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その秒針が錆びるなら  作者: 鷹羽諒
第十章 町田莉子
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30/50

先送りの後

「それじゃあ、がんばって……はい、さようなら」

廊下に姿が見えなくなると、莉子はゆっくりと教室の扉を閉め、いつもとは違う陣形を組む生徒用の椅子に座った。

もう7月も中頃を迎え、窓の外ではせわしなく蝉が鳴き続ける。その音が広がる校庭には、午後に入って部活に励むカラフルな生徒たちが散らばっていた。校舎の二階から見ると、生徒たちはまるでビーズのようだった。


この時期、この学校では二者面談を行うのが通例だった。夏休みを前に初の総括をさせ、夏休み、さらには今後の学校生活に役立てる、というのが趣旨らしい。さらに二年生の生徒には、この春の部活や勉強、課外活動について聞くとともに、進路についてもよく話し合うように。という通達が学年主任から出ており、莉子の面談もその内容に沿っていた。



「失礼します」

ノックの後に、扉が開いた。莉子も席を一度立つと、そのまま彼を招き入れた。

「よし、じゃあ座ってね」

そう声をかけ、パソコンのページを三桜晴斗のものに変えた。すぐに個人情報に成績、進路希望、これまで蓄積されたあれこれのデータが一度に現われる。

「では、面談を始めましょう」

教師になって使うようになった声色を出し、莉子は手元の紙をめくった。




最初はこの春の成績に部活、生活態度について。もっとも彼の学校生活に問題は見られないし、成績だってある程度は取れている。部活への取組も十分だと、顧問に既に確認していた。そしてその認識は彼の中の見解と違わないようで、スムーズに話は進んだ。

「学校生活で何か問題とかはありますか」

次の質問に移る。これは言うまでもなく、いじめを探知するために設けられた設問だ。ニュースでコメンテーターが好き勝手に言うほど、いじめを見つけるのは簡単なことではない。いじめは往々にして隠れて行われるし、暴力や金品の強奪といった要素を伴わなければ眼前で起きていても気付きづらい。だからこそこうやって定期的に聴取を行い、できる限り早期に発見しようと学校も努めているのだ。今のところ、莉子は自分のクラスの中にいじめの存在を把握してはいないが、どこに潜んでいるかは分からない。潜在的ないじめに対しての対処を誤れば、生徒の命も、莉子の教員生活も終わる。そんな恐怖は常にあった。

ただ

「うーん、特には無いですね。探したほうがいいですか?」

冗談のようにそう言う彼には、あまり関係の無い話のようだ。他の生徒からも彼の良い噂こそ聞けど、悪口や苦情を聞くことは無い。模範的な優等生、それが三桜晴斗らしい。



彼は本当に高校生なのだろうか、目の前の椅子に座る生徒に思う。巧みに笑顔を操り、優等生のように振舞う。まるで大人の処世術を見ているかのようだ。勿論、彼がもとよりそういう性格であるという側面もあるのだろうが、きっとそれだけじゃない。

「それじゃあ、最後に進路。」

莉子の声に、ピクリと動いた頬がそれを物語っている。

「三桜君は去年から東北大学を第一志望にしているけれど、変更はないの?」

とりあえず、定型的な質問から入る。

「そうですね。変更はないです」

「学部の希望は白紙だけど、具体的には決めていないの?」

「はい。まだ迷っています」

優等生の表情は変わらない。その顔に()きそうになった溜息をどうにか堪えて、莉子は続ける。

「第二志望以降も全く書かれていないけれど、考えてないの?」

「はい、特には」

本当に彼はそれで通そうと言うのだろうか。もう彼の高校生活は半分を終えようとしているのに、適当に決めた志望校だけで。今更ながら、なあなあで通してしまった去年の面談を莉子は後悔する。


「三桜君」

「はい?」

もう終わりだと思っていたのだろう。不快感を僅かに孕んだ疑問が声に浮かぶ

「進路なんだけど」

「はい」

「真面目に考えてる?」

取り繕うことも無く直球に、莉子は聞いている。

「なにをですか?」

「進路のこと」

普段通りの三桜の顔に、また微かな感情が見え隠れしている。

「考えていますけど」

「でもこれって、去年私の目の前で書いたやつと何も変わっていないよね」

はい、小さく彼は返事する。

「本当に真剣に進路について考えているの?」

彼の返事はなかった。押し黙ったまま、何かに思いを馳せるあのように思案しているようだった。視線は焦点を欠いている。


何が彼をここまで未来から遠ざけようとするのだろう。一体なぜ、彼はこうも頑なに将来を拒もうとするのだろう。

彼の真意も、その裏にある《《何か》》も分からないまま、沈黙の時間がだけが過ぎていく。




目の前の彼の目がに生気が少しずつ戻ってくるのが見える。あぁ、また誤魔化すのだ。その瞳で分かる。また失敗した、遅れてそう気付く。彼の口が息を吸った。





耳に入った蝉の声が教室のエアコンとは不似合いに鼓膜を揺さぶった。






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