自覚
夕飯は外で食べて帰る、そう母親にLINEを送った。食べ始めてから言うのに少しの申し訳なさを覚えて、キャラクターが謝るスタンプを追加で送っておく。そのまま画面を消すと、スマホを机に置いた。
「完了?」
「うん」
人差し指でポテトをつまみながら、夏希もスマホをいじる。
「こっちも、これでよし!」
そう言いながらバッグへとスマホを放った。
「なんか言ってた?夏希のお母さん」
「うーん、とくには………あーでも、三桜君によろしくとは言ってたよ」
長めのポテトを口に詰め込みながら、彼女はそう答える。
「よろしくって…」
「なんだろうね!」
大人の言葉は難しいよねぇ、と楽しそうに呟きながら夏希はストローを咥える。白地に赤いラインの入ったストローが彼女の口の動きに合わせて蛍光な緑に染まり、また戻った。まぁでも、と彼女は続ける。
「大人だって皆、意味なんか知らずに使っているんじゃない?使った方がかっこよさそうみたいな感じでさ」
「ほんとか?」
「きっと…いや絶対そう。世の中に意味の分からない略語と英語とカタカナが溢れているのがその証拠だよ。別に日本語でもいいし、他の言い方でも何も問題ないはずなのにわざわざそういうの使うのだって、そっちの方がかっこいいからでしょ?大人はみんなダサいのがいやなんだよ、きっと」
「そんなことある?」
「絶対あるよ」
自信があるかのように、彼女はそう言い切る。それなら、ちょっと意地悪をしてやろう。
「なんか《《例》》、教えてよ」
「え?例?」
「うん」
うーんと彼女は押し黙る。どうやら真剣に考え出したようだ。夏希は考え事をし始めると急に黙り込む癖がある。
真剣な目をする夏希を前に、晴斗はポテトへと手を伸ばした。指先に着く塩をこすりながら夏希の意識がもう一度戻ってくるのを待つ。もっとも
「しばらくかかりそうだけど」
そう呟くと晴斗はハンバーガーの包みを開いた。
夏希は一度自分の世界に入ると邪魔をされることを何よりも嫌う。その相手が誰であっても。だから晴斗は彼女の目が深い集中の中にある時、決して彼女に話しかけはしなかった。どれだけそれが長くてもゆっくり待つ、彼女の中の鋭さが緩み、それがふっと目に現われるまで。
自分にもし何かの才能があるのだとしたら、それは他者の機微を感じることなのかもしれないと晴斗は思っている。夏希だけじゃない、三宅でも、部活の友達でも、教師でも、家族でも、本当に誰であっても心の動きが鮮明に読めた。感情が動く刹那が手に取るように分かった。他者の苛立ちが、嘘が、強がりがまるで言葉で言われているかのように感じられた。
だからきっと自分はこういう性格になったのだ。他者の感情をかき回さないように慎重にオールをこいで、激しい波には近付かない、そんな性格に。良い子で付き合いやすくて、誰からも嫌われないような人間になりたかった。いやならなければいけない、そう思っていた。それはきっと自分が嫌われる瞬間も、晴斗は感じることができたからなのだろう。
そしてその強迫観念は今でもここにあるままだ。高校生になっても、未だ晴斗は他人から嫌われることを怖れている。嫌われてもいいだとか、自分が一番だとか、ありのままだとか、なんでそんなことを言える人がいるのか晴斗にはまるで分からない。他者の機微に気付かないふりをして、自分を押し通すことなどできなかった。
とどのつまり自分はくだらないほどに臆病で、それなのに心のどこかでそんな自分に酔っているのだ。他人とは違う自分に、他者を思える自分に。
傲慢な自覚はある。自惚れだとも分かっている。八方美人を煮詰めたような生き方であると認めている。
それでも自分は他者の邪魔にならず、嫌われず、そういう生き方しかできない。この生き方以外をする勇気なんてどこにもなかった。
きっとこれからもそうなのだろう。リュックに目をやりながら、投げやりにそう思う。そこに入っている白色ちっぽけな紙に心を乱されていた。一年生の終わりが近づき、再び渡された希望進路を書くための紙に。
臆病な自分の進む路なんて、どうせつまらない。他人にある程度認められ、周囲から反感を買わないような進路を選ぶに決まっているのだから。予測可能、予定調和、現在の延長線上。自分の未来なんてどうせそんなものになる。
かすかに胸が痛んで、かさぶたが切れたかのように絶望が薄く滲んだ。
真剣な表情のまま沈黙を続ける夏希の前。晴斗は先よりも少し沈んだ気持ちで、音を立てないようにバーガーを頬張った。




