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第9話 古いカメラと大きな木

昼営業が終わり、ひより食堂にはゆっくりした午後の空気が流れていた。


ひよりは棚の奥を整理していた。普段は触らない場所だが、最近少し物が増えてきたので片付けることにしたのだ。


「……あれ? こんなのあったっけ」


奥から出てきたのは、古い茶色の箱。角が少し擦れていて、長い時間しまわれていたことが分かる。


みそらが興味深そうに近づいてくる。


「それ、何ですか?」


ひよりは箱を開けた。


中には、祖母が使っていたインスタントカメラと、何枚もの古い写真が入っていた。


カツ葉は湯気を揺らしながら跳ねる。


「御意っ! これは何の武器でござる!」


「武器じゃないよ。カメラだよ……」


みそらは呆れたようにため息をつく。


「……あなたは何でも武器に見えるんですね」


「御意っ!」


ひよりは思わず吹き出した。


写真を一枚ずつ取り出していく。


「わぁ……懐かしい……」


そこには、昔のひより食堂が写っていた。


祖母が作ったカツ丼。味噌汁。季節の料理。店先の暖簾。そして、幼いころのひより。


みそらは写真を覗き込みながら言った。


「ひよりさん、小さいころから食堂にいたんですね」


「うん。おばあちゃんがずっと作ってたからね」


カツ葉は写真を見て叫ぶ。


「御意っ! 幼きひより殿、かわゆいでござる!」


「やめてよ……」


照れるひよりだが、写真をめくっていくうちに、ふとあることに気づいた。


「……あれ? おばあちゃんが写ってる写真、ほとんどない」


「撮る側だったんでしょうね」


みそらの言葉に、ひよりは少しだけ寂しそうに笑った。


「そうだね……おばあちゃん、いつも撮る方だったからなぁ」


するとカツ葉が、湯気を大きく揺らした。


「ならば今から撮ればよいでござる! 拙者たちの勇姿を残すでござる!」


みそらも静かに頷いた。


「三人の写真……いいですね」


ひよりは顔を上げ、楽しげに笑った。


「じゃあ、一枚撮ってみようか」


棚にカメラを置き、タイマーをセットする。


三人で並ぶ。


ひよりは自然な笑顔。みそらは少し控えめに微笑む。カツ葉だけは、なぜか異様に決めポーズを作っている。


「カツ葉、ポーズ決めすぎ……」


「御意っ!」


カシャッ。


写真がカメラからゆっくりと押し出されてくる。


浮かび上がるのを、三人でわくわくしながら待った。


やがて写真が完成した。


ひよりはそれを手に取った瞬間、そのまま固まった。


「……え?」


「どうしました?」


ひよりが困惑したまま写真を見せると、みそらも息をのんだ。


そこには――ひより一人だけが写っていた。


左右には、カツ葉とみそらがいたはずの空間。


でも、二人の姿はどこにもない。


「…………」


カツ葉が写真の左右を指差しながら叫ぶ。


「拙者がいないでござる――っ!!」


みそらは、自分の姿がない写真を不思議そうに見つめた。


「……写らないんですね、私たち」


「えぇぇ……? 三人で撮ったのに……」


「ここに拙者がいたでござる! この辺りに湯気があふれていたでござる!」


必死に主張するカツ葉に、ひよりは苦笑する。


「湯気の問題じゃないと思うけど……」


みそらが写真を見つめながら呟いた。


「……私たち、写真には写らないんでしょうか」


ひよりは少しだけ寂しそうに写真を見つめた。


「三人で撮ったのにな……」


そんなひよりに、みそらは静かに、そして優しく言った。


「写らなくても、三人でここにいたことは変わりませんよ」


ひよりはもう一度、祖母が残した古い写真を見た。


おばあちゃんが写っていない写真にも、おばあちゃんが料理を作り、写真を撮っていたあたたかい時間は確かに存在していたのだ。


「……そうだね」


ひよりの顔に、優しい笑みが戻った。


ペンを取り、写真の裏に文字を書き込む。


――ひより食堂にて ひより・カツ葉・みそら


「姿がないのに名前だけあるでござる!」


カツ葉のツッコミに、ひよりは微笑む。


「いいじゃない。三人で撮ったんだから」


みそらも静かに微笑んだ。


ひよりは写真を小さな額に入れ、食堂の棚に飾った。


一見すると、ひより一人の写真。


