アルノルト 3
結婚から数日。
騎士団本部。
「本日の書類は以上です」
副官の報告を受けると、
アルノルトは最後の書類へ署名を入れた。
「ご苦労」
席を立つ。
いつもなら、もう一度訓練場を見回り、
遅くまで執務室に残るのが日課だった。
だが今は違う。
(帰ろう)
その一言だけで、 自然と足取りが軽くなる。
屋敷へ帰れば、 ヴィオラがいる。
そう思うだけで、 頬が緩んでしまう自分がいた。
「坊ちゃま、お帰りなさいませ」
玄関で出迎えた執事ハインツが、 深々と一礼する。
「ヴィオラは?」
「奥様はお部屋で、
お荷物の整理をなさっております」
荷物整理。
その言葉を聞いた瞬間、 アルノルトの足が止まる。
「……一人でか?」
「はい」
ハインツは穏やかに頷く。
「侍女のエマもおりますが、
ご自身でも整理を進めたいとのことで」
アルノルトは少し考え込む。
(慣れない屋敷だ)
嫁いでまだ数日。
どこに何を置けば暮らしやすいかも、
まだ分からないはず。
一人で重い箱を運んでいたら。
高い棚に手を伸ばしていたら。
そんなことを考え始めると、 落ち着かない。
「手伝ってくる」
「……坊ちゃま」
ハインツが静かに呼び止める。
「女性のお部屋の整理には、
それぞれこだわりがおありかと」
「そうなのか?」
「ええ。触れられたくない物もございます」
アルノルトは腕を組み、 真剣に悩んだ。
「では……頼まれた物だけ運べばいいのか」
「それがよろしいかと存じます」
「分かった」
素直に頷く姿に、 ハインツは小さく微笑む。
(坊ちゃまも、すっかり旦那様でございますね)
アルノルトは扉の前で一度身だしなみを整え、
静かにノックをした。
「ヴィオラ、入ってもいいか」
返事を待って扉を開けると、
部屋のあちこちに箱が並び、
ヴィオラは棚の前で背伸びをしていた。
(危ない)
反射的に歩み寄る。
「ヴィオラ、模様替えを手伝おうか」
肩を震わせて振り向くヴィオラ。
「ビックリしましたわ! ……大丈夫ですから!」
「そう言わず」
アルノルトは穏やかに笑う。
「俺はこう見えて力はある」
騎士として鍛えた腕だ。
棚くらい、 軽々と動かせる。
役に立てるなら、 それだけで嬉しい。
そう思って棚へ手を伸ばした瞬間。
「あ、あっ、あー!」
ヴィオラが慌てて駆け寄り、
両手でアルノルトの腕を掴んだ。
アルノルトは思わず息を止める。
(近い……)
柔らかな指先。
必死な表情。
心臓が忙しく鳴り始める。
「どうした?」
「……大事なものがあるの」
その言葉に、 アルノルトの胸がふわりと温かくなった。
(大事なもの)
しかも、 そんなに慌てて隠すほど。
(もしかして……)
自分への贈り物だろうか。
まだ恥ずかしくて見せられないだけかもしれない。
そう思うと、 嬉しさが込み上げてくる。
「そんなに大事にしてくれるものがあるとは」
「え?」
きょとんと首を傾げるヴィオラ。
その反応まで愛おしい。
「いや、ちょっと嬉しくって」
自然と笑みがこぼれた。
「楽しみにしている」
そう言うと、 アルノルトは棚から手を離した。
約束したのだ。
触れられたくないものには触れない。
代わりに、 部屋の隅へ置かれた重い箱を抱え上げる。
「これはどこへ運べばいい?」
「えっ……あ、そちらへ」
「分かった」
ヴィオラに指示された場所へ、 丁寧に箱を運ぶ。
そのたびに、「次は?」と尋ねる。
ハインツは扉の外からその様子を見守り、
静かに目を細めた。
(坊ちゃまは本当に、
奥様のお役に立てるだけで幸せなのでございますね)
そして同時に、もう一つ悟る。
(本当によかった)
その幸せそうな笑顔をみて、また仕事に戻った。
【And Story】
「坊っちゃま、手に入れてまいりました」
執務室の扉が静かに開き、
ハインツが数冊の本を抱えて入ってきた。
書類に目を通していたアルノルトが顔を上げる。
「おお!」
机の上に並べられた本を見た瞬間、目を輝かせた。
一冊目。
『閨の指南書・上巻 これで貴方に夢中』
二冊目。
『聖騎士団長は聖女を離さない
ー最強の聖力補充は愛し合うことー』
「よくやった! ハインツ!」
勢いよく立ち上がったアルノルトは、
思わずハインツの両肩を掴む。
「この指南書があれば、
ヴィオラの身体は俺に夢中になる。
そして、この小説の騎士のように振る舞えば、
ヴィオラの心も俺に夢中になるはずだ」
瞳は本気だった。
ハインツも神妙な面持ちで頷く。
「はい。坊っちゃまのお役に立てましたなら
何よりでございます」
そして胸に手を当て、
少し照れくさそうに続けた。
「このハインツ、不肖ながら剣術では誰にも負けぬ
自負がございます。
しかし……こと恋愛に関しましては、
まったく経験がございません」
「俺もだ」
「ですので、坊っちゃまと共に勉強できますことを、
大変嬉しく思っております」
「頼りにしている」
「こちらこそ」
二人は固く握手を交わした。
その光景を廊下から偶然目にした侍女エマは、小さく瞬きをする。
「……旦那様と執事様、
何をなさっているのでしょう?」
誰も知らない。
この日、シュタイン家では。
恋愛経験ゼロの主従による、
極めて真面目な恋愛研究会が、
ひっそりと発足したのだった。




