此処は自身の領域だ。

 ただ単に、内界において存分に力を発揮できなかった割合が、降魔に比べて遙かに大きかったというだけの話。

 

 そして何より大きな要素は、ロウが取り戻した記憶の片鱗だった。

 神都しんとに来てから幾度と感じた既視感は無論、既視感などではない。

 ロウは確かに外界ここにいた。月国ここで生きてきたのだ。


 今まで()まるで違う戦い方……否、これは返り咲く前兆に過ぎない。

 今まで()まるで違う戦い方だったのだ。

 困難や苦難、様々な状況を経験し、蓄積した情報は自分の身体と脳(データベース)にある。

 それを引き出す為の検索機能きおくが、ただ足りなかっただけだ。


 多種多様の武器を生成し、それを扱い戦うそんな彼の姿をフォルティスたちは知っていた。


「フォルティス」


 名を呼ばれたフォルティスの肩が小さく揺れる。


「あの二人の笑顔を奪った俺を恨むなら、降魔を倒した後でやり合おう。だから今は、俺の背中を預けたい。大きくなったお前の姿が見たい。これは俺の我儘(エゴ)だが……聞いてくれ――ッ!」


 ロウの言葉をデューク級の攻撃が遮った。

 瞬時に間合いを詰め、振り下ろしてきた腕を回避すると、ロウは逆手持ちの氷剣を生成して斬り上げる。

 だが、デューク級はそれを素手で掴んで止めた。


「効カ、ナイ。非力」


 そして、掴んだ氷剣を粉々に握り潰した。


 始まったのは目まぐるしく攻め手の変わる熾烈な攻防。

 新たに生成する氷の武器で攻撃しては、デューク級からの攻撃を避ける。

 なんとか直撃は避け、氷の盾や壁で防ぐものの、ロウには強化されたデューク級を倒す決め手となる攻撃がなかった。

 集束力や付属力、持続力の高い強化系に対し、ロウの氷はまるで逆だ。

 魔力で覆われた分厚い筋肉の壁を貫ける威力はない。

 徐々にデューク級の体へ手傷は増やしていくものの、一撃でも食らえばひっくり返される戦況だ。そんな中――


「……くっ、ッ」


 戦うロウの姿を見るフォルティスは、強く歯を食い縛っていた。

 鋭利な牙を剥き出しに、口から血が流れるほど強く、強く。


 フォルティスは過去の情景をよく覚えている。

 その中でもある男とした約束のことだけは、より鮮明に、脳裏に焼き付いていた。

 それは、約束と呼べるものでは決してない。たわいない言葉だろう。

 だがそれでも、フォルティスにとっては大切な誓いだった。

 そのときの光景が……フィルティスの脳裏を過る。



 ……――――――――


 幼い頃から、ずっとフォルティスは臆病だった。

 力も決して強くはなく、人一倍に勇気があるわけでもない。 

 しかしこの屋敷に住んでいた、フォルティスにとって親のような存在だった男は、この屋敷を出る時にいつも言うのだ。


「留守を頼むぞ」


 そう優しく微笑みながら、温かい手でフィルティスの頭を撫でながら言うのだ。


 この屋敷は孤児院と呼べるほど立派なものではなかったが、その男はいつも身寄りのない子供を見つけては、この屋敷に住まわせていた。

 といっても、フォルティスが屋敷に来た時の子供はまだ四人で、それほど人数が多かったわけではない。それでも皆、フォルティスより強かった。

 

 しかし、いつも決まって男がそう言うのは、フォルティスに対してだけだった。

 ずっとそれが不思議だった。

 どうして、一番弱くて臆病な自分にそんな言葉をかけるのか。

 それでもその疑問の答えを問うことができなかったのは、やはりフォルティスが臆病だったからだろう。


 それから長い時を経て、新しい子供かぞくが増えてもフォルティスは変わらなかった。

 弱く、臆病で、勇気など一欠片も持ち合わせてはいない。

 だが……種はあった。

 

 ある日、フォルティスは他の皆がいない頃合いを見計らい、思い切って男に聞いてみたのだ。それはずっと心の中にあったが、怖くて聞けないことだった。

 しかし、何故かその日はそれを問わなければならない。

 そうしなければならない、と……そんな気がしたのだ。


「父様。あ、あの……どうして、いつも僕にそうやって言うの? 他のみんなの方がしっかり者だし強いし……僕はみんなの中で一番……臆病だし。ぼ、僕は逃げてばかりで、頼りになんてならないでしょ?」


