懐古
大人になればこういう時にどんな反応をすればいいのかを知るのだろうと、幼いころは思っていた。そのころの自分は小学六年生はもう立派な大人で、中学生は皆ヤンキーで、そして大人は全てを知っている存在なのだと信じていた。惰性の様に歳を重ね、憧れとはまるで違う高学年になり、凡庸な中学校生活を過ごした。精神的には小学生のころと何ら変わらないままに、背丈だけが大きくなり、それも今はもう伸びない。大人に近づいたのか、あの頃と変わっていないのか、どちらの実感もないままだ。ただ少なくとも、こういう時にどんな顔をし、どんな感情を覚えればいいのか、彼になんと声をかけるべきなのか、それを分かるほどに大人ではないし、彼の伏された目に気付かないほど幼くはなかった。
あの日陽だまりの中で揺れる彼の姿に結局、夏希は何も言えなかった。ただ目の前に立っていて、それだけだった。
しばらく学校に行く気にもなれなず、今日は一週間ぶりの登校だった。久しぶりの学校は何も変わらずにそこにあって、普段と何ら変わらない一日が流れていく。もっとも夏希は授業なんてもうほとんど受けてはいないのだが。大学に行くつもりも、行く意味も今のところないし、それはこの先もきっとそうだ。それでも時々登校しているのは、きっとまだ自分が高校生であることを思い出したいからなのだろうと、夏希は思う。
フレックスタイム制のような高校生活を送っている夏希には当然、不満の声も上がっているようだったが、気にはならなかった。ただ僅かに、心配そうな顔をする町田先生と、裏で動いてくれているという遠藤先生と、そして心配性な三桜と、この三人への申し訳なさを覚えるぐらいだ。その微かな罪悪感を除けば、外野の声は気にならないし、気にする必要もなかった。この先、夏希が名も知らない誰かを気にかけるような場面など訪れはしないのだから。
古びた建物にある購買で一足早くパンを買っておく。今日は金曜日なので母の弁当作りはお休み。顔見知りとなったおばちゃんに今日読んだ本のことを少しだけ話して、校舎に戻った。階段を抜け、誰もいない授業中の廊下を歩く。ペタペタと底の薄い上靴が音を響かせた。木製の引き戸を開けると次はカラカラとした音が鳴った。家庭科準備室と書かれたその部屋に入って、夏希は一息をついた。
もうすぐ四時間目が終わって、京子もここへ来る。二人でご飯を食べて、五時間目が始まって、そうしたら夏希は学校を出る。また誰もいない廊下を通って、下駄箱の金属の扉を閉めて、空きに空いたバスに乗って。そうしてあの日以来の病院に行くのだ。先に診察を受けて、次に彼と会う。怖いような嬉しいような、混濁した気持ちのまま。
今日はなんて話しかければいいのだろうか。この前の話を私が掘り返すべきなのだろうか。そんな風に迷って、結論は出ない。それなのに時間だけが刻々と過ぎていく。
大人だったら、と不意にまたそんなことを考えている。自分が大人だったなら、最良の方法が分かって、その決断に自信が持てたのだろうかと。あと10年、20年先まで仮に生きることができたのなら、そうなったのだろうかと。
否、たぶん違う。その時の夏希はきっと、自分が高校生の時から変わっていないことを嘆くのだろう。夏希にその答え合わせをする術は無いのだが。
悶々とした気持ちのまま、夏希は扉が勢いよく開いて京子が来るのを息をひそめるようにじっと待った。




