叫び
真っ暗な公園の小さな広場、そこに夏希はいた。目は真っ赤で、目元も腫れ上がっている。こんな時間に呼び出されたのだ。覚悟はしていた。それなのに晴斗は戸惑う。彼女の顔に浮かぶ歪みに。
声を出せないまま、晴斗は夏希と向かい合う。とうに日も暮れたはずなのに、ねっとりと纏わりつくような熱さが残っている。肌と産毛を湿気が包み、その上を追うように冷たい汗が落ちていった。怒ったような顔をして、夏希はキッと晴斗を強く睨む。その迫力に思わず晴斗は目線を泳がせてしまう。一度地面に向いて、それから夏希の奥に見える赤色の遊具へ、視線が落ち着かずに揺れ動く。
ドンっと体に衝撃が走ったのはその時だった。視界が揺れ、端に細い糸が無数に浮かぶ。遅れて少し柔らかな香りが鼻をついた。思わず息を飲む。瞳孔が開かれる。それはきっと突然に体が揺れたからだ。
気付けば夏希の頭が晴斗の肩の間、胸の中にあった。頭が真っ白になって何も分からない。彼女の熱い吐息が晴斗の薄い夏服を染める。それに混じって小さな言葉が聞こえ、振動が胴体を震わせる。徐々にそれは強まり、彼女の抑えきれないかのような嗚咽が耳を突く。叫びを晴斗の体へとぶつけ、強く服を握っている。彼女は泣いているのだと、なぜか冷静にそんなことを知る。服を伝う淡い熱が、それを教えているようだ。
「死んだの!」
そんなことを怒鳴る。一体それが誰なのか、それを晴斗は聞けない。
「彼は…雪原さんは!」
首を冷たい汗がまた伝う。
「あんなに必死に生きていたのに。それなのに!」
胸に伝わる声の中で、晴斗は何も言えない。
「何も残せなかったって。誰も俺の事なんて覚えていてくれないって。そう言いながら泣いてたのに!」
嗚咽と呼吸の間が合わず、彼女は幼い子供のようにしゃくりを上げる。
「雪原さんは、絶望しながら死んだの!!」
もうほとんど夏希は絶叫している。
「それなのに、私は何も言えなかった!言えることなんていくらでもあったのに!」
痛々しいほどの声で彼女は続ける。
「私だって………私だって!」
最後にそう強く言い残して、彼女は気力を使い果たしたかのように力を抜いた。全身を晴斗に預けたまま、身体の力が抜けていく。それでも彼女の涙は熱く、晴斗の服を染め直す。
「彼は私に色んなことを教えてくれたのに、私は彼の助けにもなれなかった。彼が死ぬときに絶望を和らげてあげることすらできなかった。最後の電話を切ってあげることすらできなかった。」
惰性のように、彼女の口から今度は静かに音が流れる。
「電話が切れて、独りになって。その時に気付いたの。私もこうなるんだって。何も残せずに、独りで死ぬんだって。死んだことにも気付かず死ぬんだって。」
震えたその声に、晴斗の背筋が凍る。死、そんなものが信じられないほどの速度で迫って、色彩を帯びた。
「分かったつもりになってたの、死ぬってこと。それなのに、急に怖くなった。そんな怖いものがもうすぐそこにあるんだって」
とめどなく流れる涙は、渓流のように静かに、残酷に流れる。
死ぬのだ夏希は。この前、そのことも自分は聞いていたのに。彼女はそれよりもずっと前から現実と戦っていたのに。どうして自分はそんなことにも頭が周らなかったのだろう。もう長くないのだと彼女はそう言っていたのに。
夏希が死ぬなんて、周りにいる人間がこの世からいなくなるなんて信じられなかった。当たり前の様にそこに命はあって、死とか終わりとかそういうのは遥かずっと先だと、そう思っていた。夏希はこれからも自分の近くに居てくれるんだと、そんなことを無意識のうちに信じていた。彼女が死ぬと聞かされた後ですらも。でも違うのだ。あと数年、彼女がこの世にいるのはたったそれだけで、それが過ぎれば自分は独りなのだ。夏希のいない世界がそこにはあって、自分もいつか彼女を思い出さなくなる。こんなに一緒にいたことも薄れていってしまう。
どうしてそんなことも分からなかったのだろう。あまりの浅慮に寒気が走る。自分のことに精一杯で、手の届く本当に狭いところだけが守備範囲で、それ以外のことにどれだけ自分は無関心なのだろう。彼女の痛みも分からなかった。これまでも夏希の事なら何でも知った気になって、本当は何も知らなかったのかもしれない。もしかしたらこれからも分からいままなのかもしれない。
泣き続ける彼女に触れるのが怖い。抱きしめて、大丈夫と言って、そんなことをすれば彼女は崩れてしまいそうで怖い。彼女の方が恐怖の渦中にいるというのに、結局晴斗は自分の事しか考えられない。夏希の涙につられるかのように身勝手に、晴斗は泣きたくなる。
ふっと生ぬるい風が吹く。熱いのか、違うのか、それすらも分からない体が震えた。勢いを失い、押し殺したような彼女の泣き声だけが公園を覆っている。