 そう問いかけた時の男の表情は、とても驚いた様子で目を丸くしたものだった。

 だが、すぐに優しい微笑みを向けながら、その男はこう答えた。


「確かにブリジットはあの歳で、マークイス級程度の降魔となら戦えるだけの力はあるな。お前と同じ時に来たロザリーもそうだし、他のみんなも時期そうなるだろう。戦わないのはお前だけだ」

「だったら……」

「でもな、確かにみんな強いが女の子だ。実戦で戦うとなれば、純粋な力だけが勝敗を決めるわけじゃない。その点、みんなは戦いを甘く見ている節があるな。力が伸びている時にそうなるのは仕方ないが……お前は違う。だからお前なんだよ、フォルティス」


 フォルティスはその言葉の意味がまるでわからなかった。

 きっと、さぞ間抜けな表情をしていただろう。

 そんなフォルティスに、男は言葉を重ねた。


「さっきも言ったが、お前は戦えないんじゃない、戦わないんだ。それは、本能で実践というものの意味を理解してるからだろう。以前、俺の留守中に降魔の襲撃があった時のお前の判断は正しい」


 男が留守の時、運悪く魔扉が開き、降魔が襲撃して来たことがあった。

 相手はナイト級とバロン級、そしてマークイス級がたったの二体。

 力だけ見ればブリジットたちだけで対処も可能だったが、このときのフォルティスは全力で逃げたのだ。


「でも、僕は逃げただけだよ……」

「何を引け目に思うんだ。お前は一人で逃げたんじゃない。家族を必死に説得し、一緒に逃げただけだ。その臆病さは、知ってるからだ。実践では何が起こるかわからないことを。そして、家族を失った時の辛さを。ブリジットたちは戦えるが、他の子はそうじゃない。だからお前は、そうならない最善をした」

「だ、だけど僕にも戦う力があったら……この家も壊れなかったよ」

 

 屋敷は半壊したものの、その後駆けつけた魔憑が降魔を手早く処理した。

 結果として誰も傷つかなかったのだから、引け目に思うことはない。

 建物は直せるが、一度失った命は二度と戻らないのだから。

 常に最悪を想定しろ……それは男が教えたことだった。

 だが、最悪を考えつつも、その中で立ち向かう力がフォルティスにはなかった。


「そうだな。だが、お前にもあるじゃないか……戦う力が。それはまだ小さく眠ってるだけだ」

「僕は人狼リュカリオンだけど、人型になれる時間が限られた欠陥品だし……戦うなんて無理だよ」

「自分をそう言うのは良くないぞ。フォルティスという名前の意味は、勇敢だ。仲間を大切に思う心。その優しい臆病さを勇気に変えることができたなら……お前はきっと、ここのみんなを守り抜けるくらい強くなる」


 そう言って温かい微笑みを浮かべながら、強く頭を撫でつけるその手の感触を、フォルティスは生涯忘れることはないだろう。

 

 そして、最後に男はこう言ったのだ。


「いつか強くなったお前の姿を見たいものだ。頑張れ、男の子」


 ――留守を頼むぞ


 この言葉が楽しい日々を過ごした屋敷での、最後に聞いた言葉だった。


 ……――――――――



 戦うロウの姿を見ながら、フォルティスの想いは爆発していた。

 まるで血が沸騰したかの如く身体中を駆け巡り、心臓は早鐘を打っていた。

 激しく浅い呼吸を繰り返し、無意識に前足の爪が地面を抉り込む。


 男がいなくなったその日から、フォルティスの中にあった勇気の種が発芽し、逞しい花を咲かせるまで、時間を必要とすることはなかった。

 フォルティスはその男の言葉を自らの誓いとし、今までずっとこの屋敷を守り続けて来たのだ。……来る日も来る日も、男が消えてからの七年間。

 ずっと屋敷の門扉の前に佇んで、魔扉が開くと誰より先に駆け出して。


 フォルティスの体は傷だらけだ。

 生死を彷徨うほどの傷を負ったこともあった。

 だが、一日たりとも休みはしなかった。

 他の皆を、屋敷を、男の留守を――ずっと守り続けてきたのだ。


 そんなフォルティスが一番聞きたかった言葉。

 ずっとずっと、もう叶わないと思いながらも望んできたこと。

 フォルティスは守りたかったのだ。

 他の皆や屋敷だけではない。


 自分を育ててくれた、最も大切なその人を――その背中を。



 途端、フォルティスが高らかに雄叫びを上げる。

 周囲の空気を震わす程に、気高く、雄々しく、男との誓いをその胸に込め、


 勇敢なる灰狼(フォルティス)は――疾く駆けた。


 


