少女
晴斗に向けられた瞳が移ろうのが見えた。苛立ち、失望、そしてどす黒い絶望。目の前で目まぐるしく回転する感情の束に首を絞められるかのように、晴斗は息が詰まり、それを誤魔化すかのように唾をのみ込んだ。こちらに向かって大きく見開かれた瞳が、彼女の歪んだ顔の中でいやに鮮明に映った。
自動ドアが開くと驚くほどに冷たい風が服を少し強く揺さぶった。駅前の大通りにも、既にほとんど人影はない。片側二車線のアスファルトの上も空、眼前の無駄に大きな海外製の家具店も眠りついている。晴斗と夏希と、このファストフード店以外は全て消え去ったかのように、街全体が嘘みたいな静寂の中にあった。
「帰ろうか」
狼狽が覚めないかのように何も言わぬ夏希に晴斗はそう声をかけ、先に歩き出す。後ろに彼女がいるのは足音で分かった。その小さな靴音だけが彼女がそこにいる証明に思え、晴斗は耳を凝らした。
「ごめんね」
いつもの騒々しい街だったら、決して聞えなかったであろう夏希のか細い声。それが聞こえたのは広い空き地の横を通り過ぎようとしていた時だった。思わず晴斗は立ち止まる。彼女のその謝罪が何に対してのものなのか分からなかった。ずっと待たせたことにか、それとも店を出てからずっと無言だったことにか、それともまた晴斗には想像もできないことに、なのか。
「本当にごめん」
振り返った晴斗の前、ほとんど泣きそうになりながら彼女はもう一度そう告げた。やっぱり何のことか、晴斗には分からなかった。
自分が目撃し、その渦中に彼女がいたこと。それがただの小さな、一過性のある出来事だと思うほど自分はもう子供ではなかった。彼女の目にありありと浮かんだ感情の気泡の残酷さが見えないほど鈍感でもなかった。だから本当は分かっている。彼女は謝っているのだ、何について、誰にすればいいのかも曖昧なままに。
「こんな夜になっちゃって
小さな声で、途切れ途切れに夏希は続ける。そうだ、もう真っ暗だ。高校生にとっては深夜と言ってもいい、そんな時間。でも違う、夏希が言いたいのはそんなことじゃない、なぜか晴斗はそんなことを思う。
「それで私………
もう十分だ。謝ってくれたじゃないか、もういいよ。今日は帰ろう。また今度で話そうぜ。そんな気の利いた言葉が出てこない。彼女の声が心をかき乱してぐちゃぐちゃにする。聞きたくない、聞いても俺には何もできない。何を言おうとしているのか、そんなことまるで知らない。それなのに分かる。直感がじんじんと熱く、聞くべきじゃないと何度も告げる。言わなくていい、聞きたくない、彼女の虚ろな隈にそう怒鳴りつけたい。それなのに乾いた空気を吸い込んだ喉は、音を吐き出せないまま、茫然と彼女の口が再び開かれるのを眺めていた。
「私、死ぬんだって」
息が止まった。
「すごく珍しい病気になっちゃったらしいんだ、私。頭が長い時間を一瞬で使い切っちゃうんだって」
言葉が支離滅裂かのように耳に響て、それなのに頭は理解を続ける。そうかそれで、夏希は。
「それで人生の残りは少ないって、久……病院で言われたんだ。」
なぜか笑って彼女は言う。その下がった眉尻が痛々しい。
「でも死ぬとか、寿命とか正直実感わかなくて。だってまだ高校生だし、死ぬとか考えたことも無かったし、それで………………それでものすごく動転した。何もかもが怖くて、怯えて、部屋に閉じこもってた」
感情のパッチワークのような表情の中、遠くを見るような目で彼女はそう続ける。だがふっと目に生気が戻る
「でもね」
その力がそのまま声に乗ったかのように彼女の声に張りが戻る。
「でも決めたんだ、ちゃんと生きようって」
「ちゃんと?」
久々に出た声はオウム返しで精一杯だ。
「うん、ちゃんと」
優しい目で彼女はする。
「おんなじ病気に罹っている人が、教えてくれたから。まだ生きてるだろって。その残りを何に使うんだって」
僅かに輝く夏希の吸い込まれそうな瞳を晴斗は見つめた。その中に少しずつ炎のような揺らめきが滲む。
「だから、もしかしたらこの先も私はあんな風になるかもしれないし、きっとなるんだけど。それでも頑張って生きますので!どうぞよろしくね!」
茶化すように、また彼女は笑う。気付けば彼女はちゃんと泣いていた。感情の処理が追い付かなくなった幼子のように、笑顔と涙で表情はもう一杯だ。
そんな彼女を晴斗はぐちゃぐちゃの思考と熱い眼球の向こうに見る。こういう時、どんな顔をすればいいのか、どんな思いになればいいのかも分からぬままに。




