不自由
二度目の冬が来た。誰もいない廊下の冷たさが、机の木の軋みが、そのことを教える。朝七時、まだストーブも点いていない教室は痛いほどの空気を内包していた。
凍てつくような教室に一人、晴斗はいた。ダウンに袖を通したまま、教室をただ無気力に眺める。あと一年、たったそれだけなのだ、残りの高校生活は。ふとそんなことを思う。
これまでの当たり前が消え、それでもきっとまた次の当たり前に慣れていくのだろう。全てが過去へと移って、輪郭はどんどんぼやけて、やがて思い出すことも無くなっていく。忘却という、どうしようもない時間の渦の前では、自分はあまりに無力だった。
自分はこの先どこへ進んで行くのだろうか。高校入学以降眼を背け続けてきた問いは、もはや晴斗の肩に手をかけ、決断を迫る。茫漠と広がる未来にどんな足場を組めばよいのか、コンパスの指し示すどの方向を目指せばよいのか。その一端すらまるで不明瞭なままだというのに。
どうして、そう息を吐く。どうして他の人は皆、自信をもって未来の航路を決められるのだろうか。無数にある選択肢の中から一つだけを選び取ることができるのだろうか。なぜその決断だけを道標に暗闇を進んで行けるのだろうか。
自分にはできない。将来を占う決断をする勇気など無い。風雨に耐え得る足がない。意思を貫き通す槍も鎧もない。他人に流されてばかりで、嫌われることを避けてきた自分にどうしてそんな強さが芽生えるというのか。
「くそっ」
苛立ちが口を突いた。ちっぽけなその声はあっという間に教室の中へと消える」。代わりにドロッとした何かが脱音へと流れ込んだ。
その正体から逃げるかのように、晴斗は教室の右奥、空になった机に目線をやっている。
かつて夏希のものだったその席には、もう名前が付いていない。それでもあと数か月、この机はこのままなのだろう。皆が夏希を覚えているという、その証として。でもきっと春になれば、クラスが変われば、この机はどこかに消えてしまう。そして皆の記憶の中からゆっくりと夏希の記憶は離れていく。
自分だけがそうではないと、俺は言えるのだろうか。ふと不安を覚える。落ち続ける砂時計の中で、自分だけが例外だと俺は本気で思っているのだろうか。どうせそんなことなどありはしないのに。
どこかで鳥が鳴く。冬は鳥の声が良く響いた。それは空気が乾いているからなのだろうか。それとも夏よりもずっと鳥が少ないからなのだろうか。
夏希の机に手を置く。ひんやりとした深い茶色の木目。僅かにガタガタとぐらつく脚。夏希はここにいたはずなのに、もうそのことは感じられない。ただ教室に無数にある机の一つ、無機質な備品に過ぎなかった。それなのに腰を掛けるのは躊躇われるようで、晴斗は戸惑う。まるで持ち主の帰還を信じて待つ机が、他の者を拒むかのようだった。
ふいに背後で金属の擦れる音がした。教室の扉が、滑る。
息を飲む音が聞こえたような、そんな気がした。