 ロウがデューク級との激しい攻防を繰り返している最中、背後からフォルティスの雄叫びが聞こえてくと、ロウの心が激しく高鳴った。

 フォルティスに刻まれた戦跡。屋敷の門の前で佇む姿。そして、今の誇りを抱いた気高い雄叫び。

 そのどれもが、自信を持てず臆病だったフォルティスの成長の証だったのだ。


 だがその瞬間、デューク級には自身の理解できない感情が芽生えた。

 それは猛き獣の咆哮がもたらした焦りだ。

 氷剣から繰り出されたロウの斬撃を躱すことなくその身に受け、それと引き換えに掴んだロウの右手を強く引き寄せた。

 強化系相手に綱引きは勝負として成り立たず、ロウの体は大きく前につんのめり、体勢を崩し隙が生まれたその瞬間、デューク級はがら空きになったその背中に向かって組んだ両手を思い切り振り下ろした。


 途端、遠くで上がる土煙。

 攻撃を受け吹き飛ばされたのは、ロウではなくデューク級の方だった。

 デューク級のいた位置に佇んでいるは、人型となったフォルティスだ。


 しかしそれはリコスのように、決して綺麗な人型と呼べるものではなかった。

 体は毛で覆われ、手や足には鋭い爪が伸び、口から飛び出る鋭い牙。

 人に近しいものではなく――あくまで、人型。

 戦闘に特化した人狼特有の状態。

 フォルティスの得た力は、それだった。


「……フォルティス」


 名を呼ぶ男の声に、フォルティスは小さく頷いた。


「時間を稼いでくれ」


 言った瞬間、その言葉に従うようにフォルティスが駆ける。

 起き上がったデュークもまた、フォルティスを正面から迎え撃った。

 ぶつかり合う拳と拳。その衝撃は凄まじいものだった。


 肉体強化系のデューク級を相手に、狼型の状態なら確かに不利と言えただろう。

 だが、亜人種である人狼リュカリオンの持つ力もまた、自身の強化。

 今のフォルティスにとって、すでにデューク級の降魔は不利な相手ではなく、同じ土俵での戦いとなっていた。

 この状態となったフォルティスが戦える時間は限られている。

 だが、それで十分だ。全力を惜しむことはない。

 なぜなら、勇躍するフォルティスの後ろには――



 ぶつかり合うフォルティスとデューク級を前に、ロウは集中するかのように瞼を閉じ、そっと右手を前に向けた。すると、右手から激しく流れる冷気。

 その魔力量は凄まじく、さらにさらに高まっていく。


 一言でそれを現すのなら、有り得ない(・・・・・)、だ。

 明らかにロウの中の魔力総量を超えている。

 基準値を遙かに上回り、瞬発値を考慮しても明らかにそれは異常だった。


 まるで自分の魔力を増幅させているような、それとも周りから魔力をかき集めているかのような。それほどまに高まった魔力の奔流が吹き荒れる。

 

 デューク級がその魔力に気付くと、その狙いをすかさずロウに変えるものの、フォルティスがそれを決して許さない。

 ロウに近づかせまいと、その身を傷つけながらデューク級の行く手を阻む。

 デューク級の拳が血に染まり、フォルティスの爪牙が肉を抉る。


 そして、ロウの右手に膨大な魔力が渦巻くと――


「――零下の棺に抱かれて沈め、氷葬」


 両眼を見開いた瞬間、デューク級が一瞬の内に大きな氷の棺へと囚われる。


 このとき、氷漬けになったデューク級を見据える、色の着いた眼鏡の奥に見える黒いはずのロウの瞳は――血玉のように紅く光っていた。



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