緑廊
外に出たい、そう告げた時、医者はもう夏希を止めはしなかった。そのことが何よりも残酷に夏希へ迫った。
足を動かしてもいないのに景色は後ろへと流れていく。そんな不思議な感覚は、後ろで車椅子を押す看護師の存在を思い出すと、急に消え去ってしまい、冷酷な現実だけが残る。
「中庭に着いたら、少しだけ一人になってもいいですか?」
もうすっかり顔なじみになった看護師にそう聞く。
「えぇ、もちろん。外で待つので、帰るときに呼んでくださいね」
優しく微笑みながら、そう答える凛々しいその顔に、夏希は思わず羨望を覚えた。30代くらいだろうか、きれいな人だ。お世辞も無く、本当に純粋に夏希はそう思う。整った顔立ちも、透けてしまいそうな黒髪も、大きな瞳も。全てが彼女を際立たせている。
でも、違う。そんなことじゃない、夏希が彼女に見るのは。首を回して、後ろで揺れるその顔をこっそり盗み見る。この顔だ。時折見せる《《仕事の顔》》。その美しさが、羨ましかった。
「どうしましたか?」
大きい目をもう少しだけ広げて、夏希に視線を合わせてくれる。
「いえ、なんでもないんです」
少し不思議そうな顔をしたまま、それでも彼女は頷いた。
「それでは」
そう言って看護師は、ハンドルから手を離した。
「ありがとうございます」
小さく会釈をしながら、重い扉を彼女はもう一度潜っていった。
夏希は一人、中庭にいる。
冷たい空気をどうにか温めようと頑張る弱々しい日差しが、緑廊の木材の隙間から夏希を包む。緑の少ない三月の東北の中で、ここだけが違う空間のようで夏希は心地よさを覚える。
日差しも、葉の無い枝も、夏希を取り囲む城壁のような古びた病棟も。夏希よりもはるかに長く、この世界に生きるものに満たされた世界。その全てが陽光に輝く。
不意に静寂を切り裂いて、耳をつんざくような金属の擦れる音が響いた。それは扉を開いた音だ。
顔を向けるまでもなく、夏希はもう分かっている。
これが彼と逢う最後だと。




