不可逆
本当は生徒だけで屋上に来るのは禁止らしい。もっとも張り紙なんて今更気にはならないのだが。古びた扉の向こう、白いフェンスが広がる屋上にたった一人、夏希はいた。
山の中腹に立つこの学校からの眺望は、この学校に入ってよかったと思う二番目の理由だ。屋上に立てば何もかもが見える、そんな気持ちになれるから。観光地でもなければ、絶景スポットと呼ばれもしない。インスタで目にすることだってない。本当に自分しか知らない、そんな景色。
髪がばさばさと揺れる。強い風が吹いていた。
去年は病院に行く途中でしか感じられなかった秋を、今年は毎日のように覚える。僅かに乾きだした風と、それに乗ろうとする落葉。用意されていたかのような秋、薄い長袖のトレーナーにお似合いの季節が夏希を包んでいる。
信じられないほどの速度で世界は周る。特にこの数か月は。日々が一日一日の繰り返しではなく、パラパラ漫画のように違う日の重なり合いで、少しずつ移り変わっていく、そんな様子だった。
夏のはじめに雪原が亡くなって、もう数か月になる。喪失感とやりきれなさを抱えたままに。感情の絡まった足は何度も縺れ、そのたびに痛みが走った。痛みは彼を何度も蘇らせ、感情を乱す。それでも夏希に彼を思い出さない勇気はなかった。
感情の波の中、彼のいない静かな夏が過ぎるのだろうと、そう思っていた。それなのに世界は夏希に暇を与えはしなかった。
また風が吹く。今度は肌を撫でるように優しく。いっぱいの思い出を引っ張り出そうとするかのように。その風に体を預けて、手を広げる。風を切っているような感覚のままに夏希はゆっくりと回る。街、海、緑を失い始めた山、隣の小学校、電波塔。次々と景色は移る。パノラマ写真を作りたい、記憶の中にこのまま閉じ込めて。いつでも思い出せるように。決して忘れないように。目を強く開く。鱗雲と薄い空。色の掠れた白い手すり。生えた小さな雑草。全てを掌に留めておけるように。どこかに反射した日差しが目に沁みた。
もっとちゃんと見ないと。なぜだか急にそんなことを思う。屋上の古びたコンクリ―トの上を、端の方へと進む。そのまま僅かに錆びた柵に体を任せる。キィと小さく金属の音がして、遠くの海が手が届くほど近くに見えた。
背中で扉が開いたのは、ちょうどその刹那。見えもしない。聞えもしない。それでもそれが誰かを夏希は知っていた。ずっと彼を待っていたような、来てほしくなかったような、そんな思いが交錯する。
体を柵から離す。足に荷重が戻り、なんだか生きている実感を覚えた。
ゆっくりと振り返る。
パノラマ写真の真ん中、気付けないほど小さく、目を逸らせないほどに大きく、三桜は立っている。




