朝日に宝石
彼の大きく開かれた目が見える。酸素を求めて口がもがく。彼の視線が私のそれに絡む。そんな目をしないで。君はこんなところで私を見つめている場合じゃないでしょ。だって君は、私よりもずっと長生きするのだから。
外に出よう、そんなことを急に思ったのはきっと早起きをしたからなのだろう。まだ薄い朝日、かすかに窓を突く鳥の声。なんだかたまらなく外に出たくなった。もう外出なんてずっとしてなかったのに。
重い身体を持ち上げ、足をベッドから垂らした。足でベッド下のスニーカーを引っ張り出して、裸足のまま入れる。足が固い繊維に擦れた。
「行こう」
誰にというわけでもなく、夏希はそう声に出している。それからようやく腕に力を込めて、体を放った。
「あ!」
危うく転びそうになって、それでも夏希はどうにか手を壁についてこらえた。膝が脚が、腰が。まるで自分のものではないかのように力が入らない。呪いをかけられたのだろうか、そう心配するほどに体は固く、重かった。
それでも体を引きずるようにして夏希は進む。壁を腕で泳ぐようにして。
一体なぜに自分がそうするのかすらも分からない。まるで何かに追われるかのように、何かを探すかのように、身体は進んで行く。お前に拒否権など無い、そう言いたげに体は夏希の声を無視した。
どれだけの時間を経たのだろうか。僅か数分の事のようにも、何時間もかけたようにも感じられる。体はもう痛くて、腕はパンパンに張っている。それでもどうにか、着いた。
広いバルコニーには朝の陽光が一面に差し込んでいた。それは朝にしては強く、それでいて穏やかだった。空気はまだ冷たくて、ひんやりと肌を撫でる。夏の朝、ちょうど小学生の頃、ラジオ体操に行く時に感じていたような冷たさと暑さ。
ふと目に日差しが刺さり、瞼が思わず閉じる。あのビルだ。少し先、病院よりもずっと朝日に近いあのビル。そこから窓ガラスに反射した光が、鋭く夏希に向かっていた。
「最後かな」
声が口から洩れ、耳に入る。何が最後なのだろう。朝日を見るのがだろうか。それとも一人で外に出るのがだろうか。それともこの錦見夏希の人生のことなのだろうか。……いや
「全部」
やっぱりそうか。まるで自分の中のもう一人の夏希と話しているような感覚。それなのに違和感は覚えられなかった。死ぬのか、私。諦観のような風が心に吹き、それなのにまだ生きたいとどこかが叫ぶ。
「どっちが本心なのかな」
もう一人の方も、それは分からないらしい。
「見れるのかな」
何が?
「紅葉とか、雪とか」
そんなこと見当もつかなかった。朝日の中で揺れる街路樹は、バルコニーに植えられた背の低い木は、まだ青々と葉を茂らせたまま。葉が色を変えて、それが地へ落ちて、それを雪が覆う。人生でとりわけ注意するまでもなくそこにあった時間は今では途轍も無く大きなものに思える。それでも
「見たいね、雪」
「うん」
日差しの中、漸く自分の声が届いた気がする。
朝日を掻き分けるかのように、鳥が一線を舞った。ゴオっと音がして、その後ろをエメラルド色の新幹線が過ぎる。陽光を乱反射するそれは、まるでいつか本で見た宝石のようだった。




