5
その日、ヴィオラはいつものように弁当を包み、
騎士団本部へ向かった。
「アルノルト様は――」
「副団長でしたら、少し前に出られましたが」
若い騎士がそう答えた。
ヴィオラは首を傾げる。
「模擬戦のお時間では?」
「ええ、本来は。
ですが、急な用事があるとかで……」
(急な用事?
今日はずっと訓練の予定だったはずなのに)
胸の奥に、小さな違和感が生まれた。
任務柄、ヴィオラは人の嘘や誤魔化しには敏感だ。
だが今、覚えているこの感覚は、それとは少し違う。
(まさか、ね)
宰相の言葉が、頭の中で蘇る。
「グレイソン補佐官を脅せるほどの立場」
――騎士団副団長という肩書きは、
その条件に当てはまってしまう。
ヴィオラは弁当を抱えたまま、
宿舎の裏手へと足を向けた。
アルノルトが「急な用事」で向かった先を、
確かめないわけにはいかなかった。
裏門を抜け、人気の少ない道へ。
少し先に、見覚えのある背中があった。
アルノルトだった。
だが、一人ではない。
商人風の身なりをした男と、
何やら低い声で話し込んでいる。
(――誰?)
距離があって、会話の内容までは聞こえない。
だが、アルノルトの表情は、
いつもヴィオラに向けるものとはまるで違う、
鋭く冷たいものだった。
商人の男が、小さな包みをアルノルトに手渡す。
ヴィオラの手から、
弁当の包みが滑り落ちそうになった。
(――嘘、でしょう)
ヴィオラは咄嗟に物陰に身を隠した。
心臓が、痛いくらいに早鐘を打っている。
(落ち着いて。まだ何も分かっていない)
任務で培った冷静さを、必死にかき集める。
商人風の男は包みを渡すと、
一礼して足早に立ち去っていった。
アルノルトはその後ろ姿をしばらく見つめたあと、
懐にその包みをしまい込む。
表情は、やはり硬い。
ヴィオラの知る、
あの浮かれた笑顔とはまるで別人のようだった。
(何を、受け取ったの)
問い詰めたい衝動を、
ヴィオラは奥歯を噛んで抑え込んだ。
ここで下手に動けば、
真相を確かめる機会そのものを失いかねない。
(今は、泳がせる)
任務者としての判断が、勝った。
アルノルトが宿舎の方へ戻っていくのを見送ったあと、
ヴィオラはそっとその場を離れた。
手にはまだ、渡すはずだった弁当の包みがあった。
屋敷に戻る道すがら、
ヴィオラの頭の中は目まぐるしく回転していた。
(あの商人は誰。何を渡された。
宰相様に報告すべきか、それとも――)
その夜、いつものように帰宅したアルノルトは、
いつもと変わらぬ様子でヴィオラに笑いかけた。
「今日は模擬戦、急に予定が変わってしまって。
弁当、無駄にさせたな」
「……いいえ、大丈夫です」
ヴィオラは、努めて普段通りの声で答えた。
だが、内心では、
彼の一挙一動を注意深く観察している自分がいた。
(この人を、信じたい。でも――)
政略から始まった結婚のはずだった。
それなのに、今抱いているこの不安は、
ただの任務者としての警戒心だけではないと、
ヴィオラ自身、気づき始めていた。
◆
その夜、寝室の灯りが落とされたあとも、
ヴィオラは眠れずにいた。
隣で規則正しい寝息を立てるアルノルト。
その体温が、いつものように寄り添ってくる。
(この温もりを、知ってしまった)
政略だったはずの結婚。
任務のための偽りの夫婦。
そのはずが、いつの間にか、
この腕の中にいることが当たり前になっていた。
(もし、この人が本当に道を踏み外しているのなら)
ヴィオラは、闇の中でアルノルトの寝顔を見つめた。
月明かりが、彼の輪郭を淡く縁取っている。
無防備なその顔は、昼間の凛々しさとは違う、
どこか幼さの残る素顔だった。
(私が、この人を守る。
そして、正す。それが――私の正義)
暗殺者としての正義ではない。
任務者としての使命でもない。
ただ、一人の妻として、
隣にいる人を失いたくないという、純粋な想い。
指先が、そっとアルノルトの頬に触れた。
その感触に、ヴィオラの中で何かが目覚める。
壊れ物を扱うように慎重だった昨夜とは違う、もっと確かな熱が、指先から全身へと広がっていく。
「――ヴィオラ?」
眠っていたアルノルトが、
身じろぎに気づいて目を開けた。
まだ夢うつつの視界に映ったのは、
月明かりを背に、
自分を見下ろすヴィオラの姿だった。
「ど、どうした――」
戸惑う声。だが次の瞬間、彼の目が見開かれる。
ヴィオラの手が、彼の手首をそっと、
けれど確かな力で寝台に押さえつけていた。
「何も聞かないで」
いつもとは違う声だった。
低く、震えを押し殺した響き。
アルノルトの喉が、小さく上下した。
彼の視線が、ヴィオラの零れ落ちる髪から、
月光に照らされた肩のラインへと辿る。
信じられない、というように瞳が揺れていた。
「今夜も――いいのか?」
掠れた問いに、ヴィオラは小さく頷いた。
頬が、自分でも分かるほど熱を持っている。
決意と恥じらいが、
ないまぜになって胸を締め付ける。
「今夜は、わたくしに……貴方をもらわせて」
その言葉に、アルノルトの表情が崩れた。
困惑と、隠しきれない歓喜と、
そしてどこか泣きそうな笑み。
彼の空いている方の手が、
そっとヴィオラの頬に触れる。
「――ヴィオラ」
名前を呼ぶ声が、今までで一番、優しかった。
月明かりの下、二人の影がひとつに重なっていく。押さえつけていたはずの手のひらから、
いつしかヴィオラは指を絡めていた。
囁きが、吐息が、静かな夜へと溶けていく。
その夜は、ヴィオラが与える側だった。
お読みいただきありがとうございます。
明日4話投稿で完結。
アルノルトsideへと移って行きます♩
明日もぜひお立ち寄り下さい(´>∀<`)ゝ
ブックマーク、評価ぜひよろしくお願いします!
(ㅅ´ ˘ `)