でも三人にとっては、初めて撮った大切な三人の写真だった。


翌朝。


朝の仕込みもない静かな時間に、ひよりは台所で弁当を作っていた。


卵焼き。おにぎり。ウインナー。ちょっとした野菜のおかず。


みそらは横から弁当作りを見守りながら言った。


「今日はどこへ行くんですか?」


ひよりは嬉しそうに笑った。


「近所の大きな木のところ。私が小さいころからあるんだよ。おばあちゃんともよく行ったの」


カツ葉は湯気を揺らしながら跳ねる。


「御意っ! 大木でござるな! 拙者、登ってみるでござる!」


「ダメ。落ちるよ」


「……カツ葉なら風で飛んでいきそうですね」


「御意っ!」


ひよりは思わず吹き出した。


弁当を包み、三人は食堂を出て歩き始めた。


少し歩くと、住宅街の端にある広い空き地に着いた。その中央に、大きな木が一本、堂々と立っている。


ひよりは懐かしそうに言った。


「この木、私が小さいころから全然変わってないんだよ」


みそらは立派な幹を見上げながら言う。


「立派ですね……ずっとここにあるんですね」


カツ葉は大木を見上げる。


「拙者、今度こそ登ってみるでござる!」


「だからダメだってば……」


「……枝に乗った瞬間、風で飛んでいきますよ」


「御意っ!」


三人は笑いながら、木の下の柔らかい草の上に座った。


ひよりは弁当を広げた。


卵焼きの黄色が木漏れ日に照らされて、なんだかいつもより美味しそうに見える。


「はい、どうぞ」


「ありがとうございます」


「御意っ! いただくでござる!」


三人で弁当を食べる。


風が木の葉を揺らし、その隙間から光が落ちてくる。


「外で食べると、なんか特別だよね」


「同じ料理でも、場所が違うと味が変わりますね」


「拙者、外の卵焼きが好きでござる!」


「外の卵焼きって何……」


「……いつも通りです」


ひよりは吹き出した。


弁当を食べ終えたころ、ひよりはふと思い出したようにバッグを開けた。


「そうだ。昨日のカメラ、持ってきてたんだ」


「また撮るんですか?」


「うん。ここでも一枚撮ってみようよ」


カツ葉は湯気を大きく揺らす。


「御意っ! 大木の力で今度こそ写るでござる!」


「そんな力あるのかな……」


みそらも大木を見上げてから、小さく笑った。


「試してみましょうか」


三人は大木の前に並んだ。


ひよりは自然な笑顔。


みそらは少し控えめに微笑む。


カツ葉は、やっぱり格好いい決めポーズ。


「カツ葉、またポーズ決めすぎ……」


「御意っ!」


カシャッ。


写真が浮かび上がるのを、三人で待った。


やがて写真が完成する。


ひよりは手に取って、その瞬間、苦笑した。


「……あー……やっぱり」


大木の前に立つ、ひより一人だけ。


カツ葉とみそらの姿は、やはりどこにもなかった。


「写っていませんね」


みそらが静かに言う。


カツ葉は写真の余白をじっと見つめた。


「むむむ……今回は木のポーズまでしたのにでござる!」


「だからポーズの問題じゃないってば……」


ひよりは写真をもう一度見つめた。


大木の前に立つ自分だけが写っている。


でも今度は、寂しそうな顔はしなかった。


「でも、いい写真だね」


ペンを取り、写真の裏に文字を書く。


――三人で大きな木の下へ


カツ葉がそれを覗き込む。


「また拙者たちが写っていないのに、三人と書いてあるでござる!」


「いいじゃない。三人で来たんだから」


みそらは静かに微笑んだ。


弁当を食べて、写真も撮って、風も気持ちよくて。


ひよりは大木の幹に背を預けたあと、そのまま柔らかな草の上にごろんと横になった。


「……なんか眠くなってきた」


みそらも木に背を預けて目を閉じる。


「少し休みましょうか」


カツ葉は湯気を揺らした。


「御意っ! 拙者も昼寝でござる!」


「昼寝できるの……?」


カツ葉は少し考えてから、胸を張った。


「御意っ! やってみるでござる!」


「やったことないんだ……」


みそらが目を閉じたまま、くすっと笑った。


木の葉が風に揺れ、その隙間から柔らかな光が落ちてくる。


昔からそこにある大きな木の下に、今日は三人分の時間が増えていた。


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