09 錠剤
「なるほどな、コレを押し付けられたってわけか」
カウンター席に腰掛けた戌井は、透明な袋に密閉されたどぎついピンク色の錠剤を持ち上げる。
「えぇと、真理亜ちゃん、だったね?」
「はい」
普段は未成年が立ち入らない店だったが、警察への捜査協力という名目と、従業員の娘という立場もあり、今日は特例として真理亜がカウンター席に腰掛けていた。
「これは、駅で無理やり押し付けられたんだね?」
「はい、駅の北口の、出て階段降りたとこで。痩せるクスリだって。なんかトべるぜ? とかそんな事言ってました」
「ふむ」
典型的な違法薬物を広める手口だ。
「あの、私断ったんです、要らないって。でもその人しつこくって、それでその、ちょっとこう、軽~く? あの、ぶん投げちゃったんですけど」
「投げた? ……え? 投げた? っていうのは……?」
同行してきた熊川が思わず身を乗り出してきた。
事情聴取をしている相手、真理亜は日本の女子高生としては確かに大柄だ。が、オトコを力づくで投げられるほどの腕力を持っているようには見えない。
「あの、こう、くいって」
くい、と言いながら手首や肘を動かしてみせるが、やはり何をどうやったのかはわからない。
「刑事さん、この子合気道やってるんですよねぇ。ねー? 真理亜ちゃん?」
「はい。子供の頃からチーママに習ってるんです、護身術、ね?」
「ねー?」
童顔の伊立と真理亜が並ぶと、どう見ても真理亜の方が年上に見える。お互い、高校生に見えないほど大人びている真理亜と、十数年客商売をしているとは思えないほど幼く見える伊立は、実は大変に仲が良い。
十数年前にジャネットが、まだ赤ん坊の真理亜を連れて木常ママの元へやってきたときは、伊立が真理亜のおむつ交換や哺乳瓶での授乳をしていたくらいである。哺乳瓶の代わりにこっそり自分の胸を吸わせたこともある。
『やー、吸った吸った。なんかね、歯のないあったかい口でしゃぶられるの、クセになっちゃうかと思った』
と語っていた伊立にとっては、年の離れた妹か、血の繋がらない娘といったところだろう。
「ま……まぁそれはその、とりあえず今は良いとしようか……それで、強引にこの錠剤を鞄に入れてきたということだけど、他に同じようなことをしている者は?」
「今日はひとりだけでした。でも、同じクラスの子も『変な錠剤渡された』って言ってたし、他の学校の子なんかも『これ絶対ヤバいやつだよね』って言ってたから、多分何人にも配ってるんだと思います」
「なるほどな……実はなお嬢ちゃん、これと似たようなモンが新宿だの池袋だので出回ってる。蛍光ピンクだの蛍光緑だのと毒々しい色にしてるのは、多分コイツをジュースに混ぜて飲ませるからだろう。警視庁の科捜研で分析したやつと同じだとしたら、コイツはMDMA、合成麻薬というやつだな」
ひゅぅ、と変な呼吸音の直後、真理亜は半泣きになり母ジャネットにすがりつく。
「お、お母さん、違うの、これ私じゃない、私こんなの受け取ってない、私ホントに知らない」
「うんうん、分かってる。真理亜がそんな馬鹿な子じゃないって知ってるから。あの、刑事さん? これって犯罪になったりしませんよね? 無理やり、いつの間にか鞄のポケットに入れられてただけなんです」
「そこは安心してください」
熊川がメガネの奥の目を少し細めて、視線をジャネットと真理亜に向け、そして木常に顔を向けてから頷いた。
「まぁ最終的には、駅の監視カメラも確認しますが、状況を確認する限り、お嬢さんがこの薬物の譲渡や所持に関わっているようには思えません。戌井さん、君は駅の監視カメラの確認を急いでください。大抵監視カメラは記録をローテーションしますからね、早めに行かないと上書きされてしまう」
「わかりました、すぐ行ってきます!」
からん、と派手に音を立ててドアを開けると、戌井は勢いよく店を出ていった。
残されたのはママの木常にジャネット、真理亜、そしてチーママの伊立と巨漢熊川である。
「さてと、それじゃ真理亜ちゃん、安心して良さそうだから、上行ってなさい。ジャネットは、今日のところは真理亜ちゃんと一緒にいてあげた方が良いわね。久々にゆっくり晩御飯でも食べてちょうだい。今日はお店は私とマコちゃんとで回しましょうか。そろそろ——」
ママの言葉を遮るように、再びドアの鈴がなる。
ひょこ、と顔をのぞかせたのは、ほぼ毎日店に通い詰めている老人、鶴岡だ。
「あれ? ただいまママ。今お取り込み中? 今日はお休みかな?」
「いいえぇ、今から開けるとこ。お帰りなさい、ツルさん。今日はジェニーちゃんはお休みだから、私とチーママのふたりしかいないけど、良いかしら?」
「あぁもちろん。っておやおや、真理亜ちゃん? いやぁ大きくなったねぇ?」
「やだおジイちゃん、先月会ったじゃない。ほら、このぬいぐるみくれた」
「ありゃ、そうだっけ? いやははは、年取ると物忘れがねぇ。そちらは熊川さんだね。今日はどうしたの」
「いや、特に——」
男性としては小柄な鶴岡は慣れた様子で熊川に声をかけると、熊川は妙に緊張したようにうつむいた。
「ま、お仕事おつかれさん。大変だねぇ、最近色々あるだろうし」
「まぁ、そうですね。ありがとうございます……それじゃあ私もこの辺で失礼します。何か気になることがありましたら、私でも戌井でも、署の方にでもいつでもご連絡を」
「えー、熊川さん帰っちゃうのぉ? ビールはぁ?」
いつもの調子のマコがグラスと瓶ビールを掲げて見せる。
が、熊川は苦笑を浮かべて首を軽く横にふる。
「いや、すみません。今日は仕事ですので。また今度」
のそのそと巨体を揺らし、熊川はドアの向こうへと消えていく。
この日は美真も来ない予定で、常連の田貫もそのことは知っている。
「さぁて、今日はミマちゃんオフだよね? じゃあタヌさんも来ないことだしぃ? ツルさんとサシ飲みしちゃおっかなぁ?」
「おぉ、良いね良いねぇ、チーママ独り占めだ。いやぁ、楽しいねぇ」
ひとりだけの客となった鶴岡は、この日始終上機嫌であった。




