第1話 湯気の中の少女とひより食堂の朝
朝の光が差し込む「ひより食堂」。
木のカウンターも、祖母から受け継いだレシピノートも、ひよりには大切なものだった。
「今日も、ちゃんと作らなきゃね……おばあちゃん」
ひよりは味噌汁の鍋をかき混ぜ、試作のカツ丼を仕上げた。
衣はサクッとしていて、卵はふわふわ。祖母から受け継いだ「ひより食堂の味」だ。
「うん、今日もいい感じ……」
ひよりがそう呟いた、その瞬間だった。
ふわり――。カツ丼から立ち上る湯気が、朝の光を受けてきらりと光った。
「……え?」
湯気はゆっくりと形を変え、小さな少女の輪郭を描き始める。金色の髪に、湯気のような薄い衣。そして、小さな少女は胸を張った。
「御意っ! 召喚に応じ参上仕ったで候!」
「しゃ、しゃべった!? っていうか誰!?」
ひよりは思わずおたまを構えて叫ぶ。
「拙者、カツ丼の精霊・カツ葉でござる!」
「精霊!? なんでカツ丼から!?」
「そなたのカツ丼、あまりに尊き味ゆえ、拙者の魂が揺さぶられたでござる!」
カツ葉は、ふんす、と鼻を鳴らした。
「尊き味って言われても……なんだか言葉遣いが古いなぁ……」
ひよりが困惑している間にも、カツ葉は店内をきょろきょろと見回していた。
「ここがそなたの城か! 木の香り、油の音、まこと心地よいでござる!」
「城じゃなくて食堂ね……」
「では食堂殿と呼ぶか!」
「悪化してるよ!」
ひよりはすぐさまツッコんだ。カツ葉は湯気をまといながら、カウンターの上のカツ丼をじっと見つめた。
「そなたの料理、まこと尊き……拙者、そなたの味を極めるために生まれたでござる! 最後の一口を食べた時、そなたの願いを叶えるでござる!」
「えっ……願いを? そんなことできるの?」
「御意っ! ただし、願いが強すぎると……少々暴走するやもしれぬ!」
「暴走って言ったよね!? 今、さらっと怖いこと言ったよね!?」
「案ずるな! 拙者、そなたの味を守るため、日々精進するでござる!」
カツ葉はにっと笑って、親指を立てた。
「守るって……なんか頼もしいような、やっぱり怖いような……」
ひよりは呆れながらも、なぜか少し笑ってしまった。
祖母が守ってきた食堂に、今日から妙ににぎやかな相棒が増えた。
「……まあ、退屈はしなさそうだね」
「御意っ! ひより殿の味、共に極めん! さあ、冷めぬうちに食すがよい!」
カツ葉に促され、ひよりはカツ丼に箸を伸ばした。揚げたてのカツに、甘辛いタレが絡む。口いっぱいに広がる味に、ひよりは思わず頬を緩めた。最後の一口をパクリと飲み込んだとき、ひよりはふと思った。
(おばあちゃんの食堂、もっとたくさんの人に食べに来てほしいな……)
それは、ひよりがずっと願っていたことだった。
カツ葉の体がカッと光を放つ。
「願い、確かに聞き届けたで候ーーーッ!」
「えっ、あ、ちょっと待って!?」
次の瞬間、食堂の引き戸がガタガタと激しく鳴り響いた。
『カツ丼を食わせろーーー!』
『なんだこの美味そうな匂いはーーー!』
「な、何事!?」
ひよりが窓の外を覗くと、そこには白目を剥き、よだれを垂らしながら店に押し寄せる街の人々の大行列(推定三百人)があった。
「ひより殿! 拙者の魔力で、半径十キロの人間をカツ丼の匂いで誘導し、連れてきたでござる! さあ、売って売って売りまくるでござる!」
「ただの営業妨害だよーーーっ!!」
こうして、ひより食堂の静かな朝は終わった。
そして、とんでもなく騒がしい一日が始まった。




