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その秒針が錆びるなら  作者: 鷹羽諒
第十二章 三桜晴斗・町田莉子
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目の前

 ひたすらに立ち尽くしていた眼前の教師は、何かを決心したかのように顔を上げた。何かを言う気なのだと、晴斗は悟る。開かれる口が怖い。小さな動物の野性的な本性を目にして背筋に覚える感覚によく似たそれが産毛を撫でた。


「話って」

恐怖から逃れようとするかのように、口が勝手に動いている。なんですか、とどうにか震える声で続ける。少し驚いたかのように町田は目を開く。だがそれは瞳の上で氷のように溶けた。


「言おうと思っていたことがあったの」

乾いた空気に町田の口が開かれた。思っていたよりもずっと穏やかに。

「言おうとしていたこと…

それって進路のことですか、それとも別のことですか、先生。そう続けたいのに上手く声にならない。口からこぼれるのは不格好な呼気だけだ。


まぁでも、そう町田は続ける。

「それはもういいんだ」

かくれんぼの最後の一人に観念したかのような、そんな口ぶりで町田は言う。わざわざこんなに朝早く、教室に晴斗しかいない時間に来たのだろうに、本当にもういいのだろうか。町田の意図があまりにも読めず、晴斗は混乱する。



「三桜君、どうするの?」

《《何が》》だろうか。進路か、それとも別の何かか。もっともいずれにしても

「わからないです」

これでいい。実際自分の前には問題が山積しているというのに、その折り重なった糸山を解きほぐすことすらできていないのだから。


だが


「そう」

いやにぶっきらぼうに発せられた町田の声は、呆れをたたえている。気付かれているのだと、その時になってようやく直感する。にわかに焦燥が募り、頭を染める。どこまでだろうか。自分が進路を決めかねていることか。いやそれとも八方美人を隠していることだろうか。それとももっと内面深くか。恥部を直視されるようで思わず赤面し、そして怯える。町田はそのことを話しに来たのではないだろうかと。晴斗の胸中を全部知って、その上で何かを話さんとしているのではないかと。



「後悔、しない?」

驚くほどに透き通って、耳に声が入る。強張っていた体がかすかに弛緩するのが分かった。

「後悔…………ですか?」

オウム返しになってしまう。

「そう、後悔」

優しさのような瞳で、町田は晴斗を見つめている。だがその眼はずっと遠くを眺めているかのようだった。


「私はね、後悔してる。人生のいろんな決断とか行動とか、そういうの全部。」

まるで自分自身に話しているかのようで、その瞳の中に晴斗はおそらくいない。

「もっと勉強しておけばよかった。大学で何かにもっと真剣に取り組めばよかった。教師についてもっと知ろうとすればよかった。こんな後悔ばっかり」

悲しそうに町田は、町田先生は笑う。

「こんなに失敗しているのに、いつも気付くのは手遅れになってからなのよ。笑っちゃうでしょ。もうどうしようもなくなってからようやく悟るの、あぁまたやっちゃったんだってね」

表情を自嘲で上塗りしたかのように彼女はまた笑う。今度は痛々しいほど残酷に。そしてその顔にすっと影が映る。

「大切な人にすらも、失ってから気付いたの私は」

いつものにこやかさの欠片も無いような町田先生の顔。訴えるような目。そして自分。


この人はずっと過去に後ろ髪を引っ張られるようにして時を刻んできたのだろうか。まるで懺悔のような町田の告白にそう思う。自分はそうならないと自信をもって言い切ることが晴斗にはできない。



「三桜晴斗君」


生気の戻った目。だがこれは覚悟なのだろうか。それとも現実を受け入れたという証なのだろうか。でもたった一つ分かること。それは今町田の瞳の中には俺がいるという事実。




「後悔、しない?」



町田はもう一度同じように尋ねる。その涙袋がかすかにきらめく。






答えは、分からない。ただ晴斗の瞳に町田はもう映ってはいない。









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