第二話 わたくしは、まだあなたを許しておりません
「正直に申告したご褒美などは?」
「ありません」
「世知辛い女神様ですこと」
「規則ですので」
右側の王太子は、見るからに優秀だった。
きっと公務を押しつけることもなく、国王や臣下からも信頼される立派な王になるだろう。
一方、左側はリノアしか見ていない。
「では、わたくしを溺愛する方で」
「後悔しませんか?」
「仕事は叩き込みますわ」
女神が目を瞬く。
「よろしいのですか?彼の能力は現状のままですよ」
政務能力は、今のローレンスと変わらないらしい。
つまり、放っておけば仕事を人に押しつける。
リノアはしばらく考えたあと、左側の光を指差した。
「半年間、わたくしに公務を押しつけるだけの知恵はあったのですもの。教えれば最低限は働くでしょう」
「なかなか手厳しいですね」
「仕事は努力と教育で身につけさせられます。ですが、わたくしを心から愛する気持ちまで、わたくし自身が教え込むことはできませんもの」
リノアは左側のローレンスを見つめた。
「愛する婚約者に見限られたくなければ、死ぬ気で覚えるでしょう」
「……あなた、王妃に向いていますね」
「よく言われますわ」
女神は小さく笑うと、右側の光を泉の底へ沈めた。
沈んでいくシゴデキ王太子は、なぜか満足そうに親指を立てている。
「彼の記憶も人格も、そのままです」
女神は左側の光を両手で包み込んだ。
「変わるのは、彼がこれまで見ないふりをしていた、あなたへの想い。失いかけて初めて気づくはずだった感情を、今ここで目覚めさせます」
「見ないふりをしていた?」
「あなたを愛していなければ、ここまで甘えてはいません。彼はあなたなら許してくれると、思い上がっていたのです」
胸の奥に、鈍い痛みが走った。
愛していたから甘えた。だからといって傷つけてもよいはずがない。
「彼は、これまでの自分があなたに何をしてきたのか、すべて覚えています。その記憶は、今後彼自身を最も苦しめるでしょう」
「それは何よりですわ」
「迷いがありませんね」
「ええ」
女神が左側の光を泉へ落とした。
水面が激しく揺れる。
「では、お返しします。あなたが選んだ、溺愛する王太子を」
次の瞬間、泉の水が大きく跳ね上がった。
「リノア!」
ずぶ濡れになったローレンスが泉から這い上がり、リノアへ駆け寄ってくる。
その顔は真っ青で、唇は紫色だった。
「無事か!?どこか濡れていないか!?」
「濡れているのは主にあなたですわ」
「君のドレスの裾も濡れている。冷えてしまう。すぐに着替えを――」
ローレンスは自分の上着を脱ごうとして、ずぶ濡れであることに気づき、絶望した顔になった。
「僕は何をしているんだ。こんなものを掛けたら、余計に君が濡れてしまう」
「殿下、落ち着いてくださいませ」
「待っていてくれ。今すぐ乾いた上着を持ってこさせる。いや、その前に侍医を――」
「殿下!!」
リノアが両肩を押さえると、ローレンスはようやく口を閉じた。
その瞳には、今まで見たことのない切実な熱があった。
「先に申し上げておきます。わたくしは、まだあなたを許しておりません」
リノアは、まっすぐに彼を見返した。
ローレンスの喉が動く。
「そして、泉に突き落としたことも、わたくしは反省しておりません」
「……分かっている」
「衛兵に突き出しても構いませんわ」
「そもそもの原因は僕なのだから、そんなことはしない!!」
「ええ、御自覚があるのならなによりです。イザベラ様とのことは、ご自分で責任を取ってください。あなたが始めた関係です。わたくしを愛するようになったからといって、何もなかったことにはさせません」
「もちろんだ」
「わたくしに押しつけていた公務も、すべてお返しします」
「ああ」
「そして、婚約を続けるかどうかは、一年後にわたくしが決めます」
ローレンスは息を呑んだ。
その顔に、一瞬だけ恐怖が浮かぶ。
それでも、彼は逃げなかった。
「分かった。一年後、君に選んでもらえるようにする。それまでは何度でも謝るし、何でもする」
震える手を握り締め、深く頭を下げる。
「何でもすると、簡単に仰らない方がよろしいですわ」
「なぜ?」
「明日から、溜まっている公務をすべて片づけていただきますから」
「すべて?」
「ええ。半年分」
「……一年後ではなく、明日には見限られないだろうか」
「働き次第ですわね」
リノアが微笑むと、ローレンスは青ざめたまま背筋を伸ばした。
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